田舎生活の好きな皆さんお元気ですか。
昨日は、気持ちのいい初夏の青空のもとコーラル丸で関門に釣り、今日は、梅雨いりか朝からシトシト雨の中、妻と竹田農園で、サツマイモの植え付けでした。
(二匹目のどじょう)
薩摩隼人のO氏、冒険家のM先生、郷土史家のT氏など、6人の釣馬鹿がコーラル丸朝6:30分乗船。
気持ちのいい朝の潮風を浴びながらアジポイントの新日鉄近くに。
釣れるは釣れる丸々太ったアジがひっきりなしに竿を曲げる。
ビールをクーラーボックスから出す暇もない。(下の写真)
いけすは、ほどなく、アジの群れ。
潮が止まると、ピタリと食いが止まる。
川端船長が、キスに行こうかと。
関門海峡の日本海からの入り口に位置する馬島沖まで移動。
キスがポツリポツリ。
O氏が10センチ程のハゼに似た小魚を釣り上げる。
これをバケツに入れて生かし、このあたりに住むマゴチを狙う。
先週、津屋崎沖でヒラメを同じようにして釣ったので、そのとき一緒だった冒険家M先生に、二週連続で大物ゲットを披露しようと、投入。
20秒しないうちに、突然、海面に竿を引き込むような強い引き。
あわててリールを巻くと、ずっしりと重い。
来ました。
「タモ! 」と叫びかかると、フッと軽く。
釣り損ねました。
隣で釣っていたT氏、笑いながら、「合わせが早すぎ」と。
さすがベテラン、よく見ておられる。
あと5秒待てばよかった。
二匹目のドジョウは、食い逃げでした。
帰宅して、アジは4匹は刺身、残りの16匹は一夜干し。
(雨中の農作業)
週末に近くの種苗店で買ったサツマイモの苗80本、今日植えなくては、もうチャンスはない。
天気予報は雨が降ったり止んだり。
朝8時、妻と竹田農園に。
雨はシトシトやむ気配無し。
麦わら帽子に厚めのジーパンを身に着けると少々の雨も苦にならない。
長さ15メートルの畝を3畝耕し、苗を植えつける。
傘代わりの麦わら帽子を交換すること3度、3時間ほどで作業完了。
立派なイモ畑が現れました。
お盆過ぎ、イノシシの大群と知恵比べに勝利し、秋には毎朝、自家製のサツマイモを焼いて食べることを確信。
(江藤正翁とバーベキュー)
雨で泥まみれのジーパンと上着を持ってきていたシャツ・ズボンと着替え、バーベキューの炭火を雨の当たらない軒先に持ってきて、温まると人心地。
昨日釣ったキス・サヨリを金串に刺して、遠火であぶる。
昼ごはんの準備が出来た頃、隣に住む、江藤正翁(元南海ホークスのエース)に飲みませんかと。
雨が降るので、竹田農園の母屋の縁側にテーブル、椅子を並べ、上り口に炭火を置き、キス・サヨリ、ソーセージ等、あり合わせの食材をビールの肴に。
一働きしたあとで、おいしいこと(冒頭の写真)。
江藤翁も、「釣りたての魚、メバルもこの魚(キス)もいつ食べても美味しい。」とおほめの言葉。
ビールを飲みながら、江藤翁の引き込まれるような、楽しい話。
下に記録。
①復員して、野球のことは考えてもいなかった。
知り合いの新聞記者(?)から、「製門戦(八幡製鉄と門司鉄道管理局の野球の試合。戦前から早慶戦のような人気)を再開したい、八幡製鉄は選手が揃ったが、門司鉄道管理局は選手が足りない、投げてくれないか」と。
「4年ブランクがあり、無理です」と答えるも、どうしてもというので、出かけて行き、キャッチボール、「投げてくれ」となり、そのまま、国鉄に入社、投げた。
投げるとシャットアウトしてしまった。
②親しかった友人は、ほとんどが、22歳とか23歳で亡くなった(戦死)。
学徒出陣のあと、満洲の士官学校で訓練をうけ、そのまま、南方に。
しかし、台湾まで来た時点で、それ以上進んでも、船が沈められるだけと、台湾に留まる。
同じ大隊の25人の士官が挨拶に台北の陸軍本部に行くと、事務軍曹が「済みませんが、○○さん、・・・は沖縄に行ってください」と15人はその場で沖縄に。
