トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

アサギマダラは何処へ行った・・・

2023-10-21 | 小父のお隣さん

 フジバカマにチョウが止まれば「すわ!アサギマダラか⁉」とショートする今日この頃である。昨季は10月14日に自宅の庭に飛来したのだが今期は庭もフイールドでも飛翔は見ていない。周辺に飛来しているかの情報も集める訳でもないので不明だけれど既に昨季より1週間遅れである。

 たまたま庭のフジバカマに二頭のシジミがいた。「交尾体か⁉」と覗いて観たけれど交尾はしていなくお見合い中の感じだ。横の一頭は盛んに翅を羽ばたかせているから恐らくそうなのであろう。フジバカマの花はまだ開き切っていないから吸蜜に来た様子にも思えず二度童としては思春期の初恋などを思い返しつつ眺めたのだった。さて、くだんの靖国、では無くてくだんのチョウはヤマトシジミでいいのかどうか。庭では足元にいつでも飛んでいる印象なのだがフジバカマに立ち寄るとは思っても見なかった。それはともかくアサギマダラは何処に行ったのだろうか。

      

 


**深川どぶ板長屋店子詠嘆 短歌編

2023-10-21 | 合混で闘作すれば

 見上げては明けの明星見て走る陽はまた昇り嬶は今暮る          寡男

 山もみじ夜道を走る黄泉路へと急ぐ母への里の沢水             息子

 最後の夜ともに一夜はまぼろしね生涯一度の親孝行             娘

 深秋にただ所在なきチョンガーの明日はわが身も喰わずにおれぬ    島帰り 太助爺

 二度童花いちもんめで狩ってきた最後の一人獲るまで続く             邪忍 鬼多皮     

 逝っちゃった黄泉路の果ては虚無の果て星になるやら虫になるやら   香具師 寅吉

 弔問の客の振る舞い感にきて平常心は乱され嗚咽               差配 治助

 


二点位置流れ・昆虫スコイぜ!「食料不足でお引越し」

2023-10-20 | 小父のお隣さん

 カラスザンショウを食草としている何アゲハだったか体表面は細かい模様で覆われてそれはそれで美しい姿だ。カラスアゲハだったかモンキアゲハだったか聴いた先から忘れるのでメモをしたのだがその紙切れが見当たらない。結局は「名無しの権兵衛さん…」になったのである。

 成木となったカラスザンショウでは葉は遥か高みにあるから幼虫の存在などは知り得ないのだがまだ幼木の内は存在が知れる。とは言え親蝶は子の食料が十分にあるかどうかまでは関知しないし、軟らかく食べやすい未熟樹に産卵していくのでどうしても幼木の大きさによっては葉は食べ尽くされてしまいやすい。この個体も食べ尽くす寸前だったから葉を外してそのまま移動させた。触れるのは禁忌、つまり禁忌キッズであるからホチキスで留めて自ら移るように整えてやる。

 ホチキスで新しい葉に止めればすぐに移動を始めた。カメラを構えた方向に移動しながら口を伸ばして探索している様子が見える。普段は引っ込んでいる口と言うか唇と言うべきか口唇部と言うべきなのかは知らないけれどこの時ばかりは「モスラ」に見えて来る。とは言えスムースに乗り換えてくれて祝着至極であった。

    

 カラスザンショウは自然実生で繁殖するが「生物多様性」など頓着しない作業だと丸坊主にされて食草どころか昆虫の棲み処さえ根絶されてしまうのが当たり前の里山保全の姿になってしまった。とにかく個体数も種類も増やそうと植生を整えてきた中にキハダの植樹もしたのだが成木となってきた過程で利用している確認はとれなかった。しかし先日、たまたまキハダの下がり枝を見ていたらミヤマカラスアゲハの幼虫だったかをS先生が発見した。結構、珍しい種類なのだそうで喜んでいらっしゃったのだが小生は「やっと食ってくれたか…」が正直なところである。まあ、幼虫を見たところで、何度も教えて頂いても記憶に定着しないのである。「利用してくれた!」の方が心に入り易い。その写真なのだがデジカメを忘れスマホ撮影となった結果、ピンボケが多くて使い物にならなかった。一番安いスマホなので致し方無いけれど近接撮影にはホントに弱くてもっと泣ける。

 シクシクは鳩尾の泣き方、エンエンは下痢時の肛門の泣き方、ワーワーはオオスズメバチに襲われた時の泣き方、ギャーはン十肩の痛みに耐えかねた時の泣き方、クククは通夜の席で屁の音を聞いた時の泣き方等々、まあ、いろいろあるけれどスマホの不手際は呆れて声も出ん・・・。


