石碑調査(栃木県限定)と拓本等について(瀧澤龍雄)

石碑の調査(栃木県内限定)を拓本を採りながら行っています。所在地などの問い合わせは不可です。投稿は、実名でお願いします。

2011年2月05日、宇都宮市の石仏巡り

2011年02月06日 | Weblog

ポカポカ陽気の中を、相変わらず宇都宮市内の石仏巡りです。コートを脱ぎ、身軽なセーターだけで一日を過ごすことが出来ました。あの、数日前まで、毎夜寝る前に水道の元栓までも締めなければ翌朝に顔も洗えなかったのは、何だったのだろうと苦笑しています。
 さて、今回も予想していたとはいえ家畜塔が中心の石仏調査となりましたが、それでも今回は一日で4基もの近世宝篋印塔と向かい合うことになり、それだけでも結構な時間を消費してしまいましたが、そもそもの今回の目的がこの宝篋印陀羅尼経からの偈文を求めてのものだけに、嬉しい悲鳴をあげることになりました。これで、現時点での宇都宮市では30基を越えることになりました。目標は、足利市を抜いての50基だから何とか半分は消化したことになります。
 そんな今回の宝篋印塔の中に、ここへ掲載した写真のような栃木県での掘り出し物を見つけました。それは、基壇に三猿姿が刻まれていたことです。何しろ、この手の庚申信仰に元ずく宝篋印塔は、ようやく二基目という希少価値だけに、まずは焦らずに塔を覆っていた枝の剪定から始まり、絡み付いている蔦類を取り除いてから写真を撮りました。ただ、余りにも磨耗と剥離が進んでいて、肝心の軸部にある銘文は全く読めませんでした。それでも、目に入る墓地があると億劫をいとわずに見て歩いている成果だと思い、それが今回のような嬉しい思いが出来るのだろう。それにしても今回は、碑塔調査数が少なかったです。特に午前中は、たっぷりと3時間以上をもうろついたのに、探し出せたのは15基ばかりと実り少なく少なからず焦りました。それでも午後の部は、過去に調査済みの場所があったので一気に数を増やして本日の石仏巡りを終了する時には42基を数えることが出来ました。
 さて、次回も今回の場所を引き続いて巡ります。予定では今回で終わらせるつもりだったのだが、幾つかの場所が未調査地区として残ってしまいました。また、午後の逆光で何としても写真が移らないものがあったので、それも再訪問しようと考えています。
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