ときどきTVで見かけていた山折哲雄氏の『仏教民俗学』(講談社学術文庫、1993.7.)を読んでみた。従来、仏教学と民俗学とはそれぞれの独自に研究されてきたが、現実の生活では融合している実態があり、そこに橋渡しようとしたのが本書である。
欧米やインドの宗教にも詳しい山折氏の幅広い知識が充満する内容だったが、それぞれの章立てはかつて発表したものを寄せ集めたもので、仏教と民俗との接点そのものを解明したものではないのが残念だった。そのため、断片的な内容がそのまま放置されてしまった不満が残った。その意味で、そこを埋める補説があると素人としてはスッキリするというものだ。
日本の信仰の背後には「山岳」があり、天上の神が降臨する聖地は山であると考えられてきた。したがって、「浄土」はその聖域にあり、「来迎図」のように身近な所にある。しかし、インドの浄土は「西方十万憶土」のかなたにあるという。そこに、日本では土着の山岳宗教と仏教との独自の融合が見られると山折氏は指摘する。
縄文人の暮しの多くは山が拠点となっており、山は食料供給の生命線でもあった。平地は身の危険がともない、洪水などの災害も少なくない。確かに、その伝統は江戸時代にまで活かされ、山には独自のルートと暮らしが成立していた。それが崩壊してきたのは近代に入って間もなくのことであり、それほどに日本人と山とは身近なものだった。
本書の25本のエッセイのうち、トマスモアと平将門の首についての叙述は、氏の面目躍如のフットワークがあった。時の王・ヘンリー8世の離婚をカソリック信徒のモアが批判したことでモアは処刑され、その首は晒されるが、その後丁重に教会に埋葬される。
一方、朝廷に反逆した平将門も処刑されたが、怨霊となってその首が徘徊するというところに、日本人らしい感性がみられるという。それぞれの章はエッセイなので内容が大まかすぎるきらいは否めなかったが、身近な宗教的儀礼についてメスを入れた意味は大きい。