久しぶりの刈り払い機

2023-10-19 | 今日は真面目に

 トンボ池に至る尾根突端下の通路に夏草の大繁茂だ。踏み跡はあるし入域者の抑制を考慮すれば夏草の繁茂も生物保全と合わせ役立つものの冬への備えもする時期になった。繁茂しているものの代わりの植生はあるし冬場の陽だまりに備え今から環境を整えなければ傷が癒えない。手鎌で処理するには面積が大きいので刈り払い機に登場してもらう。これで通路とトンボ池横の草地を高刈りした。

 横の草地はチカラシバの大株とチジミザサだか何とやらの大繁茂で、基本的に繁茂し過ぎる植生は抑制する。やはり植生と言えど調和は必須で放任すれば繁茂は見えても貧しい植生になってしまう。最終的には「動的平衡」に委ねるけれどそこには幾ばくの介入も必須なのである。坊主刈りは行わないし集草も雑多なので見る人のほとんどが「横着!」と思うだろうけれど坊主刈りこそ環境破壊であり生物にとっては絨毯爆撃・殲滅作戦に等しい。まあ、無辜のガザ市民の現状みたいなものだけどアフガニスタンの度重ねる大地震の被害者は極度の乾燥地帯に日干し煉瓦の壁さえ無いようだし冬を迎える被害者はもう生死の狭間だろう。あの邪忍のフイルターもそうだけれど迷惑メールなど言うに及ばず、選択肢は算盤弾いて決まるし肝心なことは隠される。

 高刈り済んだ➡  集草➡  集草分は横の食草園へ敷き草

 蜜・花粉源は残す

 


ノアザミの定植

2023-10-18 | 蝶の食草園

 「遅まき」と言っても「遅蒔き」とは異なり初夏に採種し採り蒔きしたノアザミのポット植えは既に植え付け時期を過ぎているのだが判っていても諸般の事情、喫緊の課題等々で先延ばしになっていた。ようやく遅まきながら半分を定植できたのだ。この日、「明日は降雨」の天気予報を確認して突端台地に補植したのだ。まだ1ケース残っているがとりあえずはひと心地ついた。

 ノアザミは多年生とばかり思っていたのに突端台地に植え付けた株もドンボ池横の囲いに植え付けた株も二期ほど開花してほとんどが枯れ死となった。「宿根するけど数年の寿命」という二年生とか三年生の性質なのかどうか知る由も無いものの補植をしないと蜜源が不足する。枯れ死した範囲はぽっかりと空間となったものの植え付け時にしゃがんでみると何株かがロゼットとして展開していた。茫洋としている脳波を集中させ考えてみるに開花結実させる二期の間に種子を落しそのいくつかが定着するサイクルなのだろうと推測してみたが役に立つ推測でもなんでもなく単なる妄想になっているだろう。

 そう、妄想より実務であって母校の「実学・実務・実業」という建学の精神を忘れてはいかん。そんな事でポットケース一つ分を定植したものの40株ほどではいくらでも無い。定植後に水を与え落ち着かせたが翌日はしっかり降雨の予定なので冬に入る前までには活着して欲しい。

       親株が消えた跡に補植     新規に広げた補植

 


トンボ池の植生調整

2023-10-17 | 水辺環境の保全

 隣同士であるものの谷筋が異なるから水見回りもパスする事の多かったトンボ池に立ち寄ったところ夏草の大繁茂だった。通路はヌスビトハギなどのヒッツキムシ系は時折排除していたものの9月に入っての草勢はすさまじいものだった。放りだせる状況でも無く鎌と三本鍬を携えて植生の調整に入った。ウシノヒタイ、カサスゲ、コナギなどが主だったがカサスゲの抜去には何時も難渋させられる。作業は結果的には半分だけで残りの半分は後日と言う手太楽だけれど池の中央部に入れたミソハギを水際に移植した。これは「水域の水面空間を広くしておきたい」事に尽きるし水中の藻類は別にして水面空間が広い方がトンボは集まり易い。池の中央には小島もあって羽化する場所に困る環境でも無いのでここは飛翔空間のストレスを減らした。

 水域内中央部にミゾハギが無ければ取り除きたい植生は容易に手当てが出来るのだ。水域内で大株に育ったミソハギの株内に入り込んだ夜這い草などはミソハギの株ごと抜かないと選別排除できないのである。この池も結果的に2日掛かりになる事は必至である。池中央の小島にアシの繁茂が目立つのでこれを根元から1本1本切り取る作業を思うとため息が出るけれど全ては身から出た錆、地から出た茎であろうぞえ。


