朝ドラで「とと姉ちゃん」が大反響されて終えた。
その大橋鎭子とともに『暮しの手帳』の編集長・花森安治の生涯が魅力的だ。
まずは彼の言葉を集めた『花森安治・灯をともす言葉』(河出書房新社、2013.7)だ。
「色と限らず、美しいことについての 感覚のまるでないひとたちが、
日本の政治や経済を 動かしているところに、
いまの世の中の不幸がある。」
「戦争に負けてみると、 実はなんにもなかったのです。
暮しを犠牲にしてまで守る、 戦うものはなんにもなかった。
それなのに大事な暮しを 八月十五日までは とことん軽んじてきた、
あるいは軽んじさせられてきたのです。」
花森は、満州に従軍しその後「大政翼賛会」に勤務して、「ぜいたくは敵だ!」という標語を広めたらしい。
死んだ戦友や戦時体制を担った負い目が戦後の生き方、つまり雑誌編集の原点になっている。
『暮しの手帳』の表紙を描いた斬新なデザイン、当時としては度肝を抜く女装、徹底した「商品テスト」、庶民の暮しに寄り添った記事・写真等々、雑誌が人々の生活スタイルを変えた。
津野海太郎『花森安治伝』(新潮社、2016/3)は、そうした花森の戦前戦後の伝説的生涯を克明に描いていく。
ファッションにもこだわる花森は、サラリーマンのほとんどが背広を着ていることを疑わないのがおかしいという。
同感だ。
国会議事堂に入室する男性は背広とネクタイが絶対条件となっているのもおかしい。
いっそ、和装にすれば日本的じゃあないか。
ノーベル賞をもらうときも燕尾服というのも違和感がある。
まだまだ、傲慢な西洋中心主義ははびこりそれに拝跪することに不思議と思わない現状がある。
(画像は氏のツイッターから)
花森の真骨頂は、現在の奴隷根性から解放され、再び戦争に巻き込まれないようにするには、自立した暮しを豊かに生きるということにつきる。
暮しの中の美、調度品の機能美、自然の美しさ、セルフビルド、家庭料理等々、それらを感じる感性と実行するスキルを提起する。
津野さんは「あとがき」で次のように書いている。
「まちがったあとも人は生きる。 生きるしかない。 そこでなにをやるか。
日本人の暮しを内から外からこわしてしまう力、具体的にいえば戦争と公害には決して加担しない。
できるかぎり抵抗する。それがいちどまちがった花森のあらためてえらんだ道すじだった。」
「まちがったあとをどう生きるか。 まさにその人間の生地があらわれる。
花森の時代も私の時代もそうだった。
これからもきっとそうだろう。」と結んでいる。
終戦直後の花森の決意は雑誌とその生き方に表現されているが、怨念のような彼の言葉を受け止める主体にならなければとあらためて思う。
その大橋鎭子とともに『暮しの手帳』の編集長・花森安治の生涯が魅力的だ。
まずは彼の言葉を集めた『花森安治・灯をともす言葉』(河出書房新社、2013.7)だ。
「色と限らず、美しいことについての 感覚のまるでないひとたちが、
日本の政治や経済を 動かしているところに、
いまの世の中の不幸がある。」
「戦争に負けてみると、 実はなんにもなかったのです。
暮しを犠牲にしてまで守る、 戦うものはなんにもなかった。
それなのに大事な暮しを 八月十五日までは とことん軽んじてきた、
あるいは軽んじさせられてきたのです。」
花森は、満州に従軍しその後「大政翼賛会」に勤務して、「ぜいたくは敵だ!」という標語を広めたらしい。
死んだ戦友や戦時体制を担った負い目が戦後の生き方、つまり雑誌編集の原点になっている。
『暮しの手帳』の表紙を描いた斬新なデザイン、当時としては度肝を抜く女装、徹底した「商品テスト」、庶民の暮しに寄り添った記事・写真等々、雑誌が人々の生活スタイルを変えた。
津野海太郎『花森安治伝』(新潮社、2016/3)は、そうした花森の戦前戦後の伝説的生涯を克明に描いていく。
ファッションにもこだわる花森は、サラリーマンのほとんどが背広を着ていることを疑わないのがおかしいという。
同感だ。
国会議事堂に入室する男性は背広とネクタイが絶対条件となっているのもおかしい。
いっそ、和装にすれば日本的じゃあないか。
ノーベル賞をもらうときも燕尾服というのも違和感がある。
まだまだ、傲慢な西洋中心主義ははびこりそれに拝跪することに不思議と思わない現状がある。
(画像は氏のツイッターから)
花森の真骨頂は、現在の奴隷根性から解放され、再び戦争に巻き込まれないようにするには、自立した暮しを豊かに生きるということにつきる。
暮しの中の美、調度品の機能美、自然の美しさ、セルフビルド、家庭料理等々、それらを感じる感性と実行するスキルを提起する。
津野さんは「あとがき」で次のように書いている。
「まちがったあとも人は生きる。 生きるしかない。 そこでなにをやるか。
日本人の暮しを内から外からこわしてしまう力、具体的にいえば戦争と公害には決して加担しない。
できるかぎり抵抗する。それがいちどまちがった花森のあらためてえらんだ道すじだった。」
「まちがったあとをどう生きるか。 まさにその人間の生地があらわれる。
花森の時代も私の時代もそうだった。
これからもきっとそうだろう。」と結んでいる。
終戦直後の花森の決意は雑誌とその生き方に表現されているが、怨念のような彼の言葉を受け止める主体にならなければとあらためて思う。