トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

啓蟄過ぎて結氷した

2017-03-08 | 感じるままの回り道
 気象情報による当地の最低気温は1.3度だった。当然、フイールドの谷合は低いだろうし地表面は更に低下していたはずである。
 予想通り泥水池の止水域は氷結していた。夏でも日射の届かない沈泥池は全面氷結で、見ただけで寒気が来たのが実感できる。風も冷たく昼を食べたものの早々に帰宅し「炬燵ー!」である。
 爺やは炬燵で丸くなる…。幸せの一時だがおやつが無かった。粗茶だけ・・・・・・・。

土嚢三俵、どの三俵

2017-03-08 | 水辺環境の保全
 上の池オーバーフロー部脇の崩壊をせんだって復旧したが、土嚢が足らず中途半端なままだった。今回、耐候性のある土嚢袋を購入し、ようやく終了した。土嚢袋も種類が多く値段もまちまちで、通常は最安値の土嚢袋を購入しているのだが、今回は埋もれさせる状態でなく地上部に露出したままになるので劣化の遅い耐久性のある物にしたのである。値段は段違いで常用品として購入できる品物では無い。
 作業は簡単で三袋を圧着させ並べ土を一輪車二杯分盛って鎮圧し終了した。あっけない作業と言えど、やらないのとやっておくのでは脆弱性のある部分の耐久性に格段の相違が出てしまう。

 郷土の故事に「米百俵」というのがあるが、土嚢三俵でもその役割の意味するところは大きいのである。こういう手数は試行錯誤、経験値からのリスクマネジメントで、時系列での状況把握と作業が無いと理解できないサジ加減で、この一手間を加えられるか否かでフイールドの作業環境は一変する。

                   ➡  

シジュウカラ初鳴き、アメンボ初見

2017-03-07 | 小父のお隣さん
 助っ人課業が泥濘地に入ってしまい脱出困難…。作業台をかさ上げする台を作っていた道具小屋でシジュウカラのさえずりを聞く。正確に「初鳴き」なのかどうか確認する術は無いにしても、小生が聞いた日を「初鳴き」としている。正確を期すれば「初聞き」なのだろう。

 それはともかくさえずり始めの頃は長く鳴いていないのが常で、数回鳴けばラッキーであって、大抵はワンフレーズか中途半端が多い。まして聞き逃せば翌日に聞けると言う事も無く「何時になるやら」なのだ。まあ、さえずりを聞くと「春になった」実感がする。サクラが満開でも人為的な早咲き種ではピンと来ない。ヤマザクラなら「春だ」と思えるのは雪国育ちのせいなのかもしれない。

 水見回りではアメンボ多数を見た。いったい何処で冬越ししているのか知る由もないのだが、水辺の表土のなかにでも潜んでいたのだろうか。まっ、どうでもいいことではある。ヒキガエルの産卵は無かった。
 午後、西風が強くなり雪雲が黒く見えてきた、風花の名残が舞ってきて「春は名のみの風の寒さや…」で、頭を出したカエルも引っ込めただろう。

*人は余に釣れ余は人に吊れ

2017-03-07 | 性向有毒の翁なれば
        保育園落ちた子はいぬメダカたち

        スピーディー官吏の鑑事務の処理

        国有地森は友なり水源地

        地下水のパージするにもまず部局

        公人も私人にも無き人の道

        武士が物の腐見せし果たし哀

        信義則空の答弁国の憂


笹刈り始める

2017-03-06 | 今日は真面目に
 水辺を着手か林内作業か迷うところだけれど、三月ともなれば林床の笹刈りも済ませたい。とりあえず水辺は堤の付け替え、泥浚え等々なので緊急性は無くなったからアズマネザサの刈り払いを実施した。
 毎シーズン、数回は実施しているものの、一冬経過すると結構伸びていて、刈り刃を滑らすように刈り払っていくのは、夏場の草丈のある刈り払いとは異なる楽しさがある。
 ネザサを刈り払わねばならない区域は3mにも達しようとするアズマネザサの密生地だっただけに、今もって周年ネザサの発生は止まない。1年刈り払わなければシュートは背丈を越え、入り込むのにかき分ける必要がある程の状況に陥ってしまうのだ。

 刈り払いを続けているからこそ実生の若木も増え、若い混交林の様相を見れるようになったのは小生の密やかな楽しみの一つでもあるのだ。林床のネザサ刈りや植栽地の下草刈り、はてまた低草地維持の刈り払いなど、一通り終わればまた最初から繰り返すエンドレスの作業が本格化するのはもう少しである。
    ➡    棚最下五段目

                        ➡    棚四段目とっかかりまで 


啓蟄の初鳴き

2017-03-05 | 小父のお隣さん
 ホームセンターの開店を待って高ナット一個を購入しフイールドに到着したので午前10時前後だ。ウグイスのさえずりを聞いた。小生にとっては初鳴き、初聞きである。鳴き声を聞いたのは数回で、そのあとは沈黙しており、会友は3名いたけれど誰もが聞いていないと言う。まあ、関心事ではないから仕方がないけれど、もったいないの一言に尽きる。
 シジュウカラはまだ小さい群れで移動していて、裸枝の中でグジュグジュおしゃべり、さえずりは聞かない。

 水見回りをしていると泥水池1に小メダカの群れを見つけた。体長10mm程度で個体数は50匹以上はいたと読んだ。
 冬季、まれに成体を見る事はあっても、このサイズを見たのは全くの初めてだから、冬越しした個体では無く今春に孵化した個体ではないかと推定したのだが、この時期に孵化するのかどうか実際は理解認識の範囲外である。

