今は、一年でも特に手拓作業に最適な季節。それだけに、栃木県内各地を毎週飛び歩いている。特に、過去の石仏巡りでその所在を確認していながら、当時は石仏調査に忙しくて手の回らなかった碑文を訪ね歩いている。そんな訳で、今回はやがて那須降ろしの冷たい北風が吹く前にどうしても欲しかった石碑を調査しに行った。それは、当地出身ながら晩年にキリスト教に興味を持ち、駿河台でニコライ師に学んだ人の顕彰碑です。当地方面へ来たのは、過去の石仏調査原簿に1997年とあるから当然なのだろうが、その碑は酷い竹藪の中にあった。つくづくと、時代の趨勢を感じたが、その為に碑面の清掃に一時間以上も費やす結果となる。本来なら、汗などかくはずもない快適な秋晴れの一日だったが、その掃除だけで全身汗びっしょり。加えて、その汗臭さに薮蚊が押し寄せて大変な目に遭う。結果的には、納得のいく拓本が取れたが、終わったのは午後も一時を過ぎていた。それでも、内容的には非常に面白いので大満足!。その後、別の場所へ移動したが、それは高い台の上に乗っていて、しかも石碑本体も手の届かない高さなので手拓は諦め、根気良く手写しての記録取りとなる。これだけで、本日はすでに午後3時を過ぎてしまったので終了。現地へは朝の8時半に来ていたのだから、気づけば昼飯も取らずに7時間余の連続作業。年寄りがここまで働けば充分と、帰路は田舎道を選びながら1時間余をかけてのんびり帰宅した。それにしても、今回の碑文も長文。まだ、全く手付かずのまま居間に置いている。何しろ、昨夜にやっと8月28日に手拓した石碑を清書終えたばかりなのだから、その石碑の清書作業に入るにはまだまだ日数が必要なようだ。
そうそう、ここへ掲載した石仏は、最初の訪問地でだった大田原市佐久山の薬師堂境内にある正徳元年銘の「念仏供養塔」である。「イ」種子があるのが嬉しい合掌型地蔵立像。明日、一日でまた週末が来る。今度は、もう少し遠い栃木県黒羽町まで出かけようと目論んでいるが、それにはやはり秋晴れの一日でなければならず、明日まで様子見としよう。