春菊が防獣用の網をはみ出して花まで咲かせていた。そろそろ春菊は撤収かもとは思っていたが、網の外 まで花が咲いてしまったので、あわてて撤収作業を行う。それにしても、花はなかなかきれいではないか。それもそのはず、原産地の地中海沿岸界隈では観賞用として栽培されていたらしい。
春菊はシルクロードにのって中国に伝わり、野菜用として改良され日本に伝わったようだ。欧州ではその香りや苦みが不評だったようで、インド・東南アジア・中国などの地域限定野菜となっていった。そこで、下関市の安岡地区では、この春菊のことを「ローマ」と呼んでいる。ピーンときましたね。
平清盛が推進した日宋貿易で春菊の種が下関・長門国に初上陸し栽培が始まったという。その流れの中でこの地域だけは春菊を「ローマ」と呼んだ名残が残っていたというわけだ。栽培は西日本を中心にされてきたものが昭和20年代頃から関東に普及し始める。オイラの子どもの頃はあまり食べた記憶は少ないので、そんなゆるやかな流れは確かに納得できる。
花はいくつかの花瓶などにすべて活けた。葉はこのところサラダにして生食をしている。この苦みが山菜らしい深みを演出している。最近は欧米でも食べるようになってきたという。