フイールドではホトトギス、サンコウチョウ、モリアオガエルの鳴き声が喧しい。フイールドで作業を開始した当時、サンコウチョウもホトトギスも鳴き声など聴けなかったのだが今では至近で当たり前のようにさえずっておる。これも樹木が育って林相が好みになってきたためとホトトギスに関しては托卵させる相手、恐らくウグイスと同程度まで数を増やしているリュウキュウサンショウクイの定着繁殖に由るのではないかと妄想している。
さて、今日のホトトギスは植物なので鳴き声は無い。この苗は春先の頃、林道上に堆積した土砂の片付け作業中に堆積土の中から芽生えた株を拾ってポットに移し肥培した苗なので名実と共に里帰りである。ホトトギスも食草の一画を占めている植物なのだが通路周囲は坊主刈りされ続けてきたために大株が無いのだ。林道上の薄い土砂に芽生えても大きくなれず踏み潰され食草としての役割は果たせない。
そこで苗を取り肥培して戻すことを続けていたのだが「雑草=坊主刈り」の範疇で処理されるので植生はなかなか育たなかったのが現実だ。里山保全や生物の多様性なんてコピー口上を言っているだけでは到達できるはずも無く、ウクライナやガザの空爆地に同じく生物的廃墟を生み出しているようなものである。かくして孤爺が植え続けてきた幾多の植物は刈り取られ抜き取られして現在に至るのだが「生物生産緑地」の立て看板を出してからはいくらかは破壊の手出しが減っている。だからと言って理解されている訳では無いのは承知で「いつでも風前の灯火」「刈り払い一発、生物的廃墟」はすぐそこにあるのだ。
さて、今回のポット苗は林道を流れ下る砂泥を窪地に誘導して土壌の嵩上げを図り、ようやく定植できる高さまでに至ったから野草の中に点在させ植え付けて来た。良ーく見たところでホトトギスの株なんて野草の一部でしか無いから選択的刈り払いの自覚を持ち、植生育成の作業として認識しない刈り払い機作業者が目を付ければまた元の木阿弥だが、そういう連中の生命より野草の生命の方が長いはずで、それに期待するしかない。