goo blog サービス終了のお知らせ 

山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

そうだ「千歯こき」があったっけ

2020-02-19 22:44:01 | 特産品・モノ

 収穫してあった「エゴマ」の実を脱穀しなければとあわてる。エゴマの枝を長いままなら先日修理したばっかりの足踏み脱穀機でできるのに、なんと丁寧に穂ごとに収穫していたのでこれは使えない。そこで想い出したのが「千歯こき」だった。さっそく倉庫から取り出す。

        

 千歯こきの裏側を見ると2cmほどの釘が取れている。これだと安定しないどころか鉄の歯が崩れてしまいそうだ。またしても修理が必要になった。この「千歯こき」も近所の人からいただいたものだった。全体的にはしっかりしている。

              

 鉄の歯をブラシで磨いてみたら、いちばん左側から「大正元年」の文字がでてきた。そうか、大正元年(1912年)に製作されたものに違いない。次に、いちばん右側の歯も磨いたら「農工○○○○」と解読できない。きっと、鍛冶をやった人の名前かもしれない。字体がとても特徴ありすぎる。大正に入ると足踏み脱穀機が全国を跋扈する。そんななかでの千歯こき生産なのできっと起死回生の技術や心意気が込められているようにも思う。

             

 表の土台の木には「農工社」の焼き印がしっかり押されていた。どこの地域の会社かわからないが、鉄釘を作る鍛冶屋が製作する傾向が多かったようだ。横には十字に「提携」という文字だろうか。いや、大正だから右から左に読むべきだとするが解読できない。修理やメンテナンスに追われ、いつものようになかなか脱穀に至らない。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ルッコラにバッタがいた

2020-02-18 20:31:57 | 生き物

そろそろ終わりかけたルッコラ(ロケット)を収穫しようと、寒冷紗を持ち揚げたら、なんと目の前に大きなバッタがいた。動かない。さすがに寒さが効いているのか、ほとんど動かないが死んではいない。日光浴をしていたようだった。バッタの同定は保護色に惑わされて意外にむずかしい。

 調べてみると、「ツチイナゴ」のようだった。ふつう、この季節はバッタの多くは生息していないが、ツチイナゴは成虫のまま冬越しして6月くらいまで生き抜くという。つまり、冬に見られるバッタと言えば、その多くは「ツチイナゴ」だということでもある。眼の下の黒い涙のような模様があること、頭から尾まで黄白色の真っ直ぐなラインがあることが特徴だ。まさか、この季節にバッタに出会うとは思わなかった。また、来年逢いたいね、ごきげんよう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

コショウの仲間だけど知られていない「フウトウカズラ」

2020-02-17 21:05:52 | 植物

 浜松市の奥庭「秋葉ダム」の森で赤い実があるツル性の植物を発見。葉の様子から「フウトウカズラ」(コショウ科)だったが、赤い実を見るのは初めてだった。

       

 花は4~5月、実は11~3月。秋の実はオレンジ、冬から赤になる。ふつうは海岸近くの暖かい森に生育するが、それが天竜の山奥でときどき目撃できる。沖縄では香辛料として沖縄そばに振りかけるという。味はコショウほどではないが、穏やかな辛みがあるらしい。

         

 果実より「葉」を煎じてお茶として飲むほうがうまいともいう。この葉や茎を風呂に入れて薬湯にすると、神経痛や打撲に効く。こんどまた会ったら、ぜひお茶にしてみたい。

   フウトウカズラを喜んでいる場合ではない。マスコミと総理との癒着を報道するヤッフーニュースを発見。大きなメディアはもちろん報道せず、ことの重大性に沈黙。

「(店名)にて、いつもの腐れメンバー(朝日:曽我、毎日:山田、読売:小田、NHK:島田、日テレ:粕谷、日経:石川、田崎しゃぶ郎)と総理はご会食なされました」 

ここは個々の参加者というより、参加の形態に注目したい。何れも日本を代表するメディアから1人が参加している。これが会食の肝であり、同時にそれが問題点であることは後述したい。 
この安倍総理と「くされメンバー」との会食は度々批判されてきた。それは、森友、加計問題から桜を見る会の問題にいたるまで、国民の多くが抱いている疑問に総理とその政権が応えていない中で、メディアが取り込まれているという印象が強くもたれているからだ。特に、桜を見る会については安倍総理は勿論、夫人の関与も明らかになっている。こうした中で「いつもの」のメンバーが総理と会食したという事実は、ジャーナリストの見識の無さを物語って余りある。

  情報は権力を持った人間に集まる。それは日本でもアメリカでも同じだ。その情報は、あらゆる人に対して甘い蜜を発する。だからアリが蜜に吸い寄せられるように日本のジャーナリストは権力に群がろうとする。 

しかし、そうして得られる情報は、権力の側に都合の良いものであるケースがほとんどだ。結果、日本のメディアには権力側の広報機関のような報道が蔓延することになる。  (立岩陽一郎「インファント」編集長、より)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雨煙る過疎地は山紫水明の画となった

