寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

権力者の成れの果て

2016年05月19日 | 日記
東京都のトップが時の人となっている。昨日、池田信夫さんが彼を「無能」と評し、今日は竹内洋さんが正論のネタにしていた。書いてあることはどちらもなかなか手厳しい。

牧民の思想はどこへいったのか
 舛添知事に対するこのような疑問や批判については、やることをやってくれれば、知事なのだから出張旅費や公用車での別荘通いくらいで目くじらを立てるな、という意見の人もいるだろう。そういう人々は、この種の批判を、いちゃもんをつけて足を引っ張るものととらえ、大衆社会の劣情に棹さしたメディアによるフレームアップだとするかもしれない。
 しかし、私は、今回の疑問や批判は大衆社会の劣情狙いだとは思わない。日本人の理想的指導者像(名君像)のDNAに抵触することからブーイングが出ていると思うのである。

伝統的な理想者像から逸脱
 大衆は富や権力の見せびらかしを嫌ってきたのである。そんな指導者像をめぐる感情への異物混入が新自由主義的空気である。競争で勝ったのだから、選挙で勝利したのだから、法令順守であれば、どこが悪いのかという姿勢が密かに台頭している。(以下略)
 私は今回の件が引き金になって指導者が「清貧」の誇示というパフォーマンスに向かうことを危惧しないでもないが、それよりも、現代日本においても大衆感情に日本人の理想的指導者像が持続しているということが重要だと思うのである。

まっさんには「旧眠巣のイボ」の如く出来るだけ長く権力の座にしがみついてもらい歴史にその名を刻んでほしい。そもそも「学歴・地位」や「家柄・財産」を自慢する者で「生まれ・性根」が良かった例は殆どない。オツムの弱い与太者がしたり顔で「鉄アレイのような腕時計」を見せたがるのとレベルは同じである。権力者の成れの果てはおもろい漫画になりそうだな。

にほんブログ村 その他日記ブログ ひとりごとへ
にほんブログ村

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« そら豆の焼き物 | トップ | 広島駅南口Cブロック再開発 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

日記」カテゴリの最新記事