前日、幹の途中で折れ掛かり木となったままの立ち枯れ木を伐倒したのだが通路だけ開けて片付けまは昼過ぎてしまい行わなかった。そんなことでこの日は手始めに「集積するか」と鳶口とチェーンソーだけを携えて現場に行ったのだった。長い幹や枝は4尺ほどに切り詰めて通路横に立てかけて寝かせて終了。

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ところである。何げに周囲を見上げたら今回伐採した立ち枯れ木の近くにもう1本の立ち枯れがあるではないか。上部はキヅタに覆われて先端部の細枝は失われているが木肌は紛れもなくカラスザンショウのトゲトゲがある。小生が思うに鬼の金棒と言っている武器はカラスザンショウではないかと思ってしまったのだった。
それはともかく、この立ち枯れも通路の上を越して杉の立ち木に接しているし杉の若木を幹の曲がりの中に抱え込んでいて厄介な状況だった。こんな伐採作業をするつもりもなく軽い装備で来ているのだ。しかしながらキヅタに覆われて万が一折れたとしても一瞬で落下する事態は無いだろうがこの危険な状況をかのNPOのように「見て見ぬふりして自分たちは回り道し周知もしない」なんて行動は許されるはずも無いのである。
「知ってしまって百年目!」と覚悟を決めて伐採作業に入った。まずは素性の良い杉の若木を除去しないと伐採出来ないから瘤の横から生えていて作業をし難い位置関係であったものの若木であったがために腕で押して外す事が出来た。それでも木元は20cmはあったから自分に向かって倒れれば潰される。まあ、昔より「枯れ木も山の賑わい」と言われるように、この場合は盾になってくれたし押す時の支点になってもいたから危険木であっても無駄ではなく最後は役立ったのだ。
立ち枯れしたカラスザンショウの2本目も既に上部の枝の二股でしっかりとスギを挟んでいるから、どうあがいても素直に伐倒されてはくれない。切断箇所も僅かにミリミリと音を発しただけで更にスギに二股を喰い込ませていく。牽引器を使うしかないのだが、この状態のまま監視もいない状態では現場を離れられない。仕方が無いから禁忌の寸切りで落とす事にしたのだ。
寸切りで伐倒まで進める事はタブー中のタブーであることは承知でも準備万端整えるまでの時間を無人のままに放置も出来ない禁忌事項である。結局は「手に負えない!」からと、かのNPOのように周知もせず自分たちのリスクだけは回避し面倒を避けれるような知力能力のある組織とは異なる姥捨て山の孤老では自分で苦労するしかないし「怪我と弁当自分持ち!」と社会人1年生の時から教わった世代の性は哀しい・・・。
まあ、それはともかく軽く傾斜し掛かってしまった幹を胸のあたりで切込みを入れ自重で折れさせ、これを繰り返してようやくすべてを地上に横たえたのだった。何はともあれ怪我無くて良かった良かった。ヘルメットを外し頭部の汗を拭こうとしたらタオルが滑る。そう、頭部も毛が無かったのを思い出したが、これは良かったとは言えない若禿げと言う他人には言えない哀しみの歴史が続いているのであったわい。
「今は⁉」と問われれば、眉毛も鼻毛も伸び放題のあり様で「あるべきところが豊かでない!」のは何とも解せない哀愁であって、それは懐も同じ。

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