裏の畑にある白っぽかったアジサイの花がやっと色づきだした。街中ではわが世の花よととっくに咲いているというのに。この遅れはどうもオイラの性格も反映しているらしい。
「グレープ」時代のさだまさしの歌に「紫陽花の歌」というのがある。
「 蛍茶屋から鳴滝までは / 中川抜けて 川端柳 / 他人の心を ごまかすように /
七つおたくさ あじさい花は / おらんださんの 置き忘れ 」
歌詞の最後には、「むらさき 夕凪 夢すだれ」という言葉のリフレインで締めくくっている。歌詞には長崎の地名が満載ではあるものの、メロディの抒情がそれを補っている。このリフレインに詩人としてのさだまさしの頭角がすでに表出している。ちなみに、「おたくさ」は、シーボルトの日本人妻「お滝さん」の名前。それは、アジサイの学名「ハイランゲア・オタクサ」に折り込められたものだ。その行為に大御所の植物学者牧野富太郎が激怒したという逸話も残っている。
その「西洋アジサイ」のすぐ近くに、日本原産の「ヤマアジサイ」も咲いていた。半日蔭の場所のせいか元気が良い。放任してきたので樹形がジャングル状態になっている。年内には、バタフライガーデンへの移植を考えている。
このヤマアジサイは、生前のセニョールさんからまだ小さかった苗をいただいたものだった。いかにもセニョールさんらしいものだった。そのとき、園芸植物ではなく日本の自生植物にこだわっていた彼の精神を少しでも受け継ぎたいと思ったものだ。