the other side of SmokyGitanesCafe
それとは無関係に・・・。
 





GITANESはおそらく読めない人が80%以上。
「読める」と思っている人のうち、正しく読める人
は1%。
それとは無関係に・・・。

インボイスとかなんとか。
インボイスって何なの?と訊かれたら私は
「あれだ、消費税のアレのこと。」と答える。
こっちが誰かに尋ねても
「あれあれ、消費税のアレのヤツ」と多くの人が
教えてくれる。
要するに「何て言っていいかわからん、もうすぐ
始まる消費税のアレ」のことだ。
結局よくわかっていないが、面倒くさいことこの上ない
ということだけは分かっている。
そもそもインボイスとインバウンド、ほかにもイン
が頭につくような物事が複数あるからややこしい。
ちゃんと日本語で定着すればいいのにと思う。
誰かが意図的に「外国語の方がピンとこないから
そっちのほうがいいね」などと働きかけた結果
なのかもしれない。
まあとにかくインボイスだ。


まだ消費税が5%のころだったと思うが、
カフェを経営する知人に、何の気なしに訊いた
ことがある。
私「メニューに税別って書いてるんだな」
カフェ「そうだよ。」
私「消費税って、納めてるの?」
カフェ「いや、うちは売り上げがそんなにないから
納めなくてもいいんだよ」
私「あ、そうなの。じゃあメニューも税抜だけで
いいんじゃないの?消費税も取る必要ないのにな」
カフェ「いやいや、原材料を買う時には払ってる
んだからさあ」
私「いや、俺もどこで買い物するときでも払ってるよ。
それを徴収した人がどこかで納税してくれるんだよな」
カフェ「まあ、この規模の店なんかだと誰も納めて
ないよ」
私「そうなんだなあ。納めないのに取るんだなあ」

というやりとりがあった。懐かしい。
いや、ただそれだけのこと。





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GITANESを線香代わりに。
それとは無関係に・・・。

前に行ったのはいつだったかと思い起こす。
そういえばその頃は国産オープンカーに
乗っていたからもう随分経った。

父母の遺骨をクルマに乗せて高野山へ。
やっと二人揃って納骨できた。
父は16年前に亡くなった。
それからずっと我が家に遺骨(分骨分)があったのは
母が
「私が死ぬのを待って、一緒に納骨してほしい」
と望んでいたためだ。
母も昨年亡くなったのでようやくお揃いで納骨
できるようになった訳だ。

夏休み後で連休明けの平日、紅葉の前という
好条件が揃っていたので観光客も、私と同じように
納骨のために訪れた人も少なかった。
クルマは寺の無料駐車場に停め、そこから奥の院
まで歩く。
御廟の中の右手にある受付で、俗名・戒名や
没年月日、行年などを記入して納骨料を支払う。
一霊10万円だからふたり分で20万円。
そりゃあ駐車場ぐらい無料でないと、と不謹慎な
ことを考えてしまった。

読経が大体40~50分。
御廟の床には座布団はなく、板間の上に赤い絨毯
が敷かれているところに直接座る。
胡坐OKなのが助かる。
その後すぐ横の納骨堂へ僧侶と一緒に移動。
そこでも短い経(実は正確に言うとお経ではないらしい)
を唱えてくれ、それで納骨の全過程は終了した。
面倒くさいなあ と思っていた一連の納骨だったが
確実に「得難い経験」だったと感じた。
父母のため、という思いももちろんあったが
自分自身の強い「体験」が増えたような感覚だ。


ところで、納骨堂で唱えてもらった経が
どうしても気になった。
過去何度も真言宗の葬式や法事には出たことが
あったし施主として何度も経験したが、
耳慣れないような言葉、というかイントネーション
というか、まったく初めて聞くようなお経
だったのである。
あれは一体何だったのか。

気になって気になって仕方がない。
こういうときは尋ねるに限る。
金剛峯寺に電話して、電話受付の人に事情を
話し僧侶に代わってもらった。
「納骨堂の前で短く唱えていただいたものが
今まで耳にしなかったようなものだったのですが
あれは一体何なのでしょうか?」
と尋ねてみた。
電話の向こうのお坊さんは
「あ、あれはですね・・・」






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GITANES嗜好中なら2カートンぐらい
消費したかもしれない。
それとは無関係に・・・。

