平成24年(2012)の秋に私は史跡等の現地調査を行うために水呑町字洗谷を訪れた。そして帰り際に芦田川右岸堤防下で暮らす大正10年(1921)生まれの男性と長話をして有益な情報をたくさん仕入れることが出来た。旧鞆鉄道橋(ルート変更前)や洗谷仮橋(水呑村から營所への近道だった)、豪商の屋敷の説明は有難かった。福山大水害の際に村人が舟に大量の握り飯を積み込んで運び被災者を見舞ったことや水路沿いの小道は行幸前に急いで整備された事実を初めて知った。



古老の家のすぐ近くの大邸宅は平成になって松坂産業株式会社の所有物となり本社として使用されていた。私は門前の石灯籠と小型の髭題目碑も記念に撮影しておいた。


碑の側面には「洗谷講中」及び「文化九壬申歳四月吉日」の刻銘があった。約6年半ぶりに洗谷を再訪すると石造物の背後にあった建物がきれいに無くなっていたのである。



解体されたのは昨年で本社は野上町1丁目に移転している。跡地に「(仮称)水呑サ高住新築工事 建築計画の概要」と書かれた標識が立っていた。RC造5階建(児童福祉施設等)の注文者は「介護複合施設さくら並木」を建設した会社である。参考までに福山市役所北側駐輪場前に移設された「行幸記念碑」の写真を掲載しておく。





古老の家のすぐ近くの大邸宅は平成になって松坂産業株式会社の所有物となり本社として使用されていた。私は門前の石灯籠と小型の髭題目碑も記念に撮影しておいた。


碑の側面には「洗谷講中」及び「文化九壬申歳四月吉日」の刻銘があった。約6年半ぶりに洗谷を再訪すると石造物の背後にあった建物がきれいに無くなっていたのである。



解体されたのは昨年で本社は野上町1丁目に移転している。跡地に「(仮称)水呑サ高住新築工事 建築計画の概要」と書かれた標識が立っていた。RC造5階建(児童福祉施設等)の注文者は「介護複合施設さくら並木」を建設した会社である。参考までに福山市役所北側駐輪場前に移設された「行幸記念碑」の写真を掲載しておく。

