日本列島で1万年以上も継続した縄文時代。その文化の中心は東北だった。保守派の論客・田中英道は『日本の起源は日高見国にあった』との著作を著わした。荒唐無稽に見えた彼のセンセーショナルな意見は最近の考古学の発展などから意外にも現実味を帯びてきているところがある。そんななか、中津攸子(ユウコ)『東北は国のまほろば / 日高見国の面影』(時事通信社、2013.8)を読む。
従来も今も、人間の歴史は権力を手中にした勝者の歴史だった。敗者はその片鱗を残せないまま埋もれてしまった歴史でもある。「まほろば」とは、素晴らしい場所・住みやすい場所という意味だが、そんな場所が東北にあったというのだ。
縄文人は弥生人のような農耕を選ばなくてもそこそこの生活は成り立っていた。中央集権的なヤマトや平安貴族ができても、もう一つの独立国「日高見国」が日本にあったというわけだ。その独立国を制覇するために、朝廷は「征夷大将軍」を任命し、侵攻を継続してきた。つまりは、頼朝軍が奥州藤原氏を滅ぼすまでは日本には国が二つあったということでもある。
「日高見国(ヒタカミノクニ)」は、度重なる朝廷軍の侵略に果敢にまた柔軟に戦ってきた。著者は、記録から消された敗者の日高見国の発掘と復権を試みようとしている。とりわけ、日高見国の馬と金の存在は、国の防衛と財力にもなり、奥州藤原氏の文化の礎ともなった。
さらには、著者は、東北の和歌の豊かさを紀貫之の「歌は日高見国の文化である」という言葉を引用して、宮中を席捲したほど影響もあったことを検証している。
平泉が世界文化遺産に認定されたように、その仏教文化・建築技法・伝統文化・独立精神・自然との共生・海外貿易・平和志向等、むしろ中央集権的な権力が失っていたものを保有してきた。その意味で、このところ「東北学」が確立され、その掘り起しが試行されていることは貴重だ。
著者も、後半は駆け足になってしまったようだが、消された歴史をゆるりと解きほぐしていく姿勢に無理がない。かつて、「まほろば」の平和社会が日本にあったことをいかに継承していくか、それは現代的な課題でもあると痛感する。ロシアによるウクライナ侵略が現実化している現在、東北が継承してきた魂をふまえて、国内はもとより国際的にも提起していく礎になるものでもあると思えてならない。