いわゆる濃厚接触による拘禁がやっと解除された。
外に出られないのを口実に、気楽なもんだと
時間を浪費する訳だが外からの刺激がない状態
というのはやはり心身によろしくないようだ。
確かに読書は進んだし(4冊は読めた)、それだけで
無駄かどうかはわからずともインプットには
なっただろうと思わんこともないが、それでも
意識していない外的情報というのはそれなりに
必要なのかも知れない。
クルマの運転をするだけでもいろいろな情報が
どんどん脳に入ってきて、それらに対応するために
どんどん脳から何かしらが出ていく訳で
そういう刺激と反応という組み合わせが必要
なのだろう。
それが極端に減った状況ではとにかくぼんやり
してしまう。
何か新しい企画を考えるために、そういう時間を
あえて設けるのとはかなり違う。
とにかくぼんやりしてしまいがちだった。
まあタイガースがアレしてしまうという
特殊中の特殊な出来事があったから、それ関係
のニュースばかり積極的に受け入れていたので
本格的にぼけてしまうところまでは行かなかったが。

とにかく社会復帰を果たしたので
腹が減った。



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GITANESを線香代わりに。
それとは無関係に・・・。

先週の日曜は親父の十七回忌だったが
今週は義弟の一周忌だった。
2週連続で身内の法事があったのは初めてのこと。
義弟とは隣家同士だったので、彼亡き後の
家の様子もよくわかる。
この1年の間に大きい問題はなかったようだが
それでも日々の営みがある以上、様々なことが
起きる。
だから「もう一年か、早いなあ」という感想は
ない。ただ「一年か。」という感想のみである。


宗派が違うから法事の様式も微妙に異なる。
下手な読経を聞かされたら一日中調子が悪くなるので
警戒していたが、もう慣れてきたのか
あまり身体の変調はなかった。下手だったけど。

日中は暑かったが、陽は確実に短くなり
夜は涼しくなった。
「一年」の中の黄昏時だろう。
タイガースは絶好調なのだが、試合のテレビ中継で
得点をあげたとき
「うおーーー!」
という義弟の雄叫びが、中庭のあっちから聞こえて
来ない秋は寂しいものである。



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GITANESを線香代わりに。
それとは無関係に・・・。

オヤジの十七回忌。
これを「早いな」と感じることができるとしたら
それはある意味幸せかもしれないが、
少なくとも私にとってはどうなんだろうか。
この間に大勢の人がなくなった。
身内だけでも実兄、実母がこの16年のうちに
亡くなった。知人の逝去も何度かあったし
隣家に住む義弟も若くして亡くなった。
いろんな人が亡くなり過ぎて、オヤジが死んでから
「随分長かったなあ」という感じである。

そう言えば法事を執り行ってくれる坊主も
変わった。
親父の葬儀の時の坊さんは私とほぼ変わらない年齢
だったのだが、身体を壊し呆気なく亡くなった。
その後はその人の「父親」が代役でずっと頑張って
やっていらしたが、「子の代わりに父上が頑張る」
と言っても御年80半ばなのだから限界がある。
今回の法事ではそのおじいさん坊主の孫、亡くなった
坊主からすると甥が経を上げてくれることになった。
随分若い。
だから声に張りがある。
おじいさん坊主の読経も枯れた味わいがあり個人的
には気に入っていたが、若い読経もなかなか迫力
があっていいものだ。
同じ宗派の同じお経でも人によって印象はまったく
異なる。
坊主三代の読経が聴けるというのは、いいことなのか
どうなのかわからないが、まあそれぞれだなあ
という感想だ。

親父は真夏に亡くなったから暑い最中の法事だ。
母と兄は年始とクリスマスに亡くなったから真冬の
法事だ。
そして来週は若くして亡くなった義弟の一周忌となる。
これが一番辛い。
一年経っていてもまだまだ辛い。
そして年々それが和らいでいくのも寂しいものである。






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GITANESの匂いがするようでしたら
謝罪いたします。
それとは無関係に・・・。

昨日の記事で
時間の流れに抗い様がないのは
ポッキーが美味いからだ、腹が減っているのだ
腹が鳴るのだ、やっぱりポッキーのせいだ
とも受け取れる結論になってしまい、さも
江崎グリコのせいであるような記述があり
ましたことを謹んで謝罪しつつ
今もポッキーを食べております。




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GITANESが湿ったときの匂いが忘れられない。
それとは無関係に・・・。

庭の植木に水を遣ろうかどうしようかと思案する季節。
植木鉢の花などはこの時期に水を絶やすとすぐに
枯れてしまうから、思案していないでどんどん水やり
すればいいようなものだが、どうして迷うのかというと
「今日も夕立がくるかも」という予想のせいである。

この、水量たっぷりの天然シャワーはまさしく
天の恵みである。
どの部分に水を遣ろうかなんて細かい段取りなど
あざ笑いながら盛大に水が降る。ありがたい。

いや、夕立があろうとなかろうと水やりをすれば
いいんじゃないかと思うだろう。
そう決めておけば、少なくとも迷う必要はなくなる。
ところが、夕方の水やり時には蚊が本気を出してくる時間帯
でもあって、それが気が進まない理由である。
吸血する蚊にも数種類あるようだが、ちょっと調べると

