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数日前から、風邪の兆候があり、
咳が出て、熱も出て、体調的には最悪の状態であった。
それでも映画館に向かったのは、
私の好きなモトーラ世理奈の主演作『風の電話』が公開されたからである。(2020年1月24日公開)
※モトーラ世理奈の素晴らしさについては、昨年、たくさん論じてきたので、
コチラやコチラを参照。
“風の電話”とは、
岩手県大槌町に実在する電話ボックスだが、
その電話に、電話線はつながっていない。
2011年に、大槌町在住のガーデンデザイナー・佐々木格氏が自宅の庭に設置したもので、
死別した従兄弟ともう一度話したいという思いから誕生したその電話は、
「天国に繋がる電話」として人々に広まり、
東日本大震災以降、3万人を超える人々が、この場所を訪れている。
映画『風の電話』は、この電話をモチーフにした、初めての映像作品である。
監督は、
『M/OTHER』、『不完全な二人』の諏訪敦彦。
諏訪敦彦の演出法は独特で、
脚本はあっても、ないようなもので、
俳優達と現場で議論を重ねながら、即興芝居によって物語を作り出していく。
フィクションとドキュメンタリーという枠組みを無効化したとも言えるこの手法の中で、
モトーラ世理奈はどのような演技をしているのか……
興味津々で映画を鑑賞したのだった。
17歳の高校生ハル(モトーラ世理奈)は、
東日本大震災で家族を失い、
広島に住む伯母、広子(渡辺真起子)の家に身を寄せている。
心に深い傷を抱えながらも、
常に寄り添ってくれる広子のおかげで、日常を過ごすことができたハルだったが、
ある日、学校から帰ると広子が部屋で倒れていた。
自分の周りの人が全ていなくなる不安に駆られたハルは、
あてどなく彷徨う。
そして、倒れていたところを、
豪雨被害にあった広島で年老いた母と暮らす公平(三浦友和)に助けられる。
公平は、ほとんど口を利かないハルに夕飯を食べさせながら、
妻子に逃げられ、認知症の母と2人暮らしだという身の上話をする。
公平に保護された後、駅まで送ってもらったハルは、
衝動的に生まれ故郷の大槌町をヒッチハイクで目指すことを決める。
ハルは旅路で、原発で働いていた森尾(西島秀俊)や、
夫を強制収容されたクルド難民の家族、
福島で暮らす森尾の知人の今田(西田敏行)など、
様々な人と出会い、
食事をふるまわれ、
抱きしめられ、
「生きろ」
と励まされる。
そして、ハルは導かれるように、故郷にある“風の電話”へと歩みを進める。
〈家族と、もう一度、話したい〉
その想いを胸に……
最初に言っておかなければならないのは、
この『風の電話』という映画は、
東日本大震災の被災者を扱った、一般的な、
“お涙頂戴”的な物語でもなければ、
“感動”を無理強いするような物語でもなく、
“説教”臭さがプンプンするような映画でもないということだ。
要するに(よくありがちな)解り易い作品ではないのだ。
先程も述べたが、
諏訪敦彦監督は、
セリフが一切なく、状況とその推移を示した「構成台本」をもとに、俳優と共に登場人物の感情の流れを作り上げる演出で知られる。
だが、『風の電話』は、諏訪敦彦監督と脚本家・狗飼恭子が書いた台本があり、
それはとても素晴らしい本だったらしい。
出演者の西島秀俊も、三浦友和も、
〈今回は台本ありでやるのだな……〉
と思ったそうだが、
(想像通りというか予想通り)最終的には本の骨格だけを残して、後はセリフが全部ないものになったそうだ。
だから、一般的な映画でありがちな、
打てば響くような言葉の応酬はこの映画にはない。
どのシーンにも、独特の“間”(ま)があり、
フィクションなのに、ドキュメンタリーのような雰囲気が醸し出されている。
特に、主人公のハル(モトーラ世理奈)は、
なかなか言葉を発さない。
ジリジリと時間だけが過ぎていく。
映画の鑑賞者は、
ハルの傍に立ち、彼女を見守るしかない。
見る者に、そんな孤独感を味わわせる映画は、なかなかない。
一般的な意味での娯楽作ではないので、
途中、この独特の“間”に耐えられなくなる鑑賞者もいるかもしれない。
事実、私が見ているときも、一人いた。
上映が始まり、1時間ほど経過したとき、
私の近くにいた中年女性が席を立った。