2020-02-16 20:18:43 | 風景

 きょうは一日中雨だった。癌に侵された畏友に会うためにゆるりと国道を走る。その途中の景色は過疎地の魅力を遺憾なく発揮する水墨画となった。横にたなびく霧は旨みを醸成する山のお茶栽培の高さと一致する。

 

 しばらく雨が降っていなかったので川の水量は少なかった。それは同時に、台風や大雨で上流から流されてきた土砂が川床をかさ上げしている現状にある。その土砂を浚渫する重機はもう山の河川の風景にすっかりなじんでしまった。これをしないと自然災害も多発する。

 

 中学校も山と川に挟まれ、まさに山紫水明の絵画に包囲されている。こんな環境のなかに育った子どもたちは自然と共に生きる人間力が育まれていく。都会のぎすぎすした人間関係に汚染された子どもやおとなはここにはいない。

 

 往年は山で生業が成立するほどに、山で暮らしができていたのに、今は山の中では生活できない。急峻な山の中にも大邸宅があったのに今では空き家と崩壊家屋しか見当たらない。さらには、樹種が杉・檜しか植えていないので動植物の行き場がなくなり森の多様性も崩れてしまった。森は経済価値からしかみない市場となってしまった。日本の針路を描く羅針盤は景気浮揚にすべてが動員され、経済効率がないものは価値ないものとされた。人間も経済効率を生まない人間は役立たないものとされた。

 その意味で、この山紫水明の過疎地こそ人間を再生し、生きる多様性のヒントを見せてくれる。山野を潤すこのたなびく雲は過疎を生きる民衆の心を清廉にしてくれる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

杉田俊介『長渕剛論』を読む

2020-02-15 22:14:58 | 読書

 『宮崎駿論』を書いた杉田俊介氏が『長渕剛論』(毎日新聞出版、2016.4.)を書いてあるのを知って、ついつい読んでしまった。彼の曲のCDを車に取り込んでよくドライブしたものだった。彼が故郷を去り、東京に夢を載せようとするがやはり現実に直面して苦闘する煩悶が随所に痛みとなる。その心の揺れ・心情が歌の魅力だった。

 東日本大震災があったときの暮れ、紅白歌合戦の番組のさなか被災地から祈りの歌をライブした彼の歌とメッセージは感動的だった。すべて被災地で鎮魂の歌をライブするぐらいのNHKでほしかった。その意味で、長渕剛の民衆と共にある魂を高らかに示した。

        

 しかし、野外での彼の周りのファンが持つ日の丸の波には違和感を禁じ得なかった。それは著者も同じ思いだった。それは長渕剛がもつ愛国心とナショナリズムとの微妙な矛盾がマッチョな肉体から醸し出されていることが心配だった。

             

 個人的には、長渕剛の作詞の流れと彼の心身の出来事とを編年的に分析してほしかったが、作者はそういうことより長渕剛の「男らしさ」・「弱さ」・「怒り」などその背負ったものと作者の生き方との向き合い方から格闘していったのだった。彼のアクの強いメッセージソングのなかで、自分の生い立ちを哀感を込めて歌った「ふるさと」・「鶴になった父ちゃん」が心を射る。ここが彼のルーツであるのを感じる。

        

  著者に共感したのは、長渕剛の歌には民衆の悲哀を受けとめようとする「優しさ」があり、言われなき「差別」や権力乱用への「怒り」・「ふざけんじゃねえ」があり、それはまさに「フォークソング」の原点が貫かれている、という指摘だ。

 ややもすると、ニューミュージック以降、歌の流れからは、生活感を削ぎ落し、民衆の寄る辺ない混沌・慟哭を削除してしまった。その結果、音楽界の時代への忖度と商業化がはびこる現在がある。

 その意味で、真っ向勝負で民衆と寄り添う姿勢を貫く長渕剛の魂は、ひとり一人の心に生きる希望を灯している植林作業のように思えた。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

畑に来ている春の使者

2020-02-14 21:49:04 | 風景

 いよいよ、畑に残っていた黒マルチを除去し、来月には元肥を入れていくことになる。そんな人間の動きより前に、梅は先月末から白い花を着けている。今月に入ってからはいっそう華やかさを増している。

       

 石ころだらけの荒れ地にやっと花をつけてくれた畑の隣の梅。昨年はほんの少ししか実を着けなかったが今年はどうだろうか。とにかく、4本植えたなかで1本だけ生き残った梅なので、生きているだけでも万歳と言いたいくらいなのだ。

 

 春の到来の指標ともなっている「カンヒザクラ」の花が真紅の蕾を準備していた。桜の体内時計は地球の温暖化に攪乱されてはいるのだろうが、準備だけは着々とやっているところがグータラのオイラとは違うなーと感心する。シデコブシやシモクレンも硬い蕾をいっぱい着けて春の到来のチャンスを窺っていた。肉体労働をいよいよ要請する春が隣に来た。   

