五月三日、暫くぶりの栃木市藤岡町訪問なので、嬉々として出かけまして、早速にまだ朝の八時少し過ぎたばかりだというのに、事前連絡もなしに突然の山中氏宅訪問。半分は、早朝から突然の石碑調査に伺った訳なので、嫌な顔をされるのは当然と思いきや快く迎い入れてくださいまして、勿論拓本採りも快諾いただきました。石碑は、自宅庭に建立されていますが、何の気づかいもせずに自由に作業してくださいとのありがたいお言葉。早速に碑面をいつものように掃除してからまずは篆額部分を半切画仙紙を横にして水張。早朝という事もあり、風もなくルンルン気分で墨入れ迄難なく終了。しかし、それからがいけません。急に吹き出した風はとてもではないが水張の出来るような状態ではない。しかし、宇都宮くんだりからやってきたからにはそうやすやすと退散するわけにはいきません。全紙画仙紙を縦にして使えば、左側部分は半切画仙紙で十分すぎるほどのOK!。そして何としても水張したくて頑張ったが、所詮は強風の勝ちで、一枚目はものの見事に水張途中で吹き飛ばされてしまう。二枚目は、ガムテープを片手にして風と格闘しながら作業を進めたが、用紙の半分から下はどうにもならないシワだらけの水張となってしまった。両足の膝小僧迄、風と立ち向かってくれたのに…である。それでも、この風の中での画仙紙水張は実に何年ぶりだろうかと思うほど昔の事。やはり全紙など使わず、こせこせと半切用紙で水張すればこれほど見事に失敗しなかったろうにと反省するも、まあいつもの、「今回は銘文さえ読めれば良しとしよう」として墨入れに入る。が今度は、太陽が石碑全面に、しかもまだ五月に入ったばかりの暑さではないような直射日光。こればかりは逃げようもなく、水張した個所は見る間に乾いてしまう。仕方がないので、縦五文字づつの水張として直ぐに墨入れの作業を繰り返しを延々と続ける。墨の色が薄いだの、シワが入ってしまいみっともない拓本と嘆いている間もなく、とにかく銘文文字に墨を入れるのが最優先。そうこうして、結局は銘文が読めるだけの、昔に拓本採りを始めた頃の何とも情けない拓本に仕上がったものをそれでも急いで車の中に収容。剥がして、うっかり地面に置いて手を離せば、春風さんがスキを狙って遠くに持って行ってしまう有様なのである。たった半切画仙紙四枚分の拓本なのに、終了したのは午後の一時半になろうとしていた。嗚呼、イヤダ嫌だと自分を責めながらも、山中家の皆様に厚く御礼を述べてから、次の目的地へと向かったが、当然ながらもう拓本等を採るつもりは全くなくなっていました。
なお、碑面が茶色になっている個所は私が汚した箇所でなく、根府川石のために、内部劣化は始まっているためです。墨入れしただけで、その箇所はトントンと音が反響していました。やがて、ある日突然にパカッと剥がれてしまうのでしょうね。その前に、酷い拓本ながら手に入った喜びは大なるものがありました。本当に本当に、山中家皆様には大変お世話になりました、