山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

縄文回帰 = 西洋・中国文明は日本を幸せにしたのだろうか

2022-09-09 21:50:02 | 読書

 ロシアのウクライナ侵略は人類が築いてきた歴史を逆行させた。そんな時だからこそ歴史作家・関裕二氏の『<縄文>の新常識を知れば日本の謎が解ける』(PHP新書、2019.3)を読み始める。今までの縄文時代は原始的な採集・狩猟経済のイメージや弥生人に駆逐されて北海道と沖縄に分断されていく歴史というイメージが強かった。

    

 しかし、最近の縄文情報は、三内丸山遺跡に象徴されるように高度な技術力・農耕栽培・信仰・芸術をもった文明だったことがわかってきた。1万年も続いた「縄文の底力」は、現代にも生きていると著者は指摘する。それは、大自然とともに生き共存するアニミズムであり、日本は「先進国で唯一、一神教を拒んだ国だ」とする。

   

 年表では縄文から弥生時代への変容は明確ではない。しかしそれは、著者によればヤマト建国も縄文人と弥生人との融合・葛藤とから形成されたのではないかと傍証を駆使しながら提起する。

 著者は学者ではなく作家だから緻密な展開というより、松本清張に近い推理で読者の好奇心をつなぎ留めていく。歴史の混乱を経験しながらも、日本人は「縄文への揺り戻し」で切り抜けて現代に至るのではないかという。

  

 「西洋文明は日本を幸せにしたのだろうか」、「文明と農耕と一神教の成立こそ、悪夢の始まりだった」と、著者はあえて断言している。それはおおいに同感はするが、紙数が短すぎる。そこで、翌年上梓した同著者の『縄文文明と中国文明』(PHP新書、2020.3)も読み始める。

           

 それがなんと、著者が言うには、「漢民族は、物に対する執着・貪欲さ」を持ち、「多民族から容赦なく物を求め、富を蓄える」、「合理的で冷徹に実利を追求する」怖さを侮ることはできない、と感情的なプロローグから持論を展開していく。その中国文明は西洋文明より早く進展し、しかも長く持続してきた。世界は中国を中心に開明してきたことで、「中華思想」が生まれる。

         

 著者は、「殺さなければ殺されるという大陸世界に生きてきた漢民族の行動から目を離してはいけない」とまで言い切る。さらには、世界の終わりはアメリカと中国との一神教同士の戦争にあると危惧する。ウクライナ侵略の2年前に刊行された本書の箴言はあながち勇み足とも言い難い。

 世界の先進であった「中国文明は人を幸せにしてきたのだろうか」と著者は問う。中国での青銅器・鉄器の発達は戦乱と虐殺の歴史ともなった。同時にそれは森林伐採の自然破壊の歴史でもあった。

  

 ヨーロッパ文明も産業革命でやっと中国文明に追い付いてきた。しかしそれも植民地獲得と支配地収奪・殺戮の実態があった。そこから、著者は、そもそも「文明は、人類を幸せにするのだろうか」という命題に行き着く。縄文人が本格的な農耕を選択しなかったのは弥生人の「狂気」を知ったのではないかと推理する。

  

 ヤマト建国は、何回かの戦乱を経たものの、いくつもの地域の緩やかな統治システムによって移行され、そこに縄文への回帰・揺り戻しが見られると著者は指摘する。そのルーツには、多神教という多様性であり、人間は自然の一部だという世界観・死生観があり、それが現代にも緩やかに流れている。

   

 そこには、朝鮮や中国から学んだ思想を消化した日本的な生き方が貫かれている。儒教や道教の先験的な教えを現代にも引き継いでいるのは、中国でも朝鮮でもなく日本ではないかとオイラも思う。著者の強引で感情的な結論には首肯しがたいところもあるが、心情的に惹かれる文脈であることはおおいに認めるところだった。

 

 

   

    

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