  

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山のハッサクを収穫する

2020-02-13 20:07:40 | 出会い・近隣

 天竜のセニョール農園の急峻な山のハッサクを収穫に行く。今年は生り年だそうで一日では採りきれず二日にかけて剪定を兼ねて収穫する。収穫した半分は介護施設にお裾分けする。

 

 先輩のセニョールさんは、オイラが「入植」したときの畑の師匠だった。それこそ訪問するたびに、さまざまな種類の野菜をいただいた。それを植えては増やしたりして、今ではセニョール遺産とでもいうような野菜がいまだにわが畑に健在なのだ。

 

 きょうはブラボーさんにも応援をいただき一緒に入園する。あっという間にハッサクと甘夏をすべて収穫することができた。近所の人からは「うちでもハッサクはあるけど伸び放題で手も届かないしもうずいぶんと収穫もしていない」と助っ人がいることが羨ましそうだった。そのかたにもお裾分けする。セニョールさんの果樹への愛情をこれからしばらくオイラもありがたくいただくことにする。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

手打ち蕎麦講習会に参加する

2020-02-12 20:16:06 | 食彩・山菜・きのこ

 野外施設を運営する「はるの山の楽校」から声がかかり、急遽「手打ち蕎麦講習会」に参加することになった。この近辺の集落では、女性部を中心に手打ち蕎麦会をそれぞれでイベントとして開催している。その研修会を兼ねた取り組みのようだった。

          

 講師は「山の楽市」で蕎麦打ちボランティアをしてくれた元営林署職員の木下さん。丁寧にわかりやすく教えてくれた。教科書通りではない体験を交えた話は初めて耳にすることも多かった。講師のそば切り包丁はさすが優れた逸品だった。

 

 参加者20人ほどが講師の手ほどきを受けながら自分たちで作っていく。麺を伸ばして四角にするのが難しかったようだった。オイラも練り鉢・のし板・麺棒・麺切り包丁を持参して参加したが、1年に1回しかやらないので感覚を忘れてしまっていて、菊練りの要領もすっかり忘れていた。

        

 山の楽校らしく茹でるのは外で行うのが気に入った。麺が太い場合と細い場合とでは茹で時間が45秒~90秒近くの落差がある。茹でられた蕎麦をみんなでいただく。地元の人が材料の準備からネギ・シイタケの素揚げ・天ぷらなどを用意してくれたので、スムーズに食べることもできた。行事はこうでなくちゃ。主催者の負担が大きいのでサポーターを組織できるかどうかが鍵なのだ。それには主催側の心配り・使命感・人間的な姿勢などが問われる。

 地元のさわやかなサポートを目にしながら、腰のある手打ちそばが小さい胃袋をパンパンにした。ごちそうさま。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ジャケツイバラ・マップを作ったよ

2020-02-11 21:26:08 | 植物

 2011年ごろ、和宮様の恩師が貴重な植物の「ジャケツイバラ」を教わって以来、春野町で初めて直接目撃したという。それ以来毎年のように国道や県道から見えるジャケツイバラを探し続けた。

     

 その結果、約30本近くを確認する。それを地図に落としてどのへんに分布しているのかを確認した。ジャケツイバラの棘は半端ないので周りの樹木も餌食になるうえ、人間が通るときも手痛い障害となる。そのため、ずたずたに駆除されてしまう。

           

 そうすると生存するためには、人間が行かない崖とかトンネルの上とかしか生存できなくなる。地図ではまさしくそういう結果が出ていた。人間不信となったアウトローはそこで群落を増やしているのがわかる。反面、道路に近い所にあったジャケツイバラの姿は消えていった。天竜区全体を調べてみたがとても広くて時間がかかるので、よく通る国道・県道に絞って毎年5月連休前後に確認する。これでも、10年近くかかっているズブズブのマップなのだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エビスグサのハブ茶を飲む

2020-02-10 20:25:42 | 食彩・山菜・きのこ

 一昨日に「唐箕」でごみ取りしたエビスグサは、約1500gもあった。もう少し早めに収穫していたらこの2~3倍はあったと思われる。すべてこぼれ種が「畑に」野生化したもので手がかかっていない。ありがたい。こぼれ種をあらかじめ期待している「パラサイト」となったおいらだった。

         

 一掴みのエビスグサの実をフライパンで焙煎する。まもなく、いい匂いがして来たころ、急須にいれて熱湯を注ぐ。この香りがとてもいい。

         

 麦茶か紅茶かと思われる色合いだった。飲んでみると濃い麦茶の味がした。二煎目以降になるともっと濃くなってきて酸味の強いコーヒーのようだった。飲み過ぎて胃が重くなってしまった。薬効は広くとくに成人病・視力回復に良いとされているがまだ研究は発展途上のようだ。やはり、漢方薬だったので飲み過ぎはいけません。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする