福永眼科医院跡地で大和ハウス工業による共同住宅(建設主は新市町の株式会社セカイトンボ)の建造が進む。既に基礎は出来上がっているので近々資材を運び込んで組み上げていくだろう。確か工期は8月末までだったはず。
ハート9店舗目となる木之庄店が完成(ひろぎんのATMを併設)。いよいよ明日(金曜日)プレオープンする(営業時間は9:00~21:00)。引野店よりも近いので私としてはありがたい。エブリイやオンリーワンで買い物してからハートに寄る人も多いと思う。選択肢が増えることはいいことだ。
川崎の玉琳地町内会を通過する際に雨が最も激しく降っていた。1枚目の写真は間庭酒店付近を撮影したものである。
あんどう酒店(跡?)~武岡米穀店(裏が武蔵湯)の先に逆川が流れ高砂橋が架かる。地元の人でない限り「さかさまがわ」とは読めないだろう。橋を渡ると川崎交差点(押しボタン式信号機あり)である。
あんどう酒店(跡?)~武岡米穀店(裏が武蔵湯)の先に逆川が流れ高砂橋が架かる。地元の人でない限り「さかさまがわ」とは読めないだろう。橋を渡ると川崎交差点(押しボタン式信号機あり)である。
ついに梅雨明けの発表があった。福山は雨が降る前に真夏日が1週間続いたが、これから2ヶ月間はクソ熱いだろうな。コンビニの「冷し中華」が馬鹿売れすること間違いなし。我が家ではもっぱら「ひやむぎ(岡山手延素麺株式会社製)」を啜るんだけどね(笑)
肉屋のある通りにおいても新築ラッシュだった。農地(畑)を潰して一条工務店福山がモダンな造りの住宅を建造中である。
そして向かい(山手第2公園南側)ではハートフルホーム福山が工事を進めている。中心市街地と同様に芦田川西岸も開発は盛んなようだ。
そして向かい(山手第2公園南側)ではハートフルホーム福山が工事を進めている。中心市街地と同様に芦田川西岸も開発は盛んなようだ。
玉琳(ぎょくりん)三叉路手前にある大きな石は目立つ。ちょっと分かりにくいが、三叉路から折り返して丘陵を越える細い道が北方向に延びていく。
その坂の登り口付近に地蔵尊・回国供養塔・道しるべ(レプリカ)などの石造物がまとめられ背後に「玉琳と因幡往来」の説明板が設置されている。
玉琳という地名は、およそ四百年前の修験者河内玉琳に由来する。
ここ玉琳は、森家の街道整備によって一里塚が設置された場所であり、また、出雲街道から因幡道が北に分岐する場所でもあった。
そのため、幕末の不穏な情勢の中では、元治元年(一八六四)、城下町周辺の要所八ヶ所に設置された番所のひとつが、ここに設けられていた。
因幡街道沿い(巨木の下)に祀られた小社が今宮神社である。玉琳は説明板に記載のある修験者が埋葬された地ということで塚も存在する。峠や切り通し(主要街道)で監視の目を光らせたのはどの藩も同じである(備後福山藩では榎木峠、藁江峠などが有名)。私は坂から有名な橋野食堂を見下ろして出雲街道へ戻った。
その坂の登り口付近に地蔵尊・回国供養塔・道しるべ(レプリカ)などの石造物がまとめられ背後に「玉琳と因幡往来」の説明板が設置されている。
玉琳という地名は、およそ四百年前の修験者河内玉琳に由来する。
ここ玉琳は、森家の街道整備によって一里塚が設置された場所であり、また、出雲街道から因幡道が北に分岐する場所でもあった。
そのため、幕末の不穏な情勢の中では、元治元年(一八六四)、城下町周辺の要所八ヶ所に設置された番所のひとつが、ここに設けられていた。
因幡街道沿い(巨木の下)に祀られた小社が今宮神社である。玉琳は説明板に記載のある修験者が埋葬された地ということで塚も存在する。峠や切り通し(主要街道)で監視の目を光らせたのはどの藩も同じである(備後福山藩では榎木峠、藁江峠などが有名)。私は坂から有名な橋野食堂を見下ろして出雲街道へ戻った。
芦田川右岸堤防下(低地)に位置する山手地区。久し振りに立ち寄ったところ、山手橋西詰近くで2軒の新築工事(サンキョウハウジングとアエラホーム)が進んでいた。
現場は県営南泉住宅第一泉住宅1号棟の東側の一画でアエラホーム隣(北側)の空き地には「共和開発 売地」の看板が立っている。共和開発は東広島市八本松町南の不動産会社である。