当時、アメリカ軍の上陸はまず、台湾と考えられており、沖縄は、安全と考えられていた。
上陸が予想される、台湾の南端のビーチに江藤翁も野戦重砲の陣地を構築し、準備。
しかし、素通りして、アメリカ軍は沖縄に。選抜された15名は、全員戦死。
紙一重の生死。
③自分が野球をしていた当時の面々で生きているのは、川上のテっちゃんくらい。私より2年先輩で、熊本工業。
吉原という良いキャッチャーがおり、そのキャッチャーと一緒にジャイアンツに入団した。
最近どうされているのか、あまり、マスコミで耳にしなくなった。
④野球やめてから(全盛は昭和17年当時で、この年、東京六大学は野球は戦争で中止、以降、5年間野球は無し。野球を再開してからの選手期間は短かった)NTTでの仕事がつらかった。
労務担当はきつい。
よくやめずに30年働いた。
通勤には片道電車で2時間半といったところが、10年続いたが、つらいとは思わなかった。
体がもった。
⑤父親には一度も怒られたことがない。
人をいじめるような、悪さをしなかったが、父親のビールを飲んだり、タバコを吸ったりはしょっちゅう。
父親は知っていたが、一度も怒らなかった。
⑥今は家に一人でいても、することがない。
一日が長い。
意識的に外に出ている。
パチンコが多い。
自転車でバス停まで田んぼのあぜ道を1キロあまり走り、そこでバスに乗り、町に。
別に金儲けするつもりもなく、2時間ほどで引き上げる。
座っていると腰が痛いが、不思議に自転車では何ともない。
今まで、お金でくろうしたことがない。
先月、満で86歳。
振り返ると、いろいろな経験をさせてもらい、石原裕次郎ではないが、「わが人生に悔いなし」だな。
来週、日曜、月曜と小倉室町のラーメン屋のI氏、M画伯、冒険家のM先生など、12名で九重高原に一泊二日のローカル線の旅。トイレ付の車両で、ビールをガブガブの予定。
昨日は、気持ちのいい初夏の青空のもとコーラル丸で関門に釣り、今日は、梅雨いりか朝からシトシト雨の中、妻と竹田農園で、サツマイモの植え付けでした。
(二匹目のどじょう)
薩摩隼人のO氏、冒険家のM先生、郷土史家のT氏など、6人の釣馬鹿がコーラル丸朝6:30分乗船。
気持ちのいい朝の潮風を浴びながらアジポイントの新日鉄近くに。
釣れるは釣れる丸々太ったアジがひっきりなしに竿を曲げる。
ビールをクーラーボックスから出す暇もない。(下の写真)
いけすは、ほどなく、アジの群れ。
潮が止まると、ピタリと食いが止まる。
川端船長が、キスに行こうかと。
関門海峡の日本海からの入り口に位置する馬島沖まで移動。
キスがポツリポツリ。
O氏が10センチ程のハゼに似た小魚を釣り上げる。
これをバケツに入れて生かし、このあたりに住むマゴチを狙う。
先週、津屋崎沖でヒラメを同じようにして釣ったので、そのとき一緒だった冒険家M先生に、二週連続で大物ゲットを披露しようと、投入。
20秒しないうちに、突然、海面に竿を引き込むような強い引き。
あわててリールを巻くと、ずっしりと重い。
来ました。
「タモ! 」と叫びかかると、フッと軽く。
釣り損ねました。
隣で釣っていたT氏、笑いながら、「合わせが早すぎ」と。
さすがベテラン、よく見ておられる。
あと5秒待てばよかった。
二匹目のドジョウは、食い逃げでした。
帰宅して、アジは4匹は刺身、残りの16匹は一夜干し。
(雨中の農作業)
週末に近くの種苗店で買ったサツマイモの苗80本、今日植えなくては、もうチャンスはない。
天気予報は雨が降ったり止んだり。
朝8時、妻と竹田農園に。
雨はシトシトやむ気配無し。
麦わら帽子に厚めのジーパンを身に着けると少々の雨も苦にならない。
長さ15メートルの畝を3畝耕し、苗を植えつける。
傘代わりの麦わら帽子を交換すること3度、3時間ほどで作業完了。
