田舎生活実践屋

釣りと農耕の自給自足生活を実践中。

進軍ラッパ (2007/7/19)

2007-07-20 00:03:26 | 戦前・戦中の日々
田舎生活の好きな皆さんお元気ですか。
母の危篤状態を知った翌日から、昏睡状態にあった私の父が、今日の夕方千葉の姉に見守られてなくなりました。
昨日の27人の宴会のメンバーの一人は、お前が幹事で準備していたから、それが終わったのを見届けて、去っていったのだと。
目頭が熱くなりました。
父は、文章を書くのが好きで、誰が読むわけでもないのに、年取ってからもよく、書き散らかしていました。
下の「進軍ラッパ」は故郷の四国今治の昭和のはじめの思い出で3年前病床で書いたもの。
今治は花崗岩質で、川底は花崗岩が砕けた真っ白な石英、長石、水のきれいな川が総社川で、その上流に鈍川温泉というのがあります。
そこに小学6年の時、遠足に行ったとか。
少し歩くと、田舎、当時は、陰湿ないじめ、などなかったと分かります。


進軍ラッパ

私が小学6年生だった時、担任の村瀬晃夫(てるお)先生が一つの提案を提出した。その頃は3月10日は陸軍記念日、5月27日は海軍記念日で、この日は各小学校は遠足をする慣わしだった。
気候が暖かかったので、この先生の提案は5月27日だったのだろう。
 先生の案は、小学生最後の遠足なので、今治から約4里ある鈍川温泉まで歩いて往復しようというのである。
組に藤井貞夫といる太めで足の弱い生徒がいた。
ほかの連中は先生の案に大賛成で、行こう行こうと大騒ぎであったが、藤井一人はぼんやりしていた。
往復8里は彼にとって夢のような話だった。
これに気付いた、騒ぎ立っていた同級生も一応静まり、さて、彼をどうするかに案の主題は移った。
①休ませる
②皆で助け合って連れて行く
 長時間の討議の末、彼を連れて行くことに決定した。
イザという時は交代に肩を入れて連れて帰ることになった。
藤井は始め渋っていたが同級生の熱意に喜んで参加することになった。
 さて、当日、私達は鈍川温泉に到着。
子供らしく川の中に入り、散々面白く遊んで、帰途に着いた。
問題はその時起こった。
当時、蒼社川の土手は郷橋から上は人家も無く何百本もの松林になっていた。
この松林の直前で、藤井が歩けなくなったのである。
皆は決心どおり藤井の肩に両方から肩を入れて担いだ。
 その時である。先頭にいた富田紫郎(しろう)が寥々と進軍ラッパを吹き始めた。疲れ気味の全員の足が軽やかに動き出し、藤井の両脇に肩を入れた生徒にも力が入った。
富田の進軍ラッパに先生も驚いていたが、何も言わなかった。
それから約一里、この進軍ラッパは四方に響き渡り、藤井も無事に帰り着いた。
 富田紫郎は、後に今治第一尋常高等小学校の校長になった。
この時遠足に参加した63名の同級生は後々この進軍ラッパに励まされたものだ。

私の近所に藤井商店という八百屋がある。
その主人は貞夫といい年も一緒なので、この時の藤井かと思ったが違っていた。

コメント (7)
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