鬼ノ鼻山に登るルートはいくつかあるが、いずれを選択しても、山頂近くまでの舗装道路歩きを余儀なくされる。
だから、麓から歩いて登る登山者にはめったに会わない。
九合目あたりに「憩いの森公園」があり、ここに駐車場とトイレがある。
ここから15分ほど歩けば山頂に着く。
だから、多くの登山者は、「憩いの森公園」まで車で来て、鬼ノ鼻山に登る。
(歩き足りない登山者は、聖岳を往復したりする)
たまに麓から登る登山者も見かけるが、いずれも多久聖廟から登ってくる。
山と溪谷社から出版されている『新分県登山ガイド40 佐賀県の山』にも、このルートが紹介されているので、それ以外は知らないのかもしれない。
多久聖廟から登るルートは、私も何度か歩いたことがあるが、花も少なく、あまり良いルートとは言えない。
多久聖廟の駐車場に車を駐めて、ただ鬼ノ鼻山を往復するだけでは、正直ツマラナイ。
せっかく多久市まで来たのだから、どうせなら登山口にある多久聖廟もぜひ見学してもらいたい。
多久聖廟とは――
《多久四代領主多久茂文は、過酷な馳走米の供出や軍事的任務に疲弊した領民たちの様子を見て、領民の心(敬いの心)づくりをはじめようと儒学を導入し、元禄12年(1699年)に、武士や町人、農民の身分を問わず、志ある者が学べる学問所「東原庠舎」を開校し、領民へ学問を奨励しました。そして、宝永5年(1708年)には、学問所の象徴として孔子を祀る「多久聖廟」を建立しました。「多久聖廟」は、昭和8年に国の重要文化財に指定されており、2008年(平成20年)に創建300年を迎えます》(多久市HPより)
そうなんです。
多久聖廟は、今年、創建300年を迎えます。
その記念すべき年に、ぜひこの聖なる地を訪れて欲しい。
多久聖廟周辺は、緑も多く、散策したり、寝転がって昼寝したりするには最適の場所。
6月下旬から7月上旬にかけては、多久聖廟の近くで、「2000年ハス」も見ることができる。
「2000年ハス」は、正式には「大賀ハス」と呼ばれている。
植物学者の故・大賀一郎博士が、1951年に、千葉県検見川で、弥生時代の遺跡から約2000年前のハスの種を発掘。その種が発芽し、見事に花をつけたことから「大賀ハス」と呼ばれるようになり、全国に広まった。
多久聖廟近くに、1570年に龍造寺長信が建てた「聖光寺」という由緒あるお寺がある。
ここの野中寛應住職が、その「大賀ハス」の種を、2002年に島根県斐川町の荒神谷史跡公園から譲り受けて、発芽・栽培に成功。
一躍有名になった。
多久聖廟のすぐ横に、鬼ノ鼻山へ向かう道がある。
まっすぐ行けば鬼ノ鼻山。
右の道を行けば、「2000年ハス」。
写真で見ると小さく見えるかもしれませんが、かなり大きな花です。
つぼみもかなり大きい。
ちょっと開きかけ。
開くと、本当に美しい!
古代ハスの特徴は、花弁が細長く、花弁のふちに行くほどピンク色が濃く鮮やかになる。
ハスは、夜明けとともに咲き、お昼前には閉じる。
なるべく朝早くに出掛けた方がグ~
「2000年ハス」を見終え、いよいよ登山開始。
約30分ほどで、この分岐に出くわす。
左は天ヶ瀬ダムの方から来た道で、ここで合流し、山頂へ(右へ)続く。
多久聖廟からゆっくり歩いて1時間半ほどで山頂に着く。
今日はガスっており、展望は良くない。
山頂近くの花を探す。
驚いたことにママコナを発見!
『佐賀の野草』(貞松光男著・佐賀新聞社)では、花期を9~10月としている。
どちらかと言えば秋の花のイメージ。
昨年は、鬼ノ鼻山では、9月にもっともママコナを多く見たし、10月に登った時にも見ることができた。
ただ、図鑑によっては、花期を6~8月としているものもあり、よく分からない。
そして、またまた驚いたことに、アキノタムラソウを発見!
『佐賀の野草』では、花期を7月~11月としているから、そう驚く程の事でもないか?
でも、「秋田村草」と書くから、どうしても秋のイメージがあるなぁ~。
鬼ノ鼻山山頂と展望台との鞍部に、ウツボグサの群落があった。
下山路は、多久聖廟の方ではなく、土道ルートをとり、天ヶ瀬ダムの方へ下りる。
オオバギボウシが山の斜面に咲いていた。
お馴染み、オカトラノオも――
天ヶ瀬ダムの近くに、石清水が飲める場所がある。
「多久の天然水」である。
知る人ぞ知る名所で、遠くから汲みに来るファンも多い。
里に下りてくると、まだオドリコソウが咲いていた。
そして、ヤブカンゾウがもう咲いていた。
季節の変わり目の今日、いろんな花を見ることができて楽しかった。
朝方まで降っていた雨も、山を歩いている間は、まったく降らなかった。
素晴らしい一日に感謝!