〈トイレかな?〉
と思ったが、
その客は結局帰って来なかった。
予想した映画と違ったのだろうが、
〈最後まで見て欲しかった……〉
と思ったことであった。
なぜなら、ラストの10数分間が凄いからである。
今思えば、この映画は本当に無謀だったなと(笑)。なぜなら、ラストの風の電話のシーンの芝居が映画のすべてを左右するんですから。だけどあそこでモトーラさんにセリフを全部任せたんです。
とは、諏訪敦彦監督の弁。
モトーラ世理奈は、本番まで、あの電話ボックスに一度も入らなかったという。
実際使ったカットは2回目の撮影で、
1回目は「自分のやっていることが嘘に思えて」と彼女がNGを出したというから凄い。
セリフをすべて任せた諏訪敦彦監督と、
ハルになりきることで、即興的に応じたモトーラ世理奈。
このラスト10数分は、日本映画史に残る名シーンとなっている。
“風の電話”でのラストシーンの撮影は、
前々日から天候が悪く、やっと晴れた日を狙って行われたという。
突風が吹き荒れ、木々が揺れ、雲が勢いよく流れて光がどんどん変わっていく。
設置者の佐々木格氏も、
「普段はこんなことないよ」
というほどの天候だったが、
諏訪敦彦監督は、モトーラ世理奈に、
「これは神様が迎えてくれたんだよ」
と話したのだそうだ。
実際、このラストシーンは、
電話ボックスの外の木々は揺れ、
太陽の光が刻々と変化する。
見事な“自然の演出”になっている。
その中で、モトーラ世理奈が発した言葉は、見る者の心を打つ。
〈モトーラ世理奈が天才女優であることを自ら証明した瞬間に立ち合っている……〉
と感じたラストシーンであった。
私は、モトーラ世理奈が目当てで本作『風の電話』を見たのだが、
そもそもは、オーディションで勝ち得た役であったようだ。
だが、オーディションを受ける前にもらった台本は、最後まで読めなかったという。
読んでいくうちに段々、辛い気持ちになってきたからだ。
正直、
〈やりたくないな〉
って思うくらいだったという。
だが、
せっかく行くんだったら、ちゃんとやり切りたいなって思ったんです。
でも、オーディションのときは、ハルの辛い気持ちが自分の内側からこみ上げてきてしまって、質問されてもうまく答えられませんでした。一回目のオーディションがそんな感じで終わったので、次のオーディションのことは考えない様にしていたんですが、また来てくださいって連絡があって。2回目からは台本が無くて、代わりに設定が書かれた紙を渡されて、即興芝居を演って下さいって言われたんです。でも、その即興芝居が私にとってはとても演じやすくて……自分に合うなって。そのときから、やりたいなって思うようになりました。
と、某インタビューで答えていたが、
諏訪敦彦監督の独特の演出法が、彼女に“やる気”をもたらしたのだ。
モトーラ世理奈の演技を見て、
西島秀俊は、
彼女の演技には嘘がない。
と語り、
三浦友和は、
ひさびさに映画女優を見たよ。
と驚き、
西田敏行は、
あの歳で受けの芝居ができるっていうのはすごい。
と絶賛している。
事前に演技を考えてああしようこうしようとひとりで考えるのではなく、その場に行って、相手を感じることで演技が生まれるリアクションの人なんですね。それが西田さんのいう受けの芝居なんだと思います。それがこの映画にフィットしたんだと思う。
とは、諏訪敦彦監督の言葉。
極論すると、『風の電話』は、“モトーラ世理奈がすべて”の映画である。
モトーラ世理奈以外を論ずる必要性を感じなかった。
昨年(2019年)から、
「モトーラ世理奈は凄い!」
と言い続けてきた私だが、
正直、これほど凄い女優だとは思わなかった。
今年(2020年)は、
モトーラ世理奈の出演作(すべて主演!)が目白押し状態。
現時点で判明しているだけでも、主演作が計4作。
『風の電話』の他、
『猫、かえる Cat's Home』(2020年1月18日公開、短編映画)主演・リナ 役。
『恋恋豆花』(2020年2月22日公開予定) 主演・森下奈央役 役。
『MEMORIES』(2020年公開予定) 主演で一人三役に挑戦している。
だが、今のところ、
『風の電話』以外は、九州での上映予定がない。
どうにかして見るつもりでいるが、
とにもかくにも、
今年(2020年)は、“モトーラ世理奈の年”になると予想している。
