昨日(2月26日)は、姪(私の兄の娘)の結婚式であった。
私の長女と同い年の姪は、
私の娘たちとも大の仲良しで、
子供の頃など、夏休みによく泊まりがけで我が家に遊びに来たりしていた。
私も、娘たちと姪を連れてプールに出掛けたりして、少なからず姪とは想い出が残っている。
姪が大人になってからはなかなか会う機会はなかったが、
私の娘たちの結婚式に来てくれた時や、親戚の集まりで会った時には、ビックリするほど美しい娘に成長していて驚かされた。
そんな我が家と親しい姪の結婚式であったので、私としてもやはり感慨深いものがあった。
結婚式の数週間前、その姪から電話が掛かってきて、
「披露宴での万歳三唱の役を引き受けてくれませんか?」
と、頼んできた。
人前でなにかパフォーマンスをすることを苦手としている私なので、本来なら断るところなのだが、他ならぬ姪の頼みなので、引き受けることにした。
ただ万歳三唱だけをすればイイというものでもなく、やはり一言二言なにか言わなければならない。
それが苦手。
万歳三唱は披露宴の最後にあるので、あまり酒を呑みすぎてもいけないので、それもプレッシャー。
本当に、姪からのお願いでなかったならば、断っていたところなのだ。
ネットで調べたりして、一応10行ほどのスピーチを考えた。
必要最小限の短い挨拶だが、記憶力の弱い私は、これが覚えられない。(笑)
紙に書いたものを読んで何度か練習し、
〈もう大丈夫だろう〉
と、紙を見ないで言おうとすると、もう忘れている。(爆)
「末永いお幸せ」や「万歳三唱の音頭を取らせていただきます」の部分など、舌がうまく回らない。
物覚えが悪く、滑舌も悪いので、どうしようもない。
式当日は、カンニングペーパーをポケットに忍ばせて挑むことにした。
披露宴が始まり、来賓の挨拶や、乾杯の音頭をとる人などを見ていると、大抵が紙を見ながら喋っている。
この会場は、新郎新婦が座っている横に、机のような挨拶用のマイク台があり、低い衝立のようなものもあり、手許が見えないようになっている。
そこにカンニングペーパーを置いて喋れば不自然な感じはしない。
私はホッと安心し、料理を食べ、酒を呑むことに専念した。
やがて宴も終盤になり、両親への花束贈呈になった。
会場の後ろの幕が上がり、そこにあるステージに、両家の両親が立っている。
新郎新婦がステージ前までやってきて、そこで新婦が両親への手紙を読み上げ始めた。
〈えっ、最後の万歳三唱は、もしかしたらこちらでやるの?〉
と不安になる。
花束贈呈が終わり、
新郎の父親、
それに、新郎の挨拶が済んだ。
そして、いよいよ万歳三唱の番。
ステージの前に、スタンドマイクが運ばれてきた。
〈ええ~、やっぱりここでやるの~〉
と心の中で絶叫する。
カンニングペーパーが使えない。
「それでは、新婦の叔父様になられます○○様、こちらへどうぞ~」
と、妙に明るいアナウンス。
私はよろよろと立ち上がり、スタンドマイクのある場所へ歩き出す。
〈まいったな~〉
と思いつつ、
〈まあ、仕方ない。こうなったら元気に万歳三唱を叫んでこよう〉
と思い直し、マイクの前に立った。
すると、ス~と緊張感がなくなり、口からスルスルと言葉が出て来た。
ほぼ練習した通りに言えたし、最後は超大声で「万歳」を叫んだ。
席に戻ってくると、配偶者の
「良かったよ」
の一言で、ホッとしたのだった。
今日は、少し遅めに目覚めた。
少し疲れていたし、天気もあまり良くないみたいだったので、映画にでも行こうかと考えていた。
一応、見たい映画として、
『あしたのジョー』『悪魔を見た』『英国王のスピーチ』
の3作品をリストアップしていた。
パソコンのメールチェックをしてみると、
肉まんさんから、
「日本経済新聞・夕刊の映画レビューで、『英国王のスピーチ』という作品が、久し振りに映画評論家の評価が5つ星でした。気になって調べてみたら、どうしても観たくなりました」
というメールが届いていた。
前日に披露宴でへたくそなスピーチをしたばかりなので、
スピーチつながりだし、
それに、私も一応「一日の王」なので、
王つながりでもあるし、(笑)
肉まんさんご推薦の『英国王のスピーチ』を見なければなるまい……ということで、
佐賀県で唯一上映している映画館・109シネマズ佐賀へ見に行った。
英国史上、もっとも内気な国王と言われた、
現エリザベス女王の父・ジョージ6世の物語。
子供の頃から悩む吃音のため、無口で内向的。
大勢の前でスピーチをするなんてとんでもない。
そんな気弱な男が、国王になった。
彼は、本当は国王になどなりたくなかったのだ。
兄のエドワードが、王室が認めない愛のために王冠を捨てたことから、予期せぬ座につかされてしまったのだ。
スピーチで始まり、スピーチで終わる公務の数々に、どう対処すればいいのか?
