今回は、鹿沼市の私にとって注目すべき石造物の最終精査というのか、要するに拓本採りに出かけた。農作業で痛めた腰をかばいながらの手拓作業だったが、何しろ午前中に1基と午後に1基と言う有様なのでのんびり、どうにか今以上に腰を悪くすること無く、これで鹿沼市の拓本採りは無地に終了しました。そんな空き時間に、周辺の石仏調査も行い、今回は特に栃木県では珍しい(私にとっては、初めて目にした使用例)「十九夜供養」の「供養」の文字「供」にニンベンが抜けて「共」となっていました。これって「珍しい」と騒ぐのは私一人なのでしょうか?念のため、下にその台座だけをアップしましたのでご笑覧ください。なお、本体と台座は別々に置かれていました。
そうそう、場所は鹿沼市上久我 寺畑地区の観音堂境内です。その他、色々あるのですがここでは紹介し切れませんので、別HPの方へ近いうちに掲載しようと思っています。なお、同地片隅に板碑の上部だけが置いてありました。古そうなので、紀年銘が欲しかった板碑でした。