今回は、栃木県では滅多に出会えない、窪世祥につぐ江戸石匠の一人である宮亀年刻字の石碑である。県内の彼の作品はその多くが巨碑である。今回の石碑にしても高さが291cm×幅142cmと云う大きさ。加えて、これが建立されている場所が、手拓するには危険すぎる山の斜面にあって、足元下は崖になっているという悪条件。最初に見たときは、もう完全に手拓を諦めたが、今回の相棒である山口氏が「手伝うから採りましょう」ということになって喜び勇んで挑戦。そこで今回は、危険回避と時間節約の為に碑面の掃除は表面の汚れを落としただけで始める。篆額は、彰仁親王。撰文は品川彌二郎。銘文書家は巖谷修の錚々たるメンバーに加えて、石工が宮亀年とあるのだから、思わぬ申し出を断るわけもなく、嬉々として手拓。
その拓本画像が、ここへ掲載(しかも特別サービスで最大限の大きさで)したものである。建立紀年銘は、明治二十九年とあるが、撰文内容はそれほど難しくないのが助かるが、それでもこの撰文は本当に品川彌二郎なのだろうか、と?マークが付く。彼は、こんな高尚な文言を使った文章が書けたのだろうかと思うからである。まあ、それはともかくとして、思いもかけない宮亀年刻字碑が手に入ったことの喜びが何よりも嬉しくて仕方が無い一日だった。山口様が手伝ってくれなければ、とてもではないが手に入らなかった拓本と、居間の天井から吊り下げた拓本を見上げながら感激に浸っているところである。
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御連絡頂きました、芳志戸の石幢六地蔵は1996年に確認済みですが、その頃は石幢の所在地確認が主だったので、銘文を読まないままに放置してあります。こうした石幢が特に那須方面には多く、今更それらを再調査する元気がないまま、調査(所在地確認?)報告書を纏めてしまいました(再笑)。
ところで、愈愈大型連休ですね。連休中に、一度位はお邪魔したいと思っています。その時はお手柔らかに!いずれにしましても、今後とも無駄と思いつつも気になる石造物を目にした時は、是非に御教示賜れますことを切に願っています。
昼間はだいぶ暑くなってきましたね。
その後、私の方は、金曜日と日・月曜日で高根沢町と芳賀町へ出かけました。この2つの町は割合と狛犬設置率が高いようです。日曜日には安住神社(別名バイク神社と言うらしいです)を終えて、無事、高根沢町の調査が終了となりました。戦前の尾流系の狛犬も、あまり量が多いと飽きがくるという贅沢な悩みも発生。ちょっと慢心気味かなと反省しつつ、ペースを落としながら、芳賀町の方へと移行しました。
昨日の月曜日は、5社で7対の狛犬との出会いがありました。天満宮のとなりに不動様があり、お経が延々と流れていたので、なにごとかと思いきや、スピーカーから延々と流していたようです。お堂の前には、天保年間の狛犬が鎮座していましたが、この日はさすがに疲れて退散いたしました。
流石に道路沿いなのでご存じかとは思いますが、芳志戸集落センターとなりのお堂に、元文2年の石塔(宝筺印塔のような形はしていますが…)と石憧六地蔵があったので、ご報告しておきます。
以上、まとまりがありませんが、失礼します。