鹿沼市の石碑纏め段階で悩んだのが、この上記写真に見る「竣工記念碑」。形状は、円筒形の枡形正面に題が刻まれ、その裏面に銘文があるが、果たしてこれを石碑といえるのだろうか?、と悩んだ。しかし石碑調査といっても、その目的は遺蹟についての碑文調査なのではないかと思い直し、今回は改めてその調査に行ってきた。詳細な銘文内容は省略するが、要約すると大正12年の関東大震災以降にこの地方の農業水源となっていた小倉川が著しく枯渇して農業が出来ない有様に陥った。その為に旱魃が酷く、疲弊した農家を助けるために用水幹線改良工事を行った、その竣工記念碑となっている。なお、竣工は昭和八年五月である。
この調査が終わってからは、鹿沼市内の気になっている石仏類の調査に入る。その一つが、鹿沼市池の森地区共同墓地内にある寛文六年銘の名号塔(内容は四十八夜念仏供養)の拓本採り。尤も、四十八夜念仏供養といっても、実際は「六八夜念佛供養」となっているので、一般の方には理解できない話だが‥。それでも墓地内ゆえにと思いつつも、暑くも無い陽気についルンルン気分で手拓。
次は、先週に間違って行ってしまった千渡地区の別の地区の薬師堂訪問。上に見る如意輪観音像丸彫りの台座に銘文と紀年銘が「奉供養 十九夜念佛 享保十三年戊申十月十九日 講中四十六人」とある。教わっていたのは、この十九夜塔が鹿沼市の初発塔で紀年銘は享保三年と。明らかに年号数字の読み間違いだし、干支を読まなかった為の誤まりと、二重にミスを犯していた。もちろん、この段階で鹿沼市の十九夜塔初発塔でなくなったのは言うまでも無い。今日の調査はここまでとして、流石に午後になると暑くなった。それでも、最後の仕上げとして薬師堂に下がっている鰐口を念のために見てみると、そこには「寶永」ではなく「寛永」と年号が刻まれている。その次の干支も寛永七年の庚午となっていて、ビックリ仰天。手が届かないのに無理して懸垂して這い上がり写真を撮る。誰かさんの喜ぶ姿を想像しつつ‥。
さて、次回からはいよいよ六月。どこへ行きましょう?、ということでまだ行き先不明だが、天気さえ良ければ次回は少し遠くへ行こうと企んでいる。
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