立派なイモ畑が現れました。
お盆過ぎ、イノシシの大群と知恵比べに勝利し、秋には毎朝、自家製のサツマイモを焼いて食べることを確信。
(江藤正翁とバーベキュー)
雨で泥まみれのジーパンと上着を持ってきていたシャツ・ズボンと着替え、バーベキューの炭火を雨の当たらない軒先に持ってきて、温まると人心地。
昨日釣ったキス・サヨリを金串に刺して、遠火であぶる。
昼ごはんの準備が出来た頃、隣に住む、江藤正翁(元南海ホークスのエース)に飲みませんかと。
雨が降るので、竹田農園の母屋の縁側にテーブル、椅子を並べ、上り口に炭火を置き、キス・サヨリ、ソーセージ等、あり合わせの食材をビールの肴に。
一働きしたあとで、おいしいこと(冒頭の写真)。
江藤翁も、「釣りたての魚、メバルもこの魚(キス)もいつ食べても美味しい。」とおほめの言葉。
ビールを飲みながら、江藤翁の引き込まれるような、楽しい話。
下に記録。
①復員して、野球のことは考えてもいなかった。
知り合いの新聞記者(?)から、「製門戦(八幡製鉄と門司鉄道管理局の野球の試合。戦前から早慶戦のような人気)を再開したい、八幡製鉄は選手が揃ったが、門司鉄道管理局は選手が足りない、投げてくれないか」と。
「4年ブランクがあり、無理です」と答えるも、どうしてもというので、出かけて行き、キャッチボール、「投げてくれ」となり、そのまま、国鉄に入社、投げた。
投げるとシャットアウトしてしまった。
②親しかった友人は、ほとんどが、22歳とか23歳で亡くなった(戦死)。
学徒出陣のあと、満洲の士官学校で訓練をうけ、そのまま、南方に。
しかし、台湾まで来た時点で、それ以上進んでも、船が沈められるだけと、台湾に留まる。
同じ大隊の25人の士官が挨拶に台北の陸軍本部に行くと、事務軍曹が「済みませんが、○○さん、・・・は沖縄に行ってください」と15人はその場で沖縄に。
当時、アメリカ軍の上陸はまず、台湾と考えられており、沖縄は、安全と考えられていた。
上陸が予想される、台湾の南端のビーチに江藤翁も野戦重砲の陣地を構築し、準備。
しかし、素通りして、アメリカ軍は沖縄に。選抜された15名は、全員戦死。
紙一重の生死。
③自分が野球をしていた当時の面々で生きているのは、川上のテっちゃんくらい。私より2年先輩で、熊本工業。
吉原という良いキャッチャーがおり、そのキャッチャーと一緒にジャイアンツに入団した。
最近どうされているのか、あまり、マスコミで耳にしなくなった。
④野球やめてから(全盛は昭和17年当時で、この年、東京六大学は野球は戦争で中止、以降、5年間野球は無し。野球を再開してからの選手期間は短かった)NTTでの仕事がつらかった。
労務担当はきつい。
よくやめずに30年働いた。
通勤には片道電車で2時間半といったところが、10年続いたが、つらいとは思わなかった。
体がもった。
⑤父親には一度も怒られたことがない。
人をいじめるような、悪さをしなかったが、父親のビールを飲んだり、タバコを吸ったりはしょっちゅう。
父親は知っていたが、一度も怒らなかった。
⑥今は家に一人でいても、することがない。
一日が長い。
意識的に外に出ている。
パチンコが多い。
自転車でバス停まで田んぼのあぜ道を1キロあまり走り、そこでバスに乗り、町に。
別に金儲けするつもりもなく、2時間ほどで引き上げる。
座っていると腰が痛いが、不思議に自転車では何ともない。
今まで、お金でくろうしたことがない。
先月、満で86歳。
振り返ると、いろいろな経験をさせてもらい、石原裕次郎ではないが、「わが人生に悔いなし」だな。
来週、日曜、月曜と小倉室町のラーメン屋のI氏、M画伯、冒険家のM先生など、12名で九重高原に一泊二日のローカル線の旅。トイレ付の車両で、ビールをガブガブの予定。