一日の王

「背には嚢、手には杖。一日の王が出発する」尾崎喜八

映画『ジョジョ・ラビット』 ……反戦をエンターテインメントとして描いた傑作……

2020年01月29日 | 映画
※映画の内容に(かなり)触れています。
 予備知識なしで作品を見たい方は、映画鑑賞後にお読み下さるようお願いいたします。


第44回トロント国際映画祭で最高賞の観客賞を受賞し、
第92回アカデミー賞では6部門(作品賞・脚色賞・助演女優賞・美術賞・編集賞・衣裳デザイン賞)にノミネートされている『ジョジョ・ラビット』。
ひねくれ者の私としては、
見る前から評価の高すぎる作品や、
戦争を題材にした作品にはあまり食指が動かないのだが、
少年が主人公であること、
ユダヤ人少女を演じている女優の横顔が魅力的なこと、
母親役がスカーレット・ヨハンソンであることなど、
傑作になるに相応しい要素が備わっており、
〈もし、『ライフ・イズ・ビューティフル』や『サラの鍵』クラスの傑作だったらどうしよう……〉
と心配になってきた。
で、雨の公休日に、映画館に駆けつけたのだった。



時は、第二次世界大戦下のドイツ。
10歳のジョジョ(ローマン・グリフィン・デイビス)は、
今日から青少年集団ヒトラーユーゲントの合宿に参加するのだが、
“空想上の友達”のアドルフ(タイカ・ワイティティ)に、
「僕にはムリかも」
と弱音を吐いてしまう。


アドルフから、
「お前はひ弱で人気もない。だが、ナチスへの忠誠心はピカイチだ」
と励まされたジョジョは、気を取り直して家を出る。
ジョジョたち青少年を待っていたのは、
戦いで片目を失ったクレンツェンドルフ大尉(サム・ロックウェル)や、


教官のミス・ラーム(レベル・ウィルソン)らの指導によるハードな戦闘訓練だった。


何とか1日目を終えたものの、
ヘトヘトになったジョジョは、
唯一の“実在の友達”で気のいいヨーキーとテントで眠りにつくのだった。


ところが、2日目に命令通りウサギを殺せなかったジョジョは、
教官から父親と同じ臆病者だとバカにされる。


2年間も音信不通のジョジョの父親を、ナチスの党員たちは脱走したと決めつけていた。
さらに、“ジョジョ・ラビット”という不名誉なあだ名をつけられ、
森の奥へと逃げ出し泣いていたジョジョは、
またしてもアドルフから、
「ウサギは勇敢でずる賢く強い」
と激励される。


元気を取り戻したジョジョは、張り切って手榴弾の投てき訓練に飛び込むのだが、


失敗して大ケガを負ってしまう。


ジョジョのたった一人の家族で勇敢な母親ロージー(スカーレット・ヨハンソン)が、
ユーゲントの事務局へ抗議に行き、
ジョジョはケガが完治するまでクレンツェンドルフ大尉の指導の下、
体に無理のない奉仕活動を行うことになる。


その日、帰宅したジョジョは、亡くなった姉のインゲの部屋で隠し扉を発見する。
恐る恐る開くと、中にはユダヤ人の少女が匿われていた。






ロージーに招かれたという彼女の名はエルサ(トーマシン・マッケンジー)。


驚くジョジョを、
「通報すれば? あんたもお母さんも協力者だと言うわ。全員死刑よ」
と脅すのだった。






最大の敵が、同じ屋根の下にいるという、
予測不能の事態にパニックに陥るジョジョだったが、
考え抜いた末に、エルサに、「ユダヤ人の秘密を全部話す」という“条件”をのめば住んでいいと持ち掛ける。
エルサをリサーチして、ユダヤ人を壊滅するための本を書くことを思いついたのだ。
その日から、エルサによるジョジョへの“ユダヤ人講義”が始まった。


エルサは聡明で教養とユーモアに溢れ機転も利き、
ジョジョは次第にエルサの話と彼女自身に惹かれていく。


さらには、ユダヤ人は下等な悪魔だというヒトラーユーゲントの教えが、
事実と異なることにも気づき始める。
そんな中、秘密警察のディエルツ大尉(スティーブン・マーチャント)が、
部下を引き連れて、突然、ジョジョの家の“家宅捜索”に訪れる。


ロージーの反ナチス運動が知られたのか?


それともエルサの存在が何者かに通報されたのか?


緊迫した空気の中、エルサは、ある思い切った行動に出るのだった……



ポップで、楽しくて、面白くて、可笑しくて、そして、哀しくて……
あっという間の109分間であった。
正直、これほどエンターテインメントに徹している作品だとは思わなかった。
監督は、ニュージーランド出身のタイカ・ワイティティ。(1975年生まれ)


ハリウッド大作『マイティ・ソー バトルロイヤル』(2017年)の監督として一躍名をあげたが、


本国ニュージーランドでは、俳優、コメディアンとしてよく知られた人物で、
本作『ジョジョ・ラビット』では、
監督だけでなく、
脚本も、
そして、ジョジョの“空想上の友達”のアドルフ(・ヒトラー)として出演もしている。


そもそも、なぜヒトラー映画なのか?
タイカ・ワイティティ監督は語る。

去年イギリスの新聞ガーディアンが行った調査で、21世紀生れのアメリカ人のうち66%は、アウシュヴィッツでかつて行われた蛮行を知らなかった。ショッキングな事実だし、改善が必要だ。僕たちは第二次大戦について語り続けなければいけないんだよ。(『キネマ旬報2020年2月上旬号』)