視覚的認識

2017-03-05 | 今日は真面目に
 助っ人を頼まれた修理部門で、スプレーの有機溶剤が体質に合わず、同じ環境下でさらされている人より身体症状がひどくて寝込む寸前にまでなってしまった。
 これは助っ人に入った12月の数日で認識しており、防毒マスクも換気ダクトも自分の作業環境を改善するために用意したような物だったのだが、けだるさや、はてまた上胸部の不快感があらわになり受診した。産業医の資格をももつドクターは「直ちに環境から離れなさい」という診断で、ようやく、これを根拠に退くことができた。

 あの「理に働けば角が立つ。情に竿をさせば流される…云々」のフレーズ通りで、ともかく「状に竿をさせば流される」その見本みたいな顛末は別件で続いており「とかくこの世は厄介だ」を日々胸に刻まざるを得なく「春だと言うのに…」と春鬱気分である。

 それはともかくダクトを改善したものの、先輩となる若者たちの立ち位置は、ダクトの前にいるもののスプレーの方向がラフで、ダクト内に噴射点を向けない。口頭や注意書きでは何だと思い写真のようにマークを製作しダクト内に設置してみた。「ここに向けるのですね」と社会人一年生の先輩は見て言ってくれたのだが、常日頃のスプレー作業に定着してくれるかどうか…。
 小生は現場を離れたので、そうあってほしいと願うだけである。
           糸のこ盤で切り抜く  ➡   ダクト内に設置

二つ池杭打ち

2017-03-04 | 水辺環境の保全
 助っ人課業で滞っていた二つ池の水際補強がようやく終了した。たかだか杭8本を打ち込むと言っても杭の準備やら現場への搬入やらと雑用はあるので、直接の作業量より準備や後片付けの手間が大きい。
 それでも仮の竹杭でなく丸太杭を打てたことで当分は安定した水際を保てるだろう。まだ池の泥浚いや堤の拡張等々、やるべきことは多々あるにしても身体を増やすわけにもいかず、他の作業と折り合いを付けながら片づけるしかない。貧乏暇なし、その通り。

 気になってメモを開いてみた。そろそろアメンボやヌマガエルの初見、ヒキガエルの産卵、ショジョウバカマ開花などが3月上旬に見られるからで、年により3週間程度の差はあるものの今季はまだだから、初見は何故か水が湧くように心が動く。
 まあ、片思いの人がいつ現れるかと待ち望むストーカーの危ない世界に近いが、我が胸に杭を打ち込む人は居らんかいな…。まあ、まあ、居る訳ないから当座はヒキガエルで、洋画の題名で言えば「素晴らしき哉人生」。

  杭の切断 ➡  杭の配置 ➡  打ち込み終了

玄米で甘酒を作る

2017-03-03 | 感じるままの回り道
 折に触れ甘酒を作るのだけれど、美味しさは格が上と思っていても、もち米を原料にしての甘酒まではコメの価格から手を出せない。通常は日常食している米をおかゆにし、乾燥糀と混ぜヨーグルトメーカー兼で発酵させている。
 普通米より味は落ちるけれど玄米で作ってみたのはずいぶん昔のことだ。精米して糠になる部分が殻のように残ってしまうから口当たりも良くはないのだが、栄養価は高いだろうとレギュラーでないハイオクのつもりで口に入れる。同じ目論見で豆乳で試した時は飲みたい物とは言い難く「えひめAI」の材料にした。

 それはともかく結果はどうだかなんて、のほほんであるがゆえに他人に勧める訳ではなし「イワシの頭も信心から」なので、まあ、紅茶キノコ等のなんたらかんたら健康法の類か…。
 世間では糀の生産が追い付かないほどの需要増だと聞く。これも最近顕著な一過性なのかどうか、まあ、他愛無い事で右往左往する一過性の事象が多くなったように思うのは小生だけかとおもいつつ、ボケ平和であるがゆえなのか薄っぺらの裏返しなのか右顧左眄で通した認知症鮮明隊員の小生には判らん。
 ところで甘酒と白酒はどう違うのか、人生は奥深いものである。

「リンゴ追分」である…

2017-03-02 | 感じるままの回り道
 少しづつ温かさが増すように感じられ、庭のリンゴの剪定に腰を上げた。従前より樹高を半減させてあるので楽にはなったが、それでも脚立は必要だ。脚立数段を上るとはいえ、倒れたり落ちたりしたら重大事故になりかねない年齢になってきたのを認識しつつ、選定より脚立上の安定を重視する作業になっている。
 樹高を半減したのも、そこに理由があるのだが、食用に資するわけでもない国光とフジの手入れをなんでするのかと問われても答えに窮する。
 まあ、リンゴの里に連なる連想という、若き日への感傷に近い「リンゴ老い訳」…。
                 ➡    

上の池水位復活

2017-03-01 | 水辺環境の保全
 オーバーフロー部の漏水浸食で補修を行った結果、ようやく水位が復活した。水位を決める仕切り板も目見当で修正したのだが、おおむね水平状態に収まっていてヤレヤレである。
 上の池は、この水系で最大の面積を有する、いわばグレートマザーみたいなものだから、小生らの管轄下にはないとはいえ「お邪魔します」のお邪魔虫作業は欠かせないのだ。
 さしあたりの作業は世話役のM氏に了解を得ているので「領土侵犯」なんて事態にはならないものの、小生最大の弱点、気遣いが欠かせないのがストレスだ。とかく小作人は心労が多い。

                   減水位   ➡   水位復活