現場は県営南泉住宅第一泉住宅1号棟の東側の一画でアエラホーム隣(北側)の空き地には「共和開発 売地」の看板が立っている。共和開発は東広島市八本松町南の不動産会社である。
津山で入手した面白いロードマップ。B ’z稲葉浩志さんの母校(林田小学校・津山東中学校)は実家のイナバ化粧品店から割と近いことが分かる。
私は雨に濡れながら猛スピードで出雲街道を西へと走った。ガソリンスタンド(金森石油店)の脇を抜け玉琳(ぎょくりん)バス停を過ぎると三叉路となる。
私は雨に濡れながら猛スピードで出雲街道を西へと走った。ガソリンスタンド(金森石油店)の脇を抜け玉琳(ぎょくりん)バス停を過ぎると三叉路となる。
草戸大橋バス停近くから芦田川を望む。新橋の橋脚建設工事は予定より若干早く終了したようである。
橋桁が出来るのは何時頃だろうか。土地買収などの難しい問題が存在するので新道路の開通は気長に待つしかない。草戸町3丁目および4丁目(広島県道22号福山鞆線沿い)の様相は大きく変わりつつあるが・・・
橋桁が出来るのは何時頃だろうか。土地買収などの難しい問題が存在するので新道路の開通は気長に待つしかない。草戸町3丁目および4丁目(広島県道22号福山鞆線沿い)の様相は大きく変わりつつあるが・・・
川崎八幡神社参道入口向かいに位置するイナバ化粧品店は稲葉浩志さんの生家である。母邦子さんはテレビ局の取材に快く応じる人なのでこの店を知っている広島県人は多い。B ’zのライブが7月22日(土)に津山文化センターで行われるため地元は盛り上がっているようだ(※福山公演は20日・リーデンローズ)。私が激しい雨の中で撮った写真はイマイチなのでRSKの夕方の番組(7月11日放送)から画像を拝借しよう。
現在、津山市役所1Fに巨大パネルが展示してあるのでファンの方はぜひ記念撮影しておこう。番組では国司憲一郎アナがウルトラソウルにかけたウルトラトーフ(津山城東とうふ茶屋早瀬豆腐店)を取材していた。7月23日まで特別価格178円(税込み)で購入可。今だけ「イ・ナ・バ」という意味よ。
現在、津山市役所1Fに巨大パネルが展示してあるのでファンの方はぜひ記念撮影しておこう。番組では国司憲一郎アナがウルトラソウルにかけたウルトラトーフ(津山城東とうふ茶屋早瀬豆腐店)を取材していた。7月23日まで特別価格178円(税込み)で購入可。今だけ「イ・ナ・バ」という意味よ。
福山医療センターの病院玄関前付近からレジデンスMasanoを望む。冨士建設による改修工事は終盤にさしかかったようであとは足場を解体して完了だろう。壁の色が若干変わったようにも見えるのだが、この位置から明確な差は分からなかった。
鉄道豆知識・・昭和3年(1928)3月15日、因美南線の津山駅-美作加茂駅間が開通し東津山駅などが開業。兼田橋西詰まで戻り旧出雲街道ぶらり旅を再開する。
兼田踏切を超え時間の許す限り西へ進んで行くという非常に大ざっぱな計画だ。川崎バス停(ごんごバス東循環線)を過ぎると八幡神社の鳥居が見えた。
兼田踏切を超え時間の許す限り西へ進んで行くという非常に大ざっぱな計画だ。川崎バス停(ごんごバス東循環線)を過ぎると八幡神社の鳥居が見えた。
広島県道22号福山鞆線の草戸バス停背後にスーパードラッグひまわり草戸店はあった。既に店舗は解体撤去され更地の状態になっている(占部建設の管理地)。今は新橋建設に伴う道路整備の前段階で県道沿いから別の場所に移転した店もある。立ち退きが完了すると景観はガラリと変わることになる。
ローズアリーナ南側に建つアーバンビュー緑町公園ツインタワー。平成15年(2003)11月完成の地上11階建てマンションが現在改修工事が行われている。
築13年だから外壁(タイルなど)の劣化対策は必要だろう。市立大学近くのほぼ同時期竣工のマンションは既に工事を終えて小奇麗になっている。
築13年だから外壁(タイルなど)の劣化対策は必要だろう。市立大学近くのほぼ同時期竣工のマンションは既に工事を終えて小奇麗になっている。