映画ファンのみならず、
“時代の目撃者”になりたい方も、
映画館で、ぜひぜひ。
数日前から、風邪の兆候があり、
咳が出て、熱も出て、体調的には最悪の状態であった。
それでも映画館に向かったのは、
私の好きなモトーラ世理奈の主演作『風の電話』が公開されたからである。(2020年1月24日公開)
※モトーラ世理奈の素晴らしさについては、昨年、たくさん論じてきたので、
コチラやコチラを参照。
“風の電話”とは、
岩手県大槌町に実在する電話ボックスだが、
その電話に、電話線はつながっていない。
2011年に、大槌町在住のガーデンデザイナー・佐々木格氏が自宅の庭に設置したもので、
死別した従兄弟ともう一度話したいという思いから誕生したその電話は、
「天国に繋がる電話」として人々に広まり、
東日本大震災以降、3万人を超える人々が、この場所を訪れている。
映画『風の電話』は、この電話をモチーフにした、初めての映像作品である。
監督は、
『M/OTHER』、『不完全な二人』の諏訪敦彦。
諏訪敦彦の演出法は独特で、
脚本はあっても、ないようなもので、
俳優達と現場で議論を重ねながら、即興芝居によって物語を作り出していく。
フィクションとドキュメンタリーという枠組みを無効化したとも言えるこの手法の中で、
モトーラ世理奈はどのような演技をしているのか……
興味津々で映画を鑑賞したのだった。
17歳の高校生ハル(モトーラ世理奈)は、
東日本大震災で家族を失い、
広島に住む伯母、広子(渡辺真起子)の家に身を寄せている。
心に深い傷を抱えながらも、
常に寄り添ってくれる広子のおかげで、日常を過ごすことができたハルだったが、
ある日、学校から帰ると広子が部屋で倒れていた。
自分の周りの人が全ていなくなる不安に駆られたハルは、
あてどなく彷徨う。
そして、倒れていたところを、
豪雨被害にあった広島で年老いた母と暮らす公平(三浦友和)に助けられる。
公平は、ほとんど口を利かないハルに夕飯を食べさせながら、
妻子に逃げられ、認知症の母と2人暮らしだという身の上話をする。
公平に保護された後、駅まで送ってもらったハルは、
衝動的に生まれ故郷の大槌町をヒッチハイクで目指すことを決める。
ハルは旅路で、原発で働いていた森尾(西島秀俊)や、
夫を強制収容されたクルド難民の家族、
福島で暮らす森尾の知人の今田(西田敏行)など、
様々な人と出会い、
食事をふるまわれ、
抱きしめられ、
「生きろ」
と励まされる。
そして、ハルは導かれるように、故郷にある“風の電話”へと歩みを進める。
〈家族と、もう一度、話したい〉
その想いを胸に……
最初に言っておかなければならないのは、
この『風の電話』という映画は、
東日本大震災の被災者を扱った、一般的な、
“お涙頂戴”的な物語でもなければ、
“感動”を無理強いするような物語でもなく、
“説教”臭さがプンプンするような映画でもないということだ。
要するに(よくありがちな)解り易い作品ではないのだ。
先程も述べたが、
諏訪敦彦監督は、
セリフが一切なく、状況とその推移を示した「構成台本」をもとに、俳優と共に登場人物の感情の流れを作り上げる演出で知られる。
だが、『風の電話』は、諏訪敦彦監督と脚本家・狗飼恭子が書いた台本があり、
それはとても素晴らしい本だったらしい。
出演者の西島秀俊も、三浦友和も、
〈今回は台本ありでやるのだな……〉
と思ったそうだが、
(想像通りというか予想通り)最終的には本の骨格だけを残して、後はセリフが全部ないものになったそうだ。
だから、一般的な映画でありがちな、
打てば響くような言葉の応酬はこの映画にはない。
どのシーンにも、独特の“間”(ま)があり、
フィクションなのに、ドキュメンタリーのような雰囲気が醸し出されている。
特に、主人公のハル(モトーラ世理奈)は、
なかなか言葉を発さない。
ジリジリと時間だけが過ぎていく。
映画の鑑賞者は、
ハルの傍に立ち、彼女を見守るしかない。
見る者に、そんな孤独感を味わわせる映画は、なかなかない。
一般的な意味での娯楽作ではないので、
途中、この独特の“間”に耐えられなくなる鑑賞者もいるかもしれない。
事実、私が見ているときも、一人いた。
上映が始まり、1時間ほど経過したとき、
私の近くにいた中年女性が席を立った。
〈トイレかな?〉
と思ったが、