*深川どぶ板長屋店子呻吟 川柳編

2023-10-16 | 合混で闘作すれば

         千のかぜ灰さようならまた来世       辰巳芸者 ぼたん

         泣き笑い一路の果ても黄泉路かな      新内流し お蝶

         駅ごとに三途三途と言うやろか       駕籠鉄

         戻る人無き彼岸への打ち返し          川船頭

         おっかちゃん腹へったようまま欲しい   餓鬼 昇太

         抱いた子に世話され今生終わりけり    産婆 梅

         鼻水を舐め舐め悪ガキ背に隠る       番太郎 丈吉

         


二点位置流れ・昆虫スコイぜ!「キタキチョウの繁殖」

2023-10-15 | 小父のお隣さん

 キタキチョウなんて「春が来た来た」の「来た」であって越冬成虫が姿を現す節分の頃に「春がきたかぁ…」と思いつつ飛翔を追視する程度の役割だった。ハギやネムノキに産卵し幼虫は育つ、程度の認識しかなかったものの現実には幼虫や蛹すら見たことは無い存在でもあったのだ。それが今期播種し育てたメドハギの株を定植したらこの株によく集まり産卵していく。そのためもあって卵、幼虫、蛹と身近で見られるようになった。

 この日も水見回りのついでに草地を望んだらキタキチョウが複数群れているのが見えたので寄って数えてみたら8頭ほどいたのだった。株に近づいたのでほとんどは散ってしまったものの1,2頭は近くに居る。メドハギを丹念に観察するまでも無く先端部は丸坊主だしまだ葉のある茎の付近には幼虫も認められた。何よりも羽化寸前の蛹も多数確認でき、既に蛹内に黄色い翅の姿も透けているのだった。羽化寸前になると成体の翅色が透けて見えるのは自宅のジャコウアゲハで毎年見ているから承知はしているが羽化は早朝に終わってしまう関係で羽化は見たことが無い。キタキチョウの羽化も早朝に済んでしまうのかどうかは知らないけれど、安全を考慮するならば朝方には飛翔できる時間が望ましい事は小生にだって理解できるのである。まあ、老化妄動自潰の黄昏期であると言えど時折は健全な色合いも現れる。まさに色即是空空即是色・・・。

 さてさて不思議だったのはトンボ池横のメドハギにあった羽化寸前の蛹にも尾根末端のハギにあった羽化寸前の蛹にも成虫が止まっていた事だ。最初は「羽化体か⁉」と思ったけれど飛び去った後の蛹は中身があった。これは「何でだろう!、何でだろう!」に歌わせれば解が出るやも知れん。シュワッチだったかスコッチだったかそんな名前だったが思い出せない。あーあ、健全な色合いは現世の如く時空に於いては一瞬にも満たないのであった。

 ➡  ➡  ➡ 


棚田部の植生調整 2

2023-10-14 | 水辺環境の保全

 どの水域も1回で取り切れなくなった。あまりにも猛暑だったからと言う理由もあるのだが老化の結果でもある。棚田部の温水田も2日掛かりの作業となったのだが棚田も含め作業できたので今回で決着である。温水田はカサスゲの侵入が著しく抜去に労力が必要だ。泥の層が厚いのでスコップを使う事も無くなったものの水際線に生えている部分は親元でもあり進出元でもあって抜くのに難儀した。まあ、それでもどうにか自分でOKを出せるまでに出来たのだ。

 水域を眺めていただけでは判らない水中の様子が抜去した根泥部を見ると想像がつく。泥土に絡まって上がってくる藻の中にヤゴが多数見えるのだ。藻の中だけでなくイネ科のコロニー内にも多数が生息しているはずなので水面を綺麗に全抜去は出来ない。そこに「植生調整」の勘所がある。入域者のほとんどが「雑に残した」と感じるだろうがバカボンパパだけは理解してくれる唯一の人物で「それでいいのだ!」と傾聴後にダメ押しをしてくれるのだった。

 棚田部は明るく広い水域としてギンヤンマの繁殖池としているのだが昨季は稲作を許したばかりに散々な痛めつけ様だった今期は従来通り「青刈り用」だけとしたから盆前には刈り取られ水面面積を広く出来た。その結果、ようやくギンヤンマの飛翔を確認できたのである。会友や一般の入域者は全く理解しえないだろうが環境の微妙な違いで生息種の変動はあからさまである。この傾向はまず理解されない。見回って記録を取って比較し見返して初めて判る違いでもある。棚田の部分の植生調整は青刈り用水稲が無くなったので水際線の調整だけで済んだ。それでもカンガレイは大株になっていたし夜這い草もウシノヒタイもご健在だからそれなりに這いまわる孤爺なのだった。