そして、
14~15歳の頃にテレビでボスニア紛争の映像を見たことが、戦争について考え始めるきっかけになったというタイカ・ワイティティ監督は、
子供の視点で、戦争を描くことの重要性を説く。

ボスニア紛争について学びながら、多くの子供たちが巻き込まれ、悲惨な現実に直面したということを知り驚かされた。ボスニアだけじゃない。同じことがすべての戦争について言えるんだ。子供にとって大人はこの世界を運営している尊敬すべき存在で、人生のお手本だ。大人も自分たちの理想に向かって子供たちを導こうとする。ところが戦争が勃発すると、その公式は一気に崩れ去ってしまう。ドイツ人であろうがユダヤ人であろうが関係ない。このことにとても心が痛んだ。だから子供の目を通して、大人の愚行を描きたかったんだ。(『キネマ旬報2020年2月上旬号』)

その主人公の少年・ジョジョを演じているのは、ローマン・グリフィン・デイビス。


オーディションで選ばれ、本作が映画初出演であったという。
そんなことは微塵も感じさせない素晴らしい演技で、
ローマンという天才子役がいたからこその傑作『ジョジョ・ラビット』であったと思う。


第二次世界大戦やヒトラーについてはあまり知らなかった。だからオーディションの準備のために母と一緒にヒトラーユーゲントについてのドキュメンタリーを見たんだ。興味深かったのは、子供たちが戦争という嫌悪に駆り立てられた犯罪の一部にされてしまった点だった。子供たちは何のために訓練をしているのか理解できず、ただただ恐れおののいていた。中には、(この映画のジョジョのように)すっかり洗脳されてしまった子もいたんだ。(『キネマ旬報2020年2月上旬号』)

ローマンはこう語っていたが、
オーディションを受けたときの年齢は11歳で、
設定年齢よりも少し高いものの、
映画の中でのセリフは、ちゃんと理解して発していたことが判る。


ジョジョの母親を演じたのが、スカーレット・ヨハンソンで、


彼女については、こう語っている。

スカーレットは映画の世界で仕事をすることの基本を僕に教えてくれた。いかにサヴァイヴするかについても。文字通り母親のようにね! 彼女は撮影中もオフでも、ものすごくおかしい人なんだ。いつも僕を温かく迎え入れて、まるで遊んでいるかのような気分で演技をさせてくれた。彼女自身、子役出身だから、子供が初めて映画に参加することがどんな気持ちなのか理解できたんだと思う。(『キネマ旬報2020年2月上旬号』)

戦争映画というと、暗い色調の作品が多いが、
本作はどちらかというと鮮やかで、その象徴的な人物が、ジョジョの母親だ。


常にスタイリッシュで、美しく着飾っている。


スカーレット・ヨハンソンの美しさと相俟って、本作に華やかさを添えている。
だが、その華やかさには裏があって、それが後に哀切さを誘う。



『ジョジョ・ラビット』が優れているのは、
第二次世界大戦を、ナチス思想に毒されたドイツ人少年の目で描くだけでなく、
ジョジョの家に匿われているユダヤ人少女エルサを登場させ、人種問題も提示していることにある。




それは、タイカ・ワイティティ監督自身が、
ニュージーランドの先住民マオリ族の父と、
ユダヤ系の母から生まれていることに起因しているものと思われる。

この匿われているユダヤ人少女エルサを演じたトーマシン・マッケンジーが、すこぶる好い。


撮影時は18歳であったらしいが、
人物設定が『アンネの日記』のアンネ・フランクのような感じで、
少女のようでいて、時に、ふと大人の女性の表情も見せ、とても魅力的だった。


事前にたくさんリサーチして歴史を学んだわ。プラハの郊外にある強制収容所を見学したり、ユダヤ人地区を時間をかけて歩いたりもした。アンネ・フランクの日記や彼女についての本も何冊か読んだ。繊細な感覚で演技に向き合いたかったの。私の役は、当時辛い体験をした多くの人たちを代弁するような役だから。(『キネマ旬報2020年2月上旬号』)

とは、トーマシン・マッケンジーの言葉。

ラストシーンで唐突に踊り出すダンスは、開放感に満ち、
戦争終結を意味するダンスでもある。


この唐突に踊り出すダンスを絶賛する人も多いが、
(ミュージカル以外で)唐突に踊り出す映画は、なきにしもあらず。
その代表格は、ポン・ジュノ監督作品の『母なる証明』だろう。
『ジョジョ・ラビット』とは正反対で、
少女ではなく、老婆。
ラストシーンではなく、冒頭シーン。
戦争映画ではなく、ミステリー。
そして、『ジョジョ・ラビット』が“戦争終結”の踊りなのに対し、
『母なる証明』は“宣戦布告”の踊りなのだ。


ポン・ジュノ監督は語る。

最初のシーンでいきなり“母”が踊り出すというのは唐突かもしれませんが、オープニング・シーンで観客に宣戦布告したいと思ったんです。この映画は予想とかけ離れた方向に行くこと、この映画はキム・ヘジャの映画だということ、この女(母)は気が触れているかもしれないということを伝えたかった。そもそも白昼の野原でひとり踊ること自体、狂気に感じるでしょう?(「Movie Walker」インタビューより)

話があらぬ方向へ行ってしまったが、
かように『ジョジョ・ラビット』は面白いということだ。
第二次世界大戦の終結から70年以上が経ち、
(私を含め)戦争を知らない世代がほとんどになりつつある今、
どの国の指導者も好戦的なアホな人物ばかりになり、(コラコラ)
世界は本当に危うい状況が続いている。
こういう時代だからこそ、本作『ジョジョ・ラビット』を見る意義は大きい。
映画館で、ぜひぜひ。

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