その客は結局帰って来なかった。
予想した映画と違ったのだろうが、
〈最後まで見て欲しかった……〉
と思ったことであった。
なぜなら、ラストの10数分間が凄いからである。
今思えば、この映画は本当に無謀だったなと(笑)。なぜなら、ラストの風の電話のシーンの芝居が映画のすべてを左右するんですから。だけどあそこでモトーラさんにセリフを全部任せたんです。
とは、諏訪敦彦監督の弁。
モトーラ世理奈は、本番まで、あの電話ボックスに一度も入らなかったという。
実際使ったカットは2回目の撮影で、
1回目は「自分のやっていることが嘘に思えて」と彼女がNGを出したというから凄い。
セリフをすべて任せた諏訪敦彦監督と、
ハルになりきることで、即興的に応じたモトーラ世理奈。
このラスト10数分は、日本映画史に残る名シーンとなっている。
“風の電話”でのラストシーンの撮影は、
前々日から天候が悪く、やっと晴れた日を狙って行われたという。
突風が吹き荒れ、木々が揺れ、雲が勢いよく流れて光がどんどん変わっていく。
設置者の佐々木格氏も、
「普段はこんなことないよ」
というほどの天候だったが、
諏訪敦彦監督は、モトーラ世理奈に、
「これは神様が迎えてくれたんだよ」
と話したのだそうだ。
実際、このラストシーンは、
電話ボックスの外の木々は揺れ、
太陽の光が刻々と変化する。
見事な“自然の演出”になっている。
その中で、モトーラ世理奈が発した言葉は、見る者の心を打つ。
〈モトーラ世理奈が天才女優であることを自ら証明した瞬間に立ち合っている……〉
と感じたラストシーンであった。
私は、モトーラ世理奈が目当てで本作『風の電話』を見たのだが、
そもそもは、オーディションで勝ち得た役であったようだ。
だが、オーディションを受ける前にもらった台本は、最後まで読めなかったという。
読んでいくうちに段々、辛い気持ちになってきたからだ。
正直、
〈やりたくないな〉
って思うくらいだったという。
だが、
せっかく行くんだったら、ちゃんとやり切りたいなって思ったんです。
でも、オーディションのときは、ハルの辛い気持ちが自分の内側からこみ上げてきてしまって、質問されてもうまく答えられませんでした。一回目のオーディションがそんな感じで終わったので、次のオーディションのことは考えない様にしていたんですが、また来てくださいって連絡があって。2回目からは台本が無くて、代わりに設定が書かれた紙を渡されて、即興芝居を演って下さいって言われたんです。でも、その即興芝居が私にとってはとても演じやすくて……自分に合うなって。そのときから、やりたいなって思うようになりました。
と、某インタビューで答えていたが、
諏訪敦彦監督の独特の演出法が、彼女に“やる気”をもたらしたのだ。
モトーラ世理奈の演技を見て、
西島秀俊は、
彼女の演技には嘘がない。
と語り、
三浦友和は、
ひさびさに映画女優を見たよ。
と驚き、
西田敏行は、
と絶賛している。
事前に演技を考えてああしようこうしようとひとりで考えるのではなく、その場に行って、相手を感じることで演技が生まれるリアクションの人なんですね。それが西田さんのいう受けの芝居なんだと思います。それがこの映画にフィットしたんだと思う。
とは、諏訪敦彦監督の言葉。
極論すると、『風の電話』は、“モトーラ世理奈がすべて”の映画である。
モトーラ世理奈以外を論ずる必要性を感じなかった。
昨年(2019年)から、
「モトーラ世理奈は凄い!」
と言い続けてきた私だが、
正直、これほど凄い女優だとは思わなかった。
今年(2020年)は、
モトーラ世理奈の出演作(すべて主演!)が目白押し状態。
現時点で判明しているだけでも、主演作が計4作。
『風の電話』の他、
『猫、かえる Cat's Home』(2020年1月18日公開、短編映画)主演・リナ 役。
『恋恋豆花』(2020年2月22日公開予定) 主演・森下奈央役 役。
『MEMORIES』(2020年公開予定) 主演で一人三役に挑戦している。
だが、今のところ、
『風の電話』以外は、九州での上映予定がない。
どうにかして見るつもりでいるが、
とにもかくにも、
今年(2020年)は、“モトーラ世理奈の年”になると予想している。
映画ファンのみならず、
“時代の目撃者”になりたい方も、
映画館で、ぜひぜひ。