と大きく出ましたが、何のこともないことで、他にすることがないので毎日パソコンの前に座っているだけです。それでも、今回は江戸幕府にとっては例外中の例外的な待遇を与えた、喜連川藩のあった喜連川町の石碑案内です。特に今回は、滅多にはやらない調査石碑の全てを読み下ししましたので、それを中心にまとめただけです。その報告書とやら、今回も三部は印刷製本する気で始まったのですが、やはり2冊分を印刷した段階でギブアップ。要するに2冊しか作りませんでした。頒布しないので、一般の方にはお目にかけようがありませんが、私としてはこの最後の製本が、その地区の調査完了を意味する大事な行事なのです。ただ、それだけで作っては一人で悦に入って眺めて、一週間もすれば存在を忘れて、次の石碑まとめに精をだしているだけなのです。本当に気軽なもので、自分だけが満足すればそれで良いのですから。そしてことしは、その石碑調査そのものも辞めてしまおうかなと思案中です。何しろ走りっぱなしだったので、聊かつかれましたので、この辺で大休止です。
それでは、その報告書の表紙と、いつものように目次を掲載しました。中身は乏しいのですが、その内容は私にとっては十分すぎるほどの面白いものでした。おかげさまで、今までは単なる喜連川町のイメージしかなかったのですが、興味を持つようになりました。
以上です。