
本作『散り椿』は、
キャメラマン・木村大作の、

『劒岳 点の記』(2009年)
『春を背負って』(2014年)
に続く、監督三作目となる作品である。(いずれも撮影も兼務している)
前二作は、題材が“山”ということもあって、
このブログにレビューも書いている。(タイトルをクリックするとレビューが読めます)
『劒岳 点の記』には辛口になり、
『春を背負って』では少し褒めているが、
いずれもイマイチの感があった。
果たして三作目はどうか?
三作目となる『散り椿』は、前二作と違って、時代劇。
主演は、岡田准一。
共演には、西島秀俊、黒木華、池松壮亮、麻生久美子、富司純子、奥田瑛二など、
私の好きな俳優が顔を揃えている。
原作は、『蜩ノ記』で直木賞を受賞した葉室麟の同名小説。
この小説は、かつて読んだことがあり、
とても感動した作品であった。

脚本は、小泉堯史。
『夢』(1990年)
『八月の狂詩曲』(1991年)
『まあだだよ』(1993年)
など、黒澤明監督のもとで助監督を長年務め、
監督デビュー後は、
『雨あがる』(2000年)
『阿弥陀堂だより』(2002年)
『博士の愛した数式』(2006年)
『明日への遺言』(2008年)
『蜩ノ記』(2014年)
など、良質な作品を手掛けている。
小泉堯史の脚本なら信用できると思ったし、
〈見たい!〉
と思った。
で、公開初日の9月28日(金)に、
会社の帰りに映画館に駆けつけたのだった。

享保15年。
かつて藩の不正を訴え出たが認められず、
故郷・扇野藩を出た瓜生新兵衛(岡田准一)は、
連れ添い続けた妻・篠(麻生久美子)が病に倒れた折、
彼女から最期の願いを託される。
「采女様を助けていただきたいのです……」
と。

采女(西島秀俊)は、平山道場・四天王の一人で、
新兵衛にとって良き友であったが、
二人には新兵衛の離郷に関わる大きな因縁があったのだ。

篠の願いと藩の不正事件の真相を突き止めようと、故郷・扇野藩に戻った新兵衛。
篠の妹・坂下里美(黒木華)と、

弟・藤吾(池松壮亮)は、

戻ってきた新兵衛の真意に戸惑いながらも、
凛とした彼の生き様にいつしか惹かれていくのだった。

散り椿が咲き誇る春。
ある確証を得た新兵衛は、采女と対峙することになる。

そこで過去の不正事件の真相と、
切なくも愛に溢れた妻の本当の想いを知ることになるのだった。
しかし、その裏では大きな力が新兵衛に迫っていた……

鑑賞した感想はというと、
木村大作監督の(三作目にして)最高作だと思った。
木村大作監督の演出力はあまり期待していないので、(コラコラ)
脚本と、俳優たちの演技がカギになると思っていた。
やはり、小泉堯史の脚本が素晴らしい。
葉室麟の作品を原作とする映画『蜩ノ記』の監督も務めたことのある小泉堯史なので、
原作の人物設定を一部変更しているものの、
『散り椿』という同じ葉室麟の作品世界を壊すことなく、実に巧く脚色している。
脚本という骨格がしっかりしているので、
変な不安や疑問を抱かずに済むし、
安心して映画を鑑賞することができた。

俳優たちも、この脚本に寄り添うように、確かな演技で作品世界を創っていた。
主演の岡田准一は、
「出演」の他、「殺陣」「撮影」スタッフとしても名前が(連名で)クレジットされていたが、
木村大作監督は、岡田准一に、キャストとしてだけでなく、スタッフとしての役割にも期待していたようだ。
岡田准一は語る。
もともと殺陣はやるつもりではなかったんですが、大作さんが僕に意見を求めるようになり、やることになったというか。ただ、殺陣はこれまでも作ってきたことがありますし、自分でも研究してきたところがあって。世界の殺陣が軍事格闘技中心になっている中、日本の殺陣って何だろうと考えていました。
(『キネマ旬報』2018年10月上旬号)
昔の時代劇だと、舞いのような動きの殺陣が多かった。
主役の動きは小さく、動きは流れるようにスムーズなのだが、
切られ役の方が勝手に倒れていくような不自然さがあった。
岡田准一は、ジークンドー、カリ、USA修斗など、武術や格闘技のインストラクターの資格を持っており、殺陣に“武”の要素をふんだんに取り込んでいる。
この殺陣のシーンは新鮮であったし、
岡田准一の動きには惚れ惚れ(ほれぼれ)した。

大作さんは殺陣としての肉体の会話、ヒリヒリする間合い、観客が手に汗握る瞬間を100%美しく撮ってくださる。ただ、そこには心がなくてはならない。だから大作さんの撮りたい感情が出るような動きを作っていくことが一番大事。見栄えがいいだけの殺陣では納得してくれないので。
(『キネマ旬報』2018年10月上旬号)
木村大作監督は、
「余すことなく俺が撮るから、感じたまま好きなように動け」
と言ったという。
役者に細かい指示はなく、
「余すことなく俺が撮るから、感じたまま好きなように動け」
というのが、木村大作監督の演出法であったようだ。
同じく、女優にも、
「俺がどの映画よりも一番美しく撮る」
と断言していたようだ。

