昨日14日は、春日部市在住の中山氏と一緒に、足利市~田沼町~栃木市~壬生町の庚申塔巡りを行いました。
朝8時33分に東武新栃木駅で落ち合い、まずは足利市荒金町の菅原神社にある延宝庚申塔を訪問。しかし、国道50号線を適当な場所で降りた為に道を間違い「おいおい、いつの間にか群馬県に入っているよ」との中山氏が気づいてUターン。改めて地図帳を見れば目的地の遙か西を走っていたことになる。堀込町の薬師様まで戻って、かつて通い続けた道へ入って、その後は無事に菅原神社へ到着。まだ9時半前だというのに、早くも目的の1基目の調査終了。次は、中山氏の要望で宮北町の高庵寺を訪ねて「年中六度守庚申 徹夜禁眠伏悪神…」の享保十九年銘偈文庚申塔を見学。偈文を写し写真を撮っただけではもったいないと、拓本を手早く取る。そしてせっかくここへ来たのだからと、近くの観音寺を訪ねて、紀年銘が無いものの像容から見て間違いなく延宝塔と考えられる青面金剛塔をも見学する。
今度も、中山氏の希望で樺崎町の馬坂にある百庚申塔群中の「滅三尸罪」とある自然石を訪ねる。中山氏曰「ここは場所がよそ者には判らない!。多田氏もここへは来ていないのではないだろうか?」と、人様のことを気にして写真を撮っている。そして、ここには「一万庚申」という数庚塔もあるよと教えれば、「石川氏に写真を送ってやるか」といってやはり写真を撮っている。こんなのんきな時間を過ごせるのも、この場所の雰囲気のなせることかもしれない。
中山氏に見せるため、松田町の松山地区にある青面金剛梵字真言塔をの写真を取り出すと、それも見たいという。「そう言うだろうと、始めから今日の行動予定に組み入れていたよ」と、早速山越えで松田町へ入り、該当碑塔の前に立つと、「イヤ~ア、写真以上に立派な石だ」と感心して、嬉しそうに記録を取り写真を撮る。そしてここでも、滅多に他県の人は入り込めない場所だけに「多田氏はこれを見ているのだろうか?」と、場所を一生懸命記録している。
ここまで来ても、まだ12時前。お昼にするには早すぎると再び山を越えて月谷町へ出て、中山氏には行けそうもない山の中にある庚申塔の場所だけを教えて、田沼町へ入る。そして田沼町下彦間の須花庚申塔群の駐車場で、ようやく昼食とする。
今日は、予定以上に順調な庚申塔巡りである。この分では、予定外の壬生町の十一面観音堂にある延宝塔まで見られるぞと勢いづいて、昼食後は直ぐ近くの延宝庚申塔を訪問。といっても、ここも私は場所を知っているからすんなり行けたが、普通では見つからない場所にある。そしてこの時点で、足利市と田沼町の中山氏リスト未見庚申塔は全て終了したことになる。今日の予定で残るは、栃木市大久保町の寛文庚申塔。その庚申塔は「這いつくばってでも、ぜひ見たい」という中山氏願望の庚申塔だけに、293号線を通って目的地へ急ぐ。そして手を引いて何とか傾斜を登り、二猿の庚申塔前で大休止。二人してその庚申塔の前に座り込み、山の中の静かな雰囲気を味わう。「ところで中山さん、その猿さんの持っているのは何?」と尋ねれば、「ウ~ム、宝珠でもないし桃にしては大きすぎる!と悩んだ挙げ句、これからシーズンとなるフットボールの球かな?」と答えて二人で大笑いする。ここを見て、栃木市の未見庚申塔も完了となる。
まだまだ、帰宅するには時間があるということで、番外の壬生町国谷の十一面観音堂へ向かう。ここにある庚申塔は過去に中山氏も訪れていたが、それは地中深く樹木の下に埋もれていて、調査できなかった物。それを私が半日がかりで掘り起こし、隣の民家の石垣に立てかけて置いたので、それを再確認の為に訪れることにした。そして現地へ行ってみると、私が立てかけて置いた場所にその庚申塔がない。「アレッ、どこかへいっちゃった」と慌てて探せば、他の碑塔の所に移動されていた。しかし、下部が埋もれている。それを再び持ち上げて全体像を出し、写真などを撮ってから銘文を読み出すも、その碑面は摩耗していてそう簡単には読める代物ではない。そこで銘文内容は、以前に拓本を取って読んでいるので、それを参照することにして、無事に今日一日の庚申塔巡りを終了。
前回9月23日の栃木県北西部の庚申塔巡りと違って今回は疲れもなく、何となくルンルン気分で出発点の新栃木駅へ戻り、「次回は、日光市筋違橋にある庚申塔と菅沢地区の偈文庚申塔巡りにしよう」と約束して、中山氏と別れて帰路につく。
今回も、中山氏との漫才掛け合いの珍道中で非常に楽しい一日でした。中山氏の益々のご健勝を願って!。