王は何人もの言語聴覚士の治療を受けるが、一向に改善しない。
心配した妻のエリザベスは、スピーチの矯正の専門家・ライオネルの診療所に自ら足を運ぶ。
堅く閉ざした心に原因があると気づいたライオネルは、ユニークな治療法で王の心を解きほぐしていく。
折しも第二次世界大戦が始まり、ヒトラーの率いるナチスドイツとの開戦に揺れる国民は、王の言葉を待ち望んでいた。
ライオネルの友情と、妻の愛情に支えられ、
王は国民の心をひとつにするべく、
渾身のスピーチに挑む。
人前で話せない男が、
国民の望む「真の王」になるために、
マイクに向かう。
いま、世紀のスピーチが始まろうとしていた……
(ストーリーはパンフレット等より引用し構成)
「王冠をかけた恋」として、エドワード8世の恋は、英国王室最大のスキャンダルとして世界中を騒がせた。
それはとても美しい物語のように語られたりした。
だが、そのために、弟のジョージ6世が望まぬ王位につき、このような物語があったとは……知らなかったし、とても驚いた。
吃音のために、うまく喋れない、言葉が出て来なくなる……
国王として、どんなにか辛かったろう。
吃音症との長い闘いの末に勝ち得た、国民を奮い立たせる対ヒトラー戦争宣言スピーチには、心揺さぶられた。
ジョージ6世のスピーチとは比較すること自体おこがましいが、結婚披露宴で冷や汗体験をした翌日に映画を見たこともあって、この作品がとても身近に感じたし、感動した。
ジョージ6世を演じた、コリン・ファース。
今年のオスカー主演男優賞最有力候補。
すでにゴールデン・グローブ賞など、オスカー以外のほとんどの賞を総ナメにしている彼の演技は、やはり凄かった。
自らの運命とコンプレックスに向き合い、苦しみながらもそれを乗り越えていく姿に、誰もが感動し、励まされることだろう。
ジョージ6世の妻・エリザベスを演じた、ヘレナ・ボナム=カーター。
物語の本当の主役は彼女かもしれないと思わせる名演技。
ジョージ6世は、やがて国民の絶大な支持を得るようになるのだが、彼女の内助の功あればこその人気だったと言える。
セリフはそれほど多くはないが、少ない言葉の内に、王への温かい思いやりが感じられる。
気持ちの強さからくる王への優しい心遣いが、ヘレナ・ボナム=カーターの名演によって増幅され、この作品を奥行きの深いものにしている。
セラピストのライオネルを演じた、ジェフリー・ラッシュ。
すでに主演男優賞、助演男優賞を得ているオスカー俳優。
言わずと知れた演技派で、この作品でもその実力はいかんなく発揮されている。
王と同等の立場で対する姿勢、深い思いやりの心、
決して恵まれた過去がある訳ではないが、温かい家族に包まれ、王を励まし、友情を育んでいく姿に熱いものがこみ上げてくる。
ジェフリー・ラッシュの名演あるがゆえに……
ライオネルの妻を演じた、ジェニファー・イーリー。
この女優は、個人的にほとんど知らなかったが、とても好印象を持った。
控え目な中にも芯の強さを秘め、素朴な美しさがあった。
夫が国王のセラピストを務めているとはつゆ知らず、
自宅を訪ねてきた国王夫妻と対面する場面はすごく良かった。
この映画は、ジョージ6世と、セラピストであるライオネルの友情の物語であるが、
と同時に、ジョージ6世の妻エリザベスと、ライオネルの妻の、
夫を励まし、男を社会的に成長させていく物語でもある。
ジョージ6世と、ライオネルの傍には常に彼女たちがいて、夫を静かに見守っている。
男の立場で見ても、女の立場でも見ても、どちらでも楽しめる、そして教えの多い作品と言える。
最後に、野暮を承知で一言付け加える。
この作品、国内外で礼賛の嵐で、日本でも著名人からの絶賛コメントも多い。
ただ、この時代、英国は多くの植民地を持っていたということ、
当然のことながら、英国=正義ではないということ、
そして、対ヒトラーということで批判ができにくい構造になっているが、
その英国とやがて対峙する国に、日本も含まれているということ、
そういったことも少しは考えてみる必要があるような気がする。
この作品を傑作と認めた上での戯れ言ではあるのだが……
私の長女と同い年の姪は、
私の娘たちとも大の仲良しで、
子供の頃など、夏休みによく泊まりがけで我が家に遊びに来たりしていた。
私も、娘たちと姪を連れてプールに出掛けたりして、少なからず姪とは想い出が残っている。
姪が大人になってからはなかなか会う機会はなかったが、
