石碑調査(栃木県限定)と拓本等について(瀧澤龍雄)

石碑の調査(栃木県内限定)を拓本を採りながら行っています。所在地などの問い合わせは不可です。投稿は、実名でお願いします。

栃木県栃木市藤岡町の「鴎村先生碑(森保定先生)」の拓本画像ご紹介です。

2022年01月21日 | Weblog

今回の拓本は、現在進行中の「森保定」、通称・鴎村森先生または森保定として江戸末期から明治にかけて、主に当下野南部地区に於いて大活躍をした漢籍の大先生が県内に残された石碑を纏めようとして、最終段階での遺徳碑調査収穫です。いわゆる巨碑の部類に入る石碑なので、拓本を採る前にその碑面掃除に丸一日掛かりました。3メートルの高さに加えて、両面に銘文があり、特に碑表は一千四百余字の銘文があります。また碑陰にも六百文字余の銘文が有ながら、余りにもの汚れ用で碑表共々どこに一見しただけでは銘文があるのさえ判らない始末でした。それをせっせと持参した大量の水で、バケツとタワシで汚れを洗い流し、更にジョウロ持参で流れ落ちる汚れを洗い流しながら磨き上げました。
そして二回目は、朝8時から取り敢えず碑表だけの手拓作業として朝8時から開始。これまた、いつもの三脚では無理なので特別な梯子を持参して手拓作業となったのですが、高所の一人での全紙の水張だけで四苦八苦。何回梯子の上り下りを繰り返したやら。また、墨入れに入っても何度も何度も梯子を上り下りしての作業が延々と続き、結局はロクに休憩どころか昼食も取らずに続けて、何とか碑表だけで夕方(と言っても季節柄午後の三時には終了せざるを得ませんでしたが)まで掛かってしまいました。
その拓本、其の後は採ったままで居間に置いたまま2ヶ月近く寝せていて、結局は年を超えた一月に入ってから、パソコンに取り込みましたが、A4用紙で八十四枚という有様でした。拓本画像取り込みだけで疲れてしまい、ようやくそれを一枚の画像に仕上げる作業は今週に入ってから。これまた延々と八十四枚の画像を一つに仕上げるのに丸々二日を要しました。この段階で、もう拓本画像の処理は行いたくないとして、ここへ掲載した文字画像は一切の修正も加えずに掲載しました。尤も、こんなことになることは予想していたので、墨入れ時からいつも以上に細心の注意を払いながら作業をしたので、まあまあ何とか納得できる拓本だから出来た結果だろうと自画自賛ですが…。
さて、今度はこれを元に最初の明朝体による銘文起こしを、今夜あたりから始めなければなりません。揮毫者は「畫禅道者柴田達士道父書」(この方の情報が私には何も判りません。判る方からの情報をお待ちしています)と言う方で、特別に難しい?文字を使っていないので、今回の銘文清書は、いつもと違ってパソコンにある楷書体で作成してごまかそうと思っています。何しろ、全て作字文字にするとそれだけで三週間近くは必要になるので、降参状態です。ちなみに、撰文者は石碑撰文者として有名な仙台の岡千仭です。
そうそう、石碑の全景写真やら、その銘文掲載(碑陰も含めて)は、いずれにしましてもまだまだ先の事になりそうです。そんな訳で、今回は拓本画像だけの掲載にしました。当ブログでは許可されている最大画像サイズ(1920ピクセル)で掲載しましたが、それでも小さくて見にくいのは、それだけ大きな石碑でありながら多くの文字が詰まっているからです。とお笑い下さい。そしてついでに、どなた様か銘文の読み下しをお願いいたします(笑)。

 

 

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