 まあ、年齢的には徘徊はしょうがないのだが這い徊は嫌でも管理維持上、必須なのである。徘徊者の立ち場に立てば「ここはどこ⁉、私は誰⁉」でもある訳だから理由を理解せず行動だけを攻められない。這い徊者としては「これは抜く!、私は孤爺!」と実態は単純であろう。

     

 

 


*深川どぶ板長屋店子呻吟 俳句編

2023-10-13 | 合混で闘作すれば

       秋深し嬶は蓬莱昇りけり            寡男   助六

       母高み銭壺残し秋の暮              勘当息子 長太

       ご詠歌の蒼天を埋むあかねなり        願人坊主 放念

       秋風や千秋経っても秋の風           夜鷹  おしの

       百舌鳥鳴いてご詠歌の野辺むしを狩る    岡っ引き 半太

       うすばきや葬列につく江戸川堤        ぼて振り 留蔵 

       煙散消露白さ輝く秋日和            御坊 権

               


まっ!、虫でも無く無視も出来ず・・・

2023-10-12 | 小父のお隣さん

 久しぶりのマムシだった。ヤナギ林内のネザサのシュートが目立つようになり刈り払い機の燃料が残っていたので空にするつもりでネザサ刈りに入った。もとより林内全域を行なえるほどの燃料は無いので特に密集している範囲を燃料の尽きるまでの作業である。出来るだけ抑制したい、出来得る事なら根絶させたいのだがそうは問屋が卸さず「伸びたら刈る」の繰り返しだ。刈り刃を斜めにしネザサの株元に突っ込みながら地下茎を傷めいじめつつの作業なのだったけれど刈り刃が地表を薙いだ後に色合いの変わった部分が見えた。

 色合いから「マムシだ」と直感したのだが二つに分かれてしまったので「分断してしまった。後の祭り…」と眺めていたら別れた小さい方が離れていく。傷を負ってから地面に置いた刈り払い機の下に潜り込んだマムシの半分にもならない小マムシだったのだがここで合点がいった。「きっと交尾中に違いない」。離れた個体はヤナギの幹を一回りして頭をのぞかせ様子を窺っている感じで未練を抱いたままなのだろう。刈り払い機の下で丸まった個体を撮影したのだが腹部に裂傷がある。内臓が出ている様子は無いけれど重症には違いない。棒先で突いたら動き出しヤナギの根元の隙間に潜り込んでしまった。

 この穴には先ほどの小さい個体も逃げ込んでいたので言わば「愛の巣か⁉」と妄想したけれど「血だらけの愛の巣」では頂けない。重傷を負ったのがメスなのだし交尾を果たしても胎児を育てるまでには行かないのは明白で、どちらかと言えばオスが負傷した方が命は繋がる。まあ、これだけの他愛もない顛末であるけれど「マムシの初見」で「恐らく交尾中」と貴重な機会を駄目にしてしまった。とは言え予測できる事態でも無し、マムシやトンボを探して姥捨て山を徘徊している訳でも無し。全ては一期一会、偶然の産物なのであるけれど、まっ、無死でよかったよかった。ご免ね。

     


棚田部の植生調整

2023-10-11 | 水辺環境の保全

 棚田部は温水田と棚田の2枚構成なのだが既に収穫する水稲の植え付けは行わないので温水田の役割は不要だ。故に「二枚の泥水池」としての見立てで構わないけれど今まで呼称して来た流れもあるし従来通りの呼称でも差し支えないから呼名変更は行わないままでいる。

 繁殖し過ぎなのはカサスゲ、ウシノヒタイ、ヨバイクサ等なのだが一番手数を必要とするのが労働強度ではカサスゲで文字通り手数と根気を要するのがヨバイクサである。まあ、古来から考えるまでも無くヨバイはそれなりの手間が必須なのであってめったやたらに行うものでもない。ウシノヒタイは株元あたりに見当をつけて4本鍬を打ち込み引けば容易に座布団2枚くらいは始末できるから可愛いものだけれど他の植物はそうは問屋が卸さず「勝負!」の意気込みくらいは必要なのだが大方は息絶え絶えになり遁走する、のが近年の傾向となった。まあ、とは言えそうした顛末でも「経口、糊を啜る」訳でもないので大目に見よう。無芸小食であればこその着地だ。