朝8時33分に東武新栃木駅で落ち合い、まずは足利市荒金町の菅原神社にある延宝庚申塔を訪問。しかし、国道50号線を適当な場所で降りた為に道を間違い「おいおい、いつの間にか群馬県に入っているよ」との中山氏が気づいてUターン。改めて地図帳を見れば目的地の遙か西を走っていたことになる。堀込町の薬師様まで戻って、かつて通い続けた道へ入って、その後は無事に菅原神社へ到着。まだ9時半前だというのに、早くも目的の1基目の調査終了。次は、中山氏の要望で宮北町の高庵寺を訪ねて「年中六度守庚申 徹夜禁眠伏悪神…」の享保十九年銘偈文庚申塔を見学。偈文を写し写真を撮っただけではもったいないと、拓本を手早く取る。そしてせっかくここへ来たのだからと、近くの観音寺を訪ねて、紀年銘が無いものの像容から見て間違いなく延宝塔と考えられる青面金剛塔をも見学する。
今度も、中山氏の希望で樺崎町の馬坂にある百庚申塔群中の「滅三尸罪」とある自然石を訪ねる。中山氏曰「ここは場所がよそ者には判らない!。多田氏もここへは来ていないのではないだろうか?」と、人様のことを気にして写真を撮っている。そして、ここには「一万庚申」という数庚塔もあるよと教えれば、「石川氏に写真を送ってやるか」といってやはり写真を撮っている。こんなのんきな時間を過ごせるのも、この場所の雰囲気のなせることかもしれない。
中山氏に見せるため、松田町の松山地区にある青面金剛梵字真言塔をの写真を取り出すと、それも見たいという。「そう言うだろうと、始めから今日の行動予定に組み入れていたよ」と、早速山越えで松田町へ入り、該当碑塔の前に立つと、「イヤ~ア、写真以上に立派な石だ」と感心して、嬉しそうに記録を取り写真を撮る。そしてここでも、滅多に他県の人は入り込めない場所だけに「多田氏はこれを見ているのだろうか?」と、場所を一生懸命記録している。
ここまで来ても、まだ12時前。お昼にするには早すぎると再び山を越えて月谷町へ出て、中山氏には行けそうもない山の中にある庚申塔の場所だけを教えて、田沼町へ入る。そして田沼町下彦間の須花庚申塔群の駐車場で、ようやく昼食とする。
今日は、予定以上に順調な庚申塔巡りである。この分では、予定外の壬生町の十一面観音堂にある延宝塔まで見られるぞと勢いづいて、昼食後は直ぐ近くの延宝庚申塔を訪問。といっても、ここも私は場所を知っているからすんなり行けたが、普通では見つからない場所にある。そしてこの時点で、足利市と田沼町の中山氏リスト未見庚申塔は全て終了したことになる。今日の予定で残るは、栃木市大久保町の寛文庚申塔。その庚申塔は「這いつくばってでも、ぜひ見たい」という中山氏願望の庚申塔だけに、293号線を通って目的地へ急ぐ。そして手を引いて何とか傾斜を登り、二猿の庚申塔前で大休止。二人してその庚申塔の前に座り込み、山の中の静かな雰囲気を味わう。「ところで中山さん、その猿さんの持っているのは何?」と尋ねれば、「ウ~ム、宝珠でもないし桃にしては大きすぎる!と悩んだ挙げ句、これからシーズンとなるフットボールの球かな?」と答えて二人で大笑いする。ここを見て、栃木市の未見庚申塔も完了となる。
まだまだ、帰宅するには時間があるということで、番外の壬生町国谷の十一面観音堂へ向かう。ここにある庚申塔は過去に中山氏も訪れていたが、それは地中深く樹木の下に埋もれていて、調査できなかった物。それを私が半日がかりで掘り起こし、隣の民家の石垣に立てかけて置いたので、それを再確認の為に訪れることにした。そして現地へ行ってみると、私が立てかけて置いた場所にその庚申塔がない。「アレッ、どこかへいっちゃった」と慌てて探せば、他の碑塔の所に移動されていた。しかし、下部が埋もれている。それを再び持ち上げて全体像を出し、写真などを撮ってから銘文を読み出すも、その碑面は摩耗していてそう簡単には読める代物ではない。そこで銘文内容は、以前に拓本を取って読んでいるので、それを参照することにして、無事に今日一日の庚申塔巡りを終了。
前回9月23日の栃木県北西部の庚申塔巡りと違って今回は疲れもなく、何となくルンルン気分で出発点の新栃木駅へ戻り、「次回は、日光市筋違橋にある庚申塔と菅沢地区の偈文庚申塔巡りにしよう」と約束して、中山氏と別れて帰路につく。
今回も、中山氏との漫才掛け合いの珍道中で非常に楽しい一日でした。中山氏の益々のご健勝を願って!。
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