「 家の中によくいるアカイエカは夕方から明け方にかけて
活発に吸血、 チカイエカは夜間、ヒトスジシマカは
昼間から夕方にかけて活動が活発化する」
ということだから夕方は各種の蚊がやる気になっている
FES状態になっているのだ。
庭に出るためにちょっと掃き出し窓を開けるだけでも
蚊は侵入してくるし、そもそも水やりを待ち構えている
かのように、外に出るとすぐ露出した肌に群がってくる。
夕立を切望する理由としては十分だろう。

で、どうして夕方に夕立がやってくるのか、つまり
雨がサッと降ってサッと止むのかというと

「 夕立の仕組みは、夏の強い日差しで地面付近の
湿った空気が暖められ、上昇してできた積乱雲などから降る。
積乱雲なども長くても1時間程度で消えてしまう。」

とのことだ。だから夕方に降るし、夕方に降るから
夕立なのだ。

という風に、今回はとっても勉強になるSGCでした。
今後も皆さまのちょっとお役にたつようなサイトとして
運営して参ります。
もちろんウソです。


蚊と夕立の解説はホントですけども。


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GITANESは1カートンで足りただろう。
それとは無関係に・・・。

連休取得。
とくに何をやろうということもなく、ただ座り
本を読む日だった。
おかげで3冊ほど読めたのだがその中でも
北方謙三・チンギス紀が完結、読了したことが
大きい出来事だった。
第1巻から最終第17巻まで五年、購入総額3万円
ほどの愉悦。

馬が疾駆する音が聞こえる小説だった。
ラストは静かに、静かに終わる。
最初から最後まで読んで、この終わり方しか
なかったのだ とわかる。ような気がする。


そういう夏休みだった。






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GITANESをワンカートン買うのが
夏休みの準備だった。
それとは無関係に・・・。

祖父の家は長い長い坂を上っていったところに
あった。小さい山の中ほどだ。
民家は多いが確実に田舎であって、周囲は
畑、田んぼ、雑木林。池もあった。
車が速度を上げて往来できるような道がないから
静かな環境だった。
人のたてる音が周囲にないという意味では静か
だったが、そのかわり我が物顔でブイブイ言わして
いたのがセミだ。
仏間と祖父の書斎は寺に隣接していた。
仏間の窓を開けると寺の敷地で、そこには
大きい木が何本も立っていた。
子供のころの記憶だから、それこそ周囲に
自分の腕が周らないほどの太い幹だった。
そこにセミがとまり、ずっと鳴いていた。
うるさかったかと言われると、そうでもないような。
でも何かの拍子に一斉に鳴き声が止まると
「あ、今までうるさかったんだ・・・」
と気づくほどの音だった。
山があり池があり、周囲はそのように樹木に
覆われ、そして祖父宅のそこそこの面積の庭
にもいろいろな植栽があったから、窓を開け放てば
涼しい風があっちからこっちから吹いていた。
クーラーなど要らなかったし、そもそもなかった。
それでも暑いときは祖母がかなり濃い目の
カルピスを作ってくれたり、変な味がする麦茶
を入れてくれた。
祖父祖母がなくなって、誰も住むものがなくなった
ので、家は売却した。
夏になったら思い出すのは
「クーラーもなしにどうやって過ごしたんだろう」
という『あの頃はよかった感』である。

来週ぐらいには数日の連休をとっている。
何冊か本が読めればいいと思っている。
仕方なくクーラーを効かせたリビングのソファ
にもたれて、あれを読んだりそれを読んだり
飽きたら何かを書いたりするのだろう。
連休明けでも全然問題ない というような
電話などがかかってこないことを祈るばかりである。








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GITANESはシン・タバコ。
それとは無関係に・・・。

アマゾンプライムというやつのユーザーだから
アマゾンプライムビデオというやつも利用でき、
だから最近勝手にどんどん薦められる
「シン・仮面ライダー」を観てみた。
昔ながらの仮面ライダーのテーマ(アレンジはされている)
が劇中で流れるシーンは感慨深い。
仮面ライダーがテレビに登場したのが私の
就学直前だったと思う。
毎週興奮しながら観ていたのを覚えている。
ただ、居間のカラーテレビは誰かが他の
番組を観るから
仮面ライダーは別の部屋の白黒テレビで観なければ
ならなかったため、赤いスカーフは赤くなかった。