 ところがところが全ての株が食いつくされ枯果て残骸は全て着地してしまった写真左片隅のミズアオイの一画はついに復活せず季節を終えた。二度にわたるハスモンヨトウの食害には耐えきれなかった。開花は出来ず種子も落とせなかったので来期の発生はない。まあ、食物連鎖を考えれば食い尽くしたハスモンヨトウもどこかで食べられているだろう訳だから大枠としては「役に立ったのだ」。


泥水池3の植生調整 3

2023-10-10 | 水辺環境の保全

 抜去と搬出に彼岸の頃の日差しは堪える。朝晩、いくらか涼しくなり身体の頑張りが緩んだためなのかたかだか32℃、33℃の気温や日差しが辛く感じて来るのでどうしても作業量は減る。中年の頃は半日で泥水池2枚程度は処理していたのにこの頃は複数回でようやく決着となるのだった。池に入ったら中央部にクチボソが横になっていた。まだ新鮮だったが呼吸は無い。泥上げが少なくなり水温の上昇が早いのでやられたのだろう。でもまあ、多少は生息している事は確認できた。

 泥水池3の植生調整も今回で3日目、夜這い草の最大繁茂部と決着をつけた。株元の根張りはそれほど強固では無いものの節々から発根しておりそれが緻密に張り付いているし長く伸びた細い茎と言うべきか多くのランナーは畔のミゾハギと絡み合っており引き抜き難い。そんな状態なのでまずは三本鍬で地上部を鋤きミソハギと別れさせまとめ、それから抜根しなければならない。泥中の侵入は深くは無いものの数が多いので抱える泥の量も多く、この重さが移動で難儀するのだ。「泥落し」し多少は軽くする手もあるけれど少しでも「泥上げ」したいから「泥は落とさない様に」と陸に上げるのである。

 早くに場外搬出を行わないと威之志士様の跋扈蹂躙に遭い周囲の構造まで破壊されるので域内に残すのは避けたいのだが水分を抜かないと重くて作業が難渋するからしばらくは放置して乾燥させねばならない。この日の作業面積としては畳2枚分程度だったものの泥中を曳き歩き引き上げる重さに耐えてようやくワッパカとなった。泥水池は終了したが場外搬出は残っており更に上棚の棚田部の植生調整が舞っている。まあ、何とモテる孤爺である事よ・・・。泣いた、ではなく短時間でも汗泥まみれであるから泣いたに等しいわい。


*両翁ごめんなさい…

2023-10-09 | 温故痴新

              罪深し隣も割を喰う客だ

             秋深き隣りは何をする人ぞ    芭蕉

              割れ無きも捨てるは親の遺品なり

             我と来て遊べや親のない雀    芭蕉

              これ蝦蟇やついに産卵引き五尺

             是がまあつひの栖か雪五尺    芭蕉

              ハルサメや喰われ残りは鍋の縁

             春雨や喰われ残りの鴨が鳴く   芭蕉

              旅は止め夢はコロナでかき消され

             旅に病で夢は枯野をかけ廻る   芭蕉

              痩せガエル負けるわ一切拒食症

             痩せ蛙まけるな一茶是に有り   一茶

              お目出度き衆喰らいつく詐欺メール

             目出度さもちう位なりおらが春  一茶

       

        


今日のトンボ「いないいないばあっ!」

2023-10-08 | 小父のお隣さん

 トンボ池周囲の集草をしていたらオニヤンマが徘徊して来る。広い駐車場でもそうなのだがあまり避けようとする動きではない。どちらかというと確認行動を行っている節がある。これはオオスズメバチにも言えて作業中に飛来すると胴回りでの飛翔はせず頭部周りを飛翔する。そんな時は瞑目して念仏を唱え光明真言をつぶやきお題目を献じれば背中を見せて飛び去るのだった。この場合、十字を切ったり両手を上にささげるのはご法度であり、まさしく神仏の御加護である。

 さて、くだんのオニヤンマ、小生が汗を拭いている間に一輪車に積み込んだタイアザミの茎に止まったのだがカメラを出す動きで飛び立ったのだが戻ってきてシナノキの反対側に止まってくれた。久しぶりに近くから撮影可能となってまずは裏側から1枚。これでは翅だけでつまらん。軸足を先に延ばし上体をのぞかせたらそこに姿があった。なにかギョロッ!とにらまれた感じかしないでも無かった。まあ、既に二度童であるがゆえに「いないいないばあっ!」とやってみたけれど相手にしてくれず「鬼っ!鬼っ!、止んめた…」でお終い。ちなみに「いないいない爺っ!」とやったら相手にしてくれただろう。嘘つきは好かれない。