石碑調査(栃木県限定)と拓本等について(瀧澤龍雄)

石碑の調査(栃木県内限定)を拓本を採りながら行っています。所在地などの問い合わせは不可です。投稿は、実名でお願いします。

2010年10月2日は日光市の石仏巡りでした

2010年10月04日 | Weblog

 10月最初の石仏巡りは、9月11日以来の日光へ行きました。最初に訪れたのは、ここへ掲載した写真箇所である、その前回最後に訪れた日光市七里地区の碑塔群です。もちろん、ここにある庚申塔と道祖神は前回に調査してあるので、今回はそのどれもが土中に没していたために今回に繰り越した碑塔調査です。そんな訳で、調査第一号は大きな自然石に刻まれた弁財天碑からです。これは問題なかったのですが、次の如意輪観音様が乗っている台座を掘り返すのは些かてこずりました。中に拳大の石が混ざっているために小さな移植スコップではなかなか歯が立ちませんでした。それでも強引に掘り進めて行って、銘文やら紀年銘を解読。続いて、この写真には移っていない後ろにはもっと深く埋もれている家畜塔が4基あり、文字は読めるようになっても今度は写真が撮れない始末にウンザリしました。その後は石屋町へ行き、相変わらず周辺をうろついての碑塔探しでした。その結果、今回はこの石屋町で思わぬ碑塔との巡り会いがあって、一人で舞い上がってしまいました。そのため、竜造寺墓地に連なる崖で、頭を思いっきり岩に打ちつけ、暫くぶりに眼から花火が出ました。もっとも、崖の途中に祀られている石仏を抱えたまま、崖下まで落ちなかっただけでも良しとしなければならない状態でしたが…。その痕は今も、大きなタンコブとなっています。それでも、それに負けぬ長年捜し求めていた碑塔の拾い物をしたのですから、私的には大満足な一日でした。
 その後、相変わらず日光図書館へ行き、吉新館長さんと雑談を交わしながら、今回も2箇所の庚申塔所在地を教えてもらう。その二箇所とも、すぐ近くまでは何度か探しに行っていた場所なので、何の苦労も無く到達。といっても、地元の方でも滅多に入らぬ山深い中にあります。それにしても、日光の庚申塔探しは最後になって強力な助っ人が現れ、何とも嬉しい限りである。これで現時点で漠然ながら知られている日光地区の庚申塔100パーセント実見まで、あと数基と迫りました。もっとも、その間に持ち出したことは分かっているのだが、その先が追跡できぬ庚申塔が約20基ほどある。この難問題をどう解決するかがこれからの大きな課題になるだろう。
 それにしても、日光は東照宮周辺でさえ早くも色づきはじめている。やはり、秋なのである。そんな、帰るには少し早い時間を暫くぶりに山内の開山堂へ行き、稲荷川を含めた周辺の景色を楽しんだ。
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