毎週毎週石碑巡りをしているので、そうするとその調査資料は溜まるばかりで今ではその始末に手が回らなくなりました。そんな日々を過ごしているのですが、今回はそれを掲載する前に石碑調査をしている人たちに耳(いや目か)の痛い話です。
それは、栃木県だけに限っての話ではなく、全国的に言えることなのですが、石碑調査には、絶対条件としてその石碑の「拓本」が必要なのですが、全く無視されています。挙句の果てに、この頃ではスマホで撮影して文字を読もうという風潮がインターネットで騒がれているようですが、それは拓本を採れない者のたわごとに過ぎません。石碑の銘文はそんな手抜き作業で簡単に読める代物ではありません。「いや、見事に読んでいる」という方は、余程の条件の良い石碑に出会っただけに過ぎないのです。また、そうして読んだ銘文は、実際の石碑と同じサイズで現物提示できますか。いや、出来ないでしょう。拓本のように、一度採択した石碑拓本は、ごまかしようもなく皆で共有して読めるはずで、それも書史学的にも研究資料として実際に揮毫してある文字の細部まで詳細に利用できますか。
私などは、丁寧に丁寧に拓本を採っても、掃除もせぬ石碑の状態では読めぬ文字が出てくるのは当たり前の話。もちろん、手拓する前には管理者の了解を得て、それこそ舐めるようにして石碑を磨くことから始まります。その作業は、実際に墨入れ手拓するのと同様の、時にはそれ以上の時間を要すこともあります。それを毎回毎回根気よく作業して初めて手拓するのです。とにかく、自分が調査した石碑銘文の正しさを証明する唯一の確証物なのです。こうして調査した拓本は、もうその拓本さえあれば、転記した銘文など本来は不要なのです。なぜなら、石碑調査は、「拓本」が全てを語っているからです。今年の8月には、そんな拓本と転記した銘文の違い(転記した銘文の誤り)を、異常なまでの感情を込めて指摘されたのですが、私にしてはそんなのは問題外で、拓本にある文字が正しい文字であるから、「嗚呼、この人は転記した文字を間違えている」だけの問題で済む話なのです。それもこれも、拓本と一緒に掲載したから言えることで、拓本が掲載されていない、真剣に調査している人の石碑調査論考を一度も見たことがない人が大騒ぎするだけなのです。なんとなれば、一般の方で調べた銘文の確証として拓本を一緒に掲載している論文などに最近は出会ったことがありますか。無いはずです。なぜなら、それだけの拓本を採れる人が世の中からいなくなって来ているからです。
兎に角、くどい話になりますが、石碑調査の基本は銘文の拓本にあります。観光地へ行って、「実に珍し風景に出会った」と言われても、それを証明する画像がなくてはそのまま信用出来ないのと同じで、石碑調査においてその石碑の拓本も掲載してない論考など、極言すれば私にとっては無価値なのです。なぜなら、「いくら私の学力を信用しろ」といわれても、これまでの石碑調査の論考のほとんどでは、実際にその調査された石碑を見に行くと、間違って転記している文字が必ずと言って良いほどどこかにあります。それに気づかないのは、その石碑について書かれた方と、それを感心して読む人とのレベルが同程度だからなのです。それが、所謂郷土歴史家等と肩書を付けた方々の調査なのです。試しに、市町村で調査した石碑銘文や郷土史に発表された石碑銘文の資料をを持って、現地へ行って一文字づつ当たって見てください。私の言っていることが正しいのが、すぐに分かると思います。
以上、今回はこの程度の内容だけの掲載にします。なお、私は「蛙鳴蝉騒」話が大嫌いなので、口を尖がらせて反論したい御仁もいることでしょうが、そういう方からの反論は全て無言で削除しますので、理性知性をもって、反論する方のコメントは歓迎しますが、実名で投稿下さい。なお、自分で読み返して言い過ぎていたら、全文を削除することもあります。なぜなら、私にとってはどうでも良いことだからですが、この頃の石碑調査記事をみて、つくづく考えるところがありましたので掲載しただけです。