だから、麓から歩いて登る登山者にはめったに会わない。
九合目あたりに「憩いの森公園」があり、ここに駐車場とトイレがある。
ここから15分ほど歩けば山頂に着く。
だから、多くの登山者は、「憩いの森公園」まで車で来て、鬼ノ鼻山に登る。
(歩き足りない登山者は、聖岳を往復したりする)
たまに麓から登る登山者も見かけるが、いずれも多久聖廟から登ってくる。
山と溪谷社から出版されている『新分県登山ガイド40 佐賀県の山』にも、このルートが紹介されているので、それ以外は知らないのかもしれない。
多久聖廟から登るルートは、私も何度か歩いたことがあるが、花も少なく、あまり良いルートとは言えない。
多久聖廟の駐車場に車を駐めて、ただ鬼ノ鼻山を往復するだけでは、正直ツマラナイ。
せっかく多久市まで来たのだから、どうせなら登山口にある多久聖廟もぜひ見学してもらいたい。
多久聖廟とは――
《多久四代領主多久茂文は、過酷な馳走米の供出や軍事的任務に疲弊した領民たちの様子を見て、領民の心(敬いの心)づくりをはじめようと儒学を導入し、元禄12年(1699年)に、武士や町人、農民の身分を問わず、志ある者が学べる学問所「東原庠舎」を開校し、領民へ学問を奨励しました。そして、宝永5年(1708年)には、学問所の象徴として孔子を祀る「多久聖廟」を建立しました。「多久聖廟」は、昭和8年に国の重要文化財に指定されており、2008年(平成20年)に創建300年を迎えます》(多久市HPより)
そうなんです。
多久聖廟は、今年、創建300年を迎えます。
その記念すべき年に、ぜひこの聖なる地を訪れて欲しい。
多久聖廟周辺は、緑も多く、散策したり、寝転がって昼寝したりするには最適の場所。
6月下旬から7月上旬にかけては、多久聖廟の近くで、「2000年ハス」も見ることができる。
「2000年ハス」は、正式には「大賀ハス」と呼ばれている。
植物学者の故・大賀一郎博士が、1951年に、千葉県検見川で、弥生時代の遺跡から約2000年前のハスの種を発掘。その種が発芽し、見事に花をつけたことから「大賀ハス」と呼ばれるようになり、全国に広まった。
多久聖廟近くに、1570年に龍造寺長信が建てた「聖光寺」という由緒あるお寺がある。
ここの野中寛應住職が、その「大賀ハス」の種を、2002年に島根県斐川町の荒神谷史跡公園から譲り受けて、発芽・栽培に成功。
一躍有名になった。
多久聖廟のすぐ横に、鬼ノ鼻山へ向かう道がある。
まっすぐ行けば鬼ノ鼻山。
右の道を行けば、「2000年ハス」。
写真で見ると小さく見えるかもしれませんが、かなり大きな花です。
つぼみもかなり大きい。
ちょっと開きかけ。
開くと、本当に美しい!
古代ハスの特徴は、花弁が細長く、花弁のふちに行くほどピンク色が濃く鮮やかになる。
ハスは、夜明けとともに咲き、お昼前には閉じる。
なるべく朝早くに出掛けた方がグ~
「2000年ハス」を見終え、いよいよ登山開始。
約30分ほどで、この分岐に出くわす。
左は天ヶ瀬ダムの方から来た道で、ここで合流し、山頂へ(右へ)続く。
多久聖廟からゆっくり歩いて1時間半ほどで山頂に着く。
今日はガスっており、展望は良くない。
山頂近くの花を探す。
驚いたことにママコナを発見!
『佐賀の野草』(貞松光男著・佐賀新聞社)では、花期を9~10月としている。
どちらかと言えば秋の花のイメージ。
昨年は、鬼ノ鼻山では、9月にもっともママコナを多く見たし、10月に登った時にも見ることができた。
ただ、図鑑によっては、花期を6~8月としているものもあり、よく分からない。
そして、またまた驚いたことに、アキノタムラソウを発見!
『佐賀の野草』では、花期を7月~11月としているから、そう驚く程の事でもないか?
でも、「秋田村草」と書くから、どうしても秋のイメージがあるなぁ~。
鬼ノ鼻山山頂と展望台との鞍部に、ウツボグサの群落があった。
下山路は、多久聖廟の方ではなく、土道ルートをとり、天ヶ瀬ダムの方へ下りる。
オオバギボウシが山の斜面に咲いていた。
お馴染み、オカトラノオも――
天ヶ瀬ダムの近くに、石清水が飲める場所がある。
「多久の天然水」である。
知る人ぞ知る名所で、遠くから汲みに来るファンも多い。
里に下りてくると、まだオドリコソウが咲いていた。
そして、ヤブカンゾウがもう咲いていた。
季節の変わり目の今日、いろんな花を見ることができて楽しかった。
朝方まで降っていた雨も、山を歩いている間は、まったく降らなかった。
素晴らしい一日に感謝!
良いお天気ですね。今日は絵の日なんですが、こうお天気が良いとグラグラします。 でも、意志を強く持ち・・・
ところで、日曜日に天山に出かけることにしました。以前行きたいと言っていたルートです。お初なので、迷子にならないように気をつけます。もし、時間が合えばタクさんもいらっしゃいませんか?
天山の岸川ルート、同行OKです。
日曜日、晴れるとイイですね。
詳細は、メールにて連絡します。