で、シンの方はなかなかの棒読みで
感情移入が遅れたがそれに慣れれば、まあ。

そんなことよりも、アマゾンのタブレットで
観たのだが、暗がりのシーンが多く
タブレットの画面にこっち側が写り込むのが気になる。
つまり私の顔だ。
ショッカーと仮面ライダーが暗いところで戦っている
シーンにずっと私の顔が写り込んでいる状態が
「戦闘を興味深く見守っているショッカー側の
結構エライ人」に見えて、ストーリーどころでは
なかったのである。

タブレットで、基本暗めの映画を観るのは
やめた方がいいとわかった。






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GITANESはどう吸っても美味くはないのに
やめられない。
それとは無関係に・・・。

もうずっと以前から、午前3時ごろ寝て
8時頃起きるという生活を送っている。
8時に起きるのはもう習慣化してはいるが
8時になったら目が覚める訳ではなくて
毎朝結構辛い。すんなり起きられることは
あまりない。
睡眠が足りていないからだと
いうことは自分でもわかっているが
如何ともしがたいのだ。

で、最近画期的な
というか、自然に目が覚める方法を得た。
7時過ぎにタイマーでエアコンが切れる設定に
するだけ。
起床約1時間前ということになるが、ここで
エアコンが切れるとなると、ものの30分も
すると暑くて暑くて目が覚める。
これはいい。もちろん夏季限定・熱帯夜限定では
あるが、今のシーズンはこの方法なら確実に
目が覚める。
毎朝暑さで目が覚めるというのは、それはそれは
不快だ。不快なのにちゃんと起きられる。
この、幸せと不幸せの表裏一体感。

ただし、体調が悪い時はこの方法は採らない方が
いいとは思う。熱中症によって永遠に目覚めない
なんてことになったらつまらないからである。







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GITANESは両手で吸えるのだけど。
それとは無関係に・・・。

サッポロ一番みそラーメン(カップ)に湯を入れ、
さあそろそろ食べるぞ、という段階になって
左肘に激痛が走った。
なんだこれ。

痛い。変な運動や変わった動きもしなかったのに痛い。
冷静になってからいろいろ観察する。
安静にしていれば痛い訳ではない。
ある特定の動きをしたときに傷みが走るということが
わかった。
肘を下に向け、そのまま脇を絞めていく動きをとった
ときに痛い。
これはつまりどういう動きかというと、ラーメンを
箸でとり、そこから口に運んでいく動きそのものだった。
「でも左肘だろ?じゃあ食べるのには何の関係も
ないではないか」と思ったあなた、それは浅はかである。
私は左利きなのだ。

何度も口の前までラーメンを運ぶのだが、口にいれる
寸前に痛みで腕が戻っていく。
この動作を何度も繰り返した。何度やっても痛くて
ラーメンは食べられないのだ。
箸を右手に持ち替えて食べてみたが、やっぱり
まどろっこしい。普通に食べたい。
これが塩ラーメンだったらどうなのか、みそよりは
ちょっと軽いから楽になるんだろうかなどと
いろいろ考えてみたものの、気が紛れるほどの効果も
なく、腕が痛い。

最終的には自分に対して開き直り、
「左肘は痛いのだがそれがどうしたというのだ。
痛かろうがどうしようが、今はラーメンを食べる
のが優先されるのだから、肘などどうでもよろしい。
おりゃ!食うぞ!
と無理やり左腕を動かしラーメンを食べ始める。
すると、確かに痛いのには変わりないのだが、
なんとかラーメンを食べ続けることができる。
多分大したことないことが左肘の付近で発生していて
大したことはないが普通ではないから
動かそうとしたらやっぱり痛いし、でも痛いといっても
微動するにも苦労するという訳でもなく、
痛み < 食べる意思  という感じで
なんとかなりそうで、そして実際なんとかなった訳だ。

少々熱っぽくても会議には出席したり、
喉が枯れて辛くても重要な受け答えはやるし、
というのと同じようなレベルで、サッポロ一番
みそラーメンが痛みを上回ったということだろう。


食後1時間ほど経ち、そういえば肘は?
といろいろな動きをしてみたが、まったくどこにも
何の痛みもなかった。

しかし、あんなに無理してラーメンを食べた経験は
なかった。
そして私はそれほどサッポロ一番みそラーメンが
大好きだ という訳ではないのである。



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GITANESの匂いも慣れるまでは
そんな感じ。
それとは無関係に・・・。

もちろん代表者印ではないが、会社の角印を
ひとつ預かっている。
普段は私が捺印することはないが、総務の偉いのが
席に不在の際には印鑑をもらいに来た者が
「じゃあお前でいいや。ホレ、ここに捺印を。」
と振ってくる。
その時のための角印である。


で、印鑑は預かったが朱肉と捺印マットは手元に
ないから、