山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

畑の花園ステーション

2015-09-24 20:53:49 | 生き物
 畑の片隅にあるニラやアザミの花園は昆虫たちの命のステーション。
 翅の欠損が目立つ「ミドリヒョウモン」もアザミの上で必死に「生」をつなごうとしている。
 飛ぶのもヨロヨロしている。

                            
 昆虫には自殺という言葉はないのだろう。
 人間だけが自殺行為をする。
 いのちが続く限り懸命に生きるミドリヒョウモンの姿が輝かしい。

      
 そのすぐそばでは、珍しく「イチモンジチョウ」がやってきた。
 アゲハよりやや小型だが翅の一本の白いラインが見事だ。
 このラインが青いと「ルリタテハ」だが、なかなか撮らしてくれない。

                            
 セセリチョウはニラの花が大好きだが、そろそろ花期は終わりつつある。
 「キマダラセセリ」はその中でも数が少ない。
 いわゆる茶系の「チャバネセセリ」に混じって、その黄色のマダラ模様が目立っている。

                            
 蜂が飛んでいるのかと思ったが、体がトラ模様の「キハダカノコ」蛾だった。
 黄色の体(黄肌)に多数の黒い環紋を見せつけて「蜂なんだぞ」と周りを脅すつもりなのだろうか。
 この環紋が二本だと「カノコガ」となる。
 名前の由来は翅が鹿の子模様だからだ。

 小さな花園はこうしていのちのリレーを継続しているステーションということなのだろう。
 一人暮らしが多くなってきたわが日本にこうしたステーションはどこにあるのだろうか。
 福祉協議会関連施設がいろいろステーションもどきをやっているが、高齢者の力を地域力として位置付けていない。
 「与える福祉」がサービスだと思っている。

 高齢者の持つちからを地域や本人に引き出す視点が欠けている気がしてならない。
 人間にとってのステーションとは何であるか、自分にとってのステーションとは何であるか、を考えてしまう。
 そんなもの憂いの秋がやってきている。
 
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