私の娘たちの結婚式に来てくれた時や、親戚の集まりで会った時には、ビックリするほど美しい娘に成長していて驚かされた。
そんな我が家と親しい姪の結婚式であったので、私としてもやはり感慨深いものがあった。
結婚式の数週間前、その姪から電話が掛かってきて、
「披露宴での万歳三唱の役を引き受けてくれませんか?」
と、頼んできた。
人前でなにかパフォーマンスをすることを苦手としている私なので、本来なら断るところなのだが、他ならぬ姪の頼みなので、引き受けることにした。
ただ万歳三唱だけをすればイイというものでもなく、やはり一言二言なにか言わなければならない。
それが苦手。
万歳三唱は披露宴の最後にあるので、あまり酒を呑みすぎてもいけないので、それもプレッシャー。
本当に、姪からのお願いでなかったならば、断っていたところなのだ。
ネットで調べたりして、一応10行ほどのスピーチを考えた。
必要最小限の短い挨拶だが、記憶力の弱い私は、これが覚えられない。(笑)
紙に書いたものを読んで何度か練習し、
〈もう大丈夫だろう〉
と、紙を見ないで言おうとすると、もう忘れている。(爆)
「末永いお幸せ」や「万歳三唱の音頭を取らせていただきます」の部分など、舌がうまく回らない。
物覚えが悪く、滑舌も悪いので、どうしようもない。
式当日は、カンニングペーパーをポケットに忍ばせて挑むことにした。
披露宴が始まり、来賓の挨拶や、乾杯の音頭をとる人などを見ていると、大抵が紙を見ながら喋っている。
この会場は、新郎新婦が座っている横に、机のような挨拶用のマイク台があり、低い衝立のようなものもあり、手許が見えないようになっている。
そこにカンニングペーパーを置いて喋れば不自然な感じはしない。
私はホッと安心し、料理を食べ、酒を呑むことに専念した。
やがて宴も終盤になり、両親への花束贈呈になった。
会場の後ろの幕が上がり、そこにあるステージに、両家の両親が立っている。
新郎新婦がステージ前までやってきて、そこで新婦が両親への手紙を読み上げ始めた。
〈えっ、最後の万歳三唱は、もしかしたらこちらでやるの?〉
と不安になる。
花束贈呈が終わり、
新郎の父親、
それに、新郎の挨拶が済んだ。
そして、いよいよ万歳三唱の番。
ステージの前に、スタンドマイクが運ばれてきた。
〈ええ~、やっぱりここでやるの~〉
と心の中で絶叫する。
カンニングペーパーが使えない。
「それでは、新婦の叔父様になられます○○様、こちらへどうぞ~」
と、妙に明るいアナウンス。
私はよろよろと立ち上がり、スタンドマイクのある場所へ歩き出す。
〈まいったな~〉
と思いつつ、
〈まあ、仕方ない。こうなったら元気に万歳三唱を叫んでこよう〉
と思い直し、マイクの前に立った。
すると、ス~と緊張感がなくなり、口からスルスルと言葉が出て来た。
ほぼ練習した通りに言えたし、最後は超大声で「万歳」を叫んだ。
席に戻ってくると、配偶者の
「良かったよ」
の一言で、ホッとしたのだった。
今日は、少し遅めに目覚めた。
少し疲れていたし、天気もあまり良くないみたいだったので、映画にでも行こうかと考えていた。
一応、見たい映画として、
『あしたのジョー』『悪魔を見た』『英国王のスピーチ』
の3作品をリストアップしていた。
パソコンのメールチェックをしてみると、
肉まんさんから、
「日本経済新聞・夕刊の映画レビューで、『英国王のスピーチ』という作品が、久し振りに映画評論家の評価が5つ星でした。気になって調べてみたら、どうしても観たくなりました」
というメールが届いていた。
前日に披露宴でへたくそなスピーチをしたばかりなので、
スピーチつながりだし、
それに、私も一応「一日の王」なので、
王つながりでもあるし、(笑)
肉まんさんご推薦の『英国王のスピーチ』を見なければなるまい……ということで、
佐賀県で唯一上映している映画館・109シネマズ佐賀へ見に行った。
英国史上、もっとも内気な国王と言われた、
現エリザベス女王の父・ジョージ6世の物語。
子供の頃から悩む吃音のため、無口で内向的。
大勢の前でスピーチをするなんてとんでもない。
そんな気弱な男が、国王になった。
彼は、本当は国王になどなりたくなかったのだ。
兄のエドワードが、王室が認めない愛のために王冠を捨てたことから、予期せぬ座につかされてしまったのだ。
スピーチで始まり、スピーチで終わる公務の数々に、どう対処すればいいのか?
