先週、近隣のハンターから「イワタバコの群落がきれいだよ」との連絡を受けた。だもんで、一昨日の朝一緒に現場に向かう。十数年前に、そこのイワタバコ群落の存在は確認していたがすっかり忘れていた。現場には、5年ぶりくらいの空白がある。というのも、最近のオラは買い物や通院や必要な用事を除き、行動半径が10m以内の狭い空間で閉じこもっているからだ。
その意味で、近隣から声をかけていただくこと自体がありがたい。7年ほど前から、9軒しかない地元の昆虫や植物それに郷土史もどきを編集して「超ミニ地域マガジン」(年1回、50部発行)を発行している。ハンターはそれにときどき情報をくれる有力な協力者をやってくれている。
行政の郷土史には地元の史料がほとんど登場しない。なにしろ、山と谷ばかりといったらそのとおりだが、それでも人の暮らしはあったはずだ。郷土史の7割くらいは町の中心街の史料と有力者で占められる。
したがって、「地域マガジン」はオラがせめて目にする昆虫や植物それに地元の想い出を残しておこうとするものだ。さて、イワタバコは古くから親しまれてきた。柿本人麻呂は「山ぢさの 白露重み うらぶれて 心も深く 我が恋やまず」と恋歌を残している。(山ぢさはイワタバコと言われている) また、江戸時代では、庭園芸術の重要な存在として栽培がされてきた。
庶民は、若葉を山菜として利用したり、薬効として胃の働きが弱ったときに利用してきた。なお、イワタバコの花言葉は「忍耐」。この花が険しい岩場にしっかり咲く姿を表している。実際、ここの現場でも、連なっている岩場と吹き付けたコンクリート壁にしっかり侵出していた。その群落は断続的に20mくらいは続いていたように思える。むかし見た時より群落が広がっているのは確かだ。ただし、地元でこれを注目している人は残念ながら少ないようだ。それが保存には良かったのかもしれない。
一昨日は残念ながら花はくたびれてきたようで、一斉開花の華麗さは見られなかった。連絡を受けたその日に現場に直行すれば良かったのだが。今回、初めてイワタバコの種を確認した。ほかの植物が生存できない場所にあえて進出する戦略のたくましさが見て取れる。壮観な群落を教えてくれたこころゆたかな地元のハンターに感謝するばかりだ。