山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

土を耕すことは心を耕し人を育てる

2020-04-22 21:58:19 | 読書

 図書館の除籍本のなかに、今西祐行(文)・西村燎子(写真)『土ってあったかいね/農業小学校の記』(岩崎書店、1994.10)があったのでいただいてくる。というのも30年前だろうか、キャンプ場を探しに神奈川・藤野町周辺に行ったことがある。そこに偶然、今西さんが創立した私立「菅井農業小学校」のちっちゃい看板を見たような記憶がある。今西さんと言えば、戦争のひどさをコスモスの花に託した児童文学・「一つの花」(教科書掲載)だとか、実在の石工をモデルにした歴史小説『肥後の石工』を読んだことがある。いずれも、人間の良心的な葛藤をみずみずしく描いた作品だった。

        

 全校生徒7名で始めた小学校は1987年創立。学校は「耕人舎」と名づけられた掘っ建て小屋と簡易トイレだけのスタートだった。生徒は都会から月1~2回通い、指導は地元農家のプロである。今西さんは校長兼用務員である。

         

 このことで、都会と田舎との交流が始まり、参加者も増えていく。当然、親も同伴するから親の後方支援も具体的になっていく。写真家の西村さんの白黒写真は子どもたちのいきいきした鼻息が随所に表現されている。

             

 

 今西さんは、「百姓の仕事ほど思いやりやいたわりの心が必要」で、これほど教育的な仕事はないと断言する。これはぐーたら農業を自負するオイラとしてはチクリとする言葉だ。氏はつづけて、最近は見栄えの良い商品が売れればそれでいいという風潮が拡大し、それは農薬や機械化やビニールハウスの多用などに至っていく。それは教育の荒廃とつながっていると指摘する。

 また、作者の父が遺してくれたのは「家も土地もお金も何も残してはくれなかったが、何かいちばん大切なものの種だけは、あの小さな畑にまいてくれたような気がしている。しかし、今のほうが日本の多くの親は、その種をまく場がなくなってしまった。農村には場があっても、<百姓などしても金にならねえだよ>といって、種をまくことをわが子に教えようともしない。農業小学校が、さまざまな意味で<種をまく>場になってくれればいいなと願っている」と、学校設立の動機を語る。

          さらに、山里の過疎化の進行の中でも、誇り高い老人の姿に畏敬しているという。「この老人の畑は美しい紋様をを作り出している。風紋のように自然で、けっして人が作ったものとは思えない。この老人の鍬は、力まず休まずいつも自然に動いている。この老人のからだの動き自体が畑にとけこんでいて、そこにその人がいることに気がつかないときさえある。…百姓にかぎらず、人間のするほんとうの仕事というものは、何かを作り上げることでも、掘り出すことでもなく、自然のみのりを待って耕すことではないかと。」 

 新コロナ緊急事態宣言が施行されている現在、あらためて「ほんとうの仕事とは」本来的にどういうものなのかを今西さんの言葉から示唆されたように思う。

 作家・地元・行政・父母との連携が実を結んだ事例だが、現在、今西さんの遺志を受けて、2011年9月に「仁(ジン)の丘農園」としてその跡地に体験農園がオープンしている。ついでに、この藤野町に「パーマカルチャー」という生態系と農業との共生をめざす施設( 1996年同町で設立、日本のパーマカルチャー運動の拠点)があるのも前々から注目していて門の前まで行ったこともある。オーストラリア人が提唱した生き方で、今西さんの考えに近い。しかし、オイラはそれは二宮尊徳をはじめ江戸時代から日本にすでにあった考えではないかと思っている。つまりは「里山」という思想だ。

 「種蒔く人」の精神を風化させてはならないが、自分なりにできることは何かを模索していきたいものだ。         

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