きょうも都会でのウォーキング。駅周辺の住宅地は面白みがなかなか発見できないけれど、里山を開発してまもない路地が魅力的だ。行き止まりや昔は田んぼだったらしいくねくねの路地で方向感覚を失う。焦って汗が流れる。そんなとき、子どものざわめきが聞こえてきた。
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おとながいたらきっと止めていたであろう梅の木での木登りだった。先頭は女の子らしい。大都会ではこうした行為は難しいに違いなく、さっそく木登り禁止の看板が立てられてしまうだろう。梅の花の勢いが子どもの心を弾ませたに違いない。心の大きい梅に感謝したい。
その近くの道路にはチョークで描いた絵がふんだんに残されていた。きっと、木登りした輩の残した作品に違いない。そこにはそれほどに自由闊達な空気が漂っていた。
もう陽だまりには春が来ていた。沈丁花の匂いがウォーキングの方向を誘うし、ショカッサイの紫の花は群落力を誇示していた。春のうごめきはすでに子どもたちが動いていた。こうしたうごめきがある限り日本は健全だ。ゲームに夢中の子どもの姿が見られなかったこと、群れで遊ぶ子どもの姿を発見できたことがウォーキングの最高の収穫だった。
そんな感動もつかの間、経済学者の金子勝教授のツイッターはまたまた咆哮を止めない。【何もしない対策は言語矛盾】アベ内閣の丸投げ基本方針に仰天。診療は「一般病院」に丸投げ、イベントは「主催者」に丸投げ、「休校」は学校に丸投げ、そしてPCR検査は「自治体・保健所」に丸投げ。加藤厚労省・脇田感染研が住民の検査は1日104件しかやっていないと報道。