ダビンチさんが春の課題図書としたのは『希望の資本論 / 池上彰X佐藤優』(朝日新聞出版、2015.3)だった。副題は「私たちは資本主義の限界にどう向き合うか」。博学強記の人気ジャーナリスト・池上彰氏は、「資本主義の発展それ自体、資本主義の墓掘り人を生み出す」というマルクスの予言通りのことが起こりつつあり、がむしゃらに働いても暮らしの貧しさは変らない、こういう現実にどう対峙するか、そのエネルギーを『資本論』から学べると言う。テレビでは放映できないような池上氏の主張が展開されている。
いっぽう、外務省で北方領土問題の最前線で活躍していた佐藤優氏は、「鈴木宗男事件」に絡んで逮捕され、それは根拠なき「国策捜査」だとして国と闘う。「知の巨人」ともいうべき佐藤氏の情報力やそのべースである哲学・政治・経済・宗教・語学などの豊富な蘊蓄をもとに、多数の著作を上梓している。とりわけ、『資本論』からは、資本の論理を知ることで資本の論理に絡めとられない生活が実現できるという。
本書の内容の要旨は、裏表紙の「帯紙」がすべてと言っていい。対談では饒舌な佐藤氏の論調が長いが池上氏のしたたかな謙虚さも伝わってもくる。オイラも髪毛が邪魔な青春時代に何回か『資本論』の読破を試みたがページを汚すことなくこれは無残な敗北に終わった。その意味で、本書はその俯瞰的な視点を獲得できると思えた。
ソ連の崩壊以降、社会主義理論と実践の危うさ・敗北は明らかになった。マルクス・エンゲルスの持つヒューマンな精神はいったいどこへいったのだろうか。現実の中国・ロシア・北朝鮮の非人間的な抑圧そして自然破壊はマルクス主義理論から来るものなのだろうか。
それはしかし、資本主義が素晴らしいかというとそうでもない。格差の拡大はますます広がるばかりだし、また、資本主義下の人間の精神はますます卑しくなっていくばかりだ。
池上氏は『高校生からわかる<資本論>』、佐藤氏は『いま生きる<資本論>』をそれぞれ出版している。読んではいないが、本書から察するに今の自分自身とその位置を相対化するということが、これからの自分と社会の針路が見えてくることだと思われる。今まで断片的でもつれていた糸が、本書の二人の対談でなるほどとつながってきたことも少なくなかった。それほどに、二人の造詣の深さに驚くばかりだった。
そうした意味から、自分の精神を鍛えないと時代の流れに流されてしまう。職人気質だった親父の口癖は「付和雷同するな」ということだった。アルコール中毒だった親父は打倒の対象だったが、ことこの言葉は輝かしい家訓でもあった。小学校しか出ていない明治の親父の一生は日本の歴史そのものの咆哮だった。親父が痛切に味わった学歴の無さは長男への教育投資の偏重を生み出し、それはそれで大成功を収めたものの親父の心の平静はアルコールに走るばかりだった。
明治からも令和からも、いまだ拝金主義とポピュリズムの氾濫は収まらない。こんなときこそ、池上・佐藤両氏の相対主義の真価が増すというものだ。目からうろこをいただいた本書を送っていただいたダビンチさんにまたまた深謝する次第だ。