おはようございます。空白の55分問題について、思うところを書きます。
★お料理の話題ではありません★
一週間、騒いでいた注水停止問題は、現場では続いていたことを、本部が確認せずに、知らなかっただけだったで終わりでした。それを政治の玩具にして、国会を空転させて、復興のために議論する時間を消費しただけだった…ように、私にはみえました。
現場では注水が続いていたことは、皆が知っていること。つまり秘密でも何でもない(笑)。
昨日まで、海水を止めたことが悪いといっていたのに、今日は命令に従わずに海水を入れ続けた所長が悪いという。現場はやってられないよ…と思います。
この説明ですら、真実かはわからないでしょう。たぶん現場は、説明よりも行動を選んでいると思うからです。
本店の作り事にも政治にも、己の保身にも、興味がないから。だってきっと、現場はみんな、現在の原発を押さえ込むことしか考えていないから。
一瞬の判断を争う場で生きているヒトは、体験していることです。
己が正しいかどうか?
現場の判断は、正しいかどうか、実際に、すべてのデータを提示して、異なる視点と知識をもつ全員で検討する機会は、随時、取ります。正しい判断だったか、もっと手はあったか。断罪のためではなく、より良い判断を得て共有するために。
信頼関係に基づく検討会を、発電所の外に居るヒトとは出来ない状況なのではないかと推測します、残念ですが。
今の東電に、統合本部に見え隠れするのは、己の保身のみ。職業人なら、言った言わないは墓まで持っていってほしい。
現場はマニュピレータ・ロボット(遠隔装置)じゃない。最前線で最良を選んで戦う人間です。それを後方は、尊重し守って欲しいと願っています。
いま必要なのは、いがみ合うことでなく、よいゴールを目指して、連携しあうことだと思います。保身と利益追求をすてて、国民の生活を見てほしい。お願いします。