王は何人もの言語聴覚士の治療を受けるが、一向に改善しない。
心配した妻のエリザベスは、スピーチの矯正の専門家・ライオネルの診療所に自ら足を運ぶ。
堅く閉ざした心に原因があると気づいたライオネルは、ユニークな治療法で王の心を解きほぐしていく。
折しも第二次世界大戦が始まり、ヒトラーの率いるナチスドイツとの開戦に揺れる国民は、王の言葉を待ち望んでいた。
ライオネルの友情と、妻の愛情に支えられ、
王は国民の心をひとつにするべく、
渾身のスピーチに挑む。
人前で話せない男が、
国民の望む「真の王」になるために、
マイクに向かう。
いま、世紀のスピーチが始まろうとしていた……
(ストーリーはパンフレット等より引用し構成)
「王冠をかけた恋」として、エドワード8世の恋は、英国王室最大のスキャンダルとして世界中を騒がせた。
それはとても美しい物語のように語られたりした。
だが、そのために、弟のジョージ6世が望まぬ王位につき、このような物語があったとは……知らなかったし、とても驚いた。
吃音のために、うまく喋れない、言葉が出て来なくなる……
国王として、どんなにか辛かったろう。
吃音症との長い闘いの末に勝ち得た、国民を奮い立たせる対ヒトラー戦争宣言スピーチには、心揺さぶられた。
ジョージ6世のスピーチとは比較すること自体おこがましいが、結婚披露宴で冷や汗体験をした翌日に映画を見たこともあって、この作品がとても身近に感じたし、感動した。
ジョージ6世を演じた、コリン・ファース。
今年のオスカー主演男優賞最有力候補。
すでにゴールデン・グローブ賞など、オスカー以外のほとんどの賞を総ナメにしている彼の演技は、やはり凄かった。
自らの運命とコンプレックスに向き合い、苦しみながらもそれを乗り越えていく姿に、誰もが感動し、励まされることだろう。
ジョージ6世の妻・エリザベスを演じた、ヘレナ・ボナム=カーター。
物語の本当の主役は彼女かもしれないと思わせる名演技。
ジョージ6世は、やがて国民の絶大な支持を得るようになるのだが、彼女の内助の功あればこその人気だったと言える。
セリフはそれほど多くはないが、少ない言葉の内に、王への温かい思いやりが感じられる。
気持ちの強さからくる王への優しい心遣いが、ヘレナ・ボナム=カーターの名演によって増幅され、この作品を奥行きの深いものにしている。
セラピストのライオネルを演じた、ジェフリー・ラッシュ。
すでに主演男優賞、助演男優賞を得ているオスカー俳優。
言わずと知れた演技派で、この作品でもその実力はいかんなく発揮されている。
王と同等の立場で対する姿勢、深い思いやりの心、
決して恵まれた過去がある訳ではないが、温かい家族に包まれ、王を励まし、友情を育んでいく姿に熱いものがこみ上げてくる。
ジェフリー・ラッシュの名演あるがゆえに……
ライオネルの妻を演じた、ジェニファー・イーリー。
この女優は、個人的にほとんど知らなかったが、とても好印象を持った。
控え目な中にも芯の強さを秘め、素朴な美しさがあった。
夫が国王のセラピストを務めているとはつゆ知らず、
自宅を訪ねてきた国王夫妻と対面する場面はすごく良かった。
この映画は、ジョージ6世と、セラピストであるライオネルの友情の物語であるが、
と同時に、ジョージ6世の妻エリザベスと、ライオネルの妻の、
夫を励まし、男を社会的に成長させていく物語でもある。
ジョージ6世と、ライオネルの傍には常に彼女たちがいて、夫を静かに見守っている。
男の立場で見ても、女の立場でも見ても、どちらでも楽しめる、そして教えの多い作品と言える。
最後に、野暮を承知で一言付け加える。
この作品、国内外で礼賛の嵐で、日本でも著名人からの絶賛コメントも多い。
ただ、この時代、英国は多くの植民地を持っていたということ、
当然のことながら、英国=正義ではないということ、
そして、対ヒトラーということで批判ができにくい構造になっているが、
その英国とやがて対峙する国に、日本も含まれているということ、
そういったことも少しは考えてみる必要があるような気がする。
この作品を傑作と認めた上での戯れ言ではあるのだが……