木村大作監督は語る。
「大作さんは私たちを演出していないけれど、映画を演出している人だ」とある俳優さんが仰って下さった。あの言葉は嬉しかった。確かに僕は芝居に関して細かく言うわけではない。でも現場を楽しくして俳優さんやスタッフが、気持ちよくやりたいことがやれる状況を作ることに関しては、いろいろやっているんです。
(『散り椿』パンフレットのインタビュー記事より)
木村大作は、根っからのキャメラマンなので、
演出は得意ではないと思う。
だが、映画は撮りたい。
しかし、自分が本当に撮りたい映画がない。
ならば、自分が本当に撮りたい映画を、自分で作るしかない。
そうすると、自分で監督もするしかない。
演出力がないことを、木村大作監督自身も自覚していると思う。
だからこそ、
俳優やスタッフたちが気持ちよくやりたいことをやれる状況を作ることに心を注いできたのではないか。
そのことが好結果を生み、
本作『散り椿』を秀作たらしめているように感じた。
誰が言ったか知らないけれど、
「大作さんは私たちを演出していないけれど、映画を演出している人だ」
とは、けだし名言。
実に上手いことを言ったものだと思う。

「Yahoo!映画」のユーザーレビューを見ていたら、
一部の若い人たちから、
「古臭い」「退屈」「眠い」
「別に何ということのないストーリー」「人物関係がよく分らない」
「椿の花って 花の形のまま、ポトリと落ちてると思う」
などと批判されていたのだが、
好ましい時代劇の例として、
『信長協奏曲』や『JIN-仁-』などを挙げ、
「タイムスリップとかで現代とつないでいく形が正解」
と書いてあったのには、思わず笑ってしまった。
「チコちゃんに叱られる!」風に言うと、
「ボーっと生きてんじゃねえよ!」
ということになる。(笑)
俳優たちの言葉、表情、佇まい、
背景となる城や屋敷や寺院、
残雪を残す山々などをじっくりと味わっていれば、
退屈している暇はないのだ。
集中して見ていれば、ストーリーも人物関係も自ずと判ってくる。
ドラマも食べ物も、濃い味付けに慣れ過ぎている若者たちには、
“基本となる味”“素材そのものの味”が、もはや判らなくなっているのかもしれない。

本作に登場する扇野藩は架空の藩で、
葉室麟の時代小説の中では「扇野藩シリーズ」とも呼ばれているが、
藩を追われた主人公・新兵衛が身を隠していた地蔵院は京都に実在するお寺で、
ここの前庭に“五色八重散椿”がある。
通常、椿は、花が丸ごと地面に落ちるのだが、
“五色八重散椿”の場合は、桜のように花弁が1枚ずつ散っていく。
原作では、新兵衛が自分を散った椿に例える場面があり、
タイトルの『散り椿』は、この“五色八重散椿”が由来となっているのだ。
「椿の花って 花の形のまま、ポトリと落ちてると思う」
と呟いているようでは、まだまだだと思うぞ。

本作『散り椿』は、
時代劇としては前代未聞の全編オールロケを敢行しており、
富山、滋賀(彦根)、長野(松代)などで撮影されている。
黒澤監督のように本物を作ってしまうというのは、相当お金がかかる話だよね。また俺の場合だったら、もしお金があってもセットを建てるのではなく、その分は撮影期間を長くして、本当の四季を追ってじっくりと芝居を撮っていくだろうね。やはり自然と人間が一緒になることから生まれるリアリティ、そこから出てくる情感を大事にしたいんです。だからオールロケーションでやったんですが、前2作でもロケした富山県をメインに撮影しました。時代劇というと京都での撮影が多いけれど、京都の風景はやはり“雅”の趣を持っている。でも『散り椿』は地方大名の話ですからね。富山のような場所が似合っていると感じたし、これまでの時代劇にはない風景を見せることができると思いました。
(『散り椿』パンフレットのインタビュー記事より)

と木村大作監督が語るように、
どこか寂れたような雰囲気のある風景が美しく、
瓜生新兵衛(岡田准一)、篠(麻生久美子)、坂下里美(黒木華)らの心映えの美しさと共に、
作品の中に、いろんな“美”が封じ込められていると思った。

岡田准一と、

西島秀俊の、

鍛えられた男の美しさ。

黒木華と、

麻生久美子の、

凛とした女の美しさ。

敵役の石田玄蕃を演じた奥田瑛二のふてぶてしさ。

榊原采女の義母(養母)・榊原滋野を演じた富司純子の思いの強さ。

坂下里美の弟・坂下藤吾を演じた池松壮亮の清々しさ。

木村大作監督が、
男優には、
「余すことなく俺が撮るから、感じたまま好きなように動け」
と言い、
女優には、
「俺がどの映画よりも一番美しく撮る」
と言ったという言葉そのままに、
実に魅力的な男と女が映し出されている。

新兵衛(岡田准一)が、
「そなたの頼みを果たせたら、褒めてくれるか」
と言うと、
篠(麻生久美子)が、
「お褒めいたしますとも」
と答える印象的なシーンがあるのだが、
以前、『キネマ旬報』誌であったか、木村大作監督が、
「俺も篠に褒められたい」
というような、冗談のような、本気のような発言をしていたと思うが、
この作品ならば、篠も(麻生久美子も)大いに褒めてくれるだろうと思った。
皆さんも映画館で、ぜひぜひ。