稲葉浩志さんが通った小学校に到着。出雲街道からよく見える大きな石碑には「津山市立林田小学校竣工記念 平成16年2月1日」の刻銘がある。林田の読み方は「はいだ」。
日付は新校舎及び体育館の落成式を指すものと思われるが、卒業生の回想などを読むと昭和の学校風景とは全然別物らしい。
林田小学校(岡山県津山市川崎850)より若干西に位置する津山第二会館は「林田小たんぽぽ児童クラブ」として活用され、会館入口横に「東松原と松並木」の説明板が取り付けられている。
城下町内ではないが、町に隣接する在(村)分として「町端在分」と呼ばれた区域の一部。城下町と在分の境目として、城下町の発展に伴い、この地域も栄えた。その町名のとおり、この地から東へ向かって出雲街道沿いに松並木があり、往来を行き来する人を見守っていた。
(今は無き)街道松の管理責任を負わされた江戸期の住民は大変だった。植樹の目的は通行人の日除けや防風が主と考えられるが、積雪時には松並木が路漂として機能したはずだ。
日付は新校舎及び体育館の落成式を指すものと思われるが、卒業生の回想などを読むと昭和の学校風景とは全然別物らしい。
林田小学校(岡山県津山市川崎850)より若干西に位置する津山第二会館は「林田小たんぽぽ児童クラブ」として活用され、会館入口横に「東松原と松並木」の説明板が取り付けられている。
城下町内ではないが、町に隣接する在(村)分として「町端在分」と呼ばれた区域の一部。城下町と在分の境目として、城下町の発展に伴い、この地域も栄えた。その町名のとおり、この地から東へ向かって出雲街道沿いに松並木があり、往来を行き来する人を見守っていた。
(今は無き)街道松の管理責任を負わされた江戸期の住民は大変だった。植樹の目的は通行人の日除けや防風が主と考えられるが、積雪時には松並木が路漂として機能したはずだ。