
王墓山古墳が岡山県史跡に指定されたのは昭和二十七年十一月。石室は明治末期に石材として切り出されて存在せず、見ることができるのはその時に副葬品共々運び出された家形石棺(7枚の石を組み合わせている)のみである。石棺のそばに王墓山周辺古墳之精霊供養塔が建つ。


私は南へ歩いて行き大池上古墳群9号墳の前で立ち止まった。説明板には「尾根上に築かれた古墳で、南西方向に開口する横穴式石室を有している。石室は現存で全長約五・五m、幅約一・七mを測るが、墳丘と天井石はすでに失われている。未調査であるため明らかではないが、おおむね六世紀後半頃に築造された径一五m程度の円墳と思われる。倉敷市教育委員会」と書かれている。

その後休憩所に到着し近くの説明板の地図に目をやった。更に南には真宮古墳群と神社などがあることが分かった。今後の旅のタイムスケジュールを考えるとその辺で引き返すのがベストと判断した。



私は南へ歩いて行き大池上古墳群9号墳の前で立ち止まった。説明板には「尾根上に築かれた古墳で、南西方向に開口する横穴式石室を有している。石室は現存で全長約五・五m、幅約一・七mを測るが、墳丘と天井石はすでに失われている。未調査であるため明らかではないが、おおむね六世紀後半頃に築造された径一五m程度の円墳と思われる。倉敷市教育委員会」と書かれている。

その後休憩所に到着し近くの説明板の地図に目をやった。更に南には真宮古墳群と神社などがあることが分かった。今後の旅のタイムスケジュールを考えるとその辺で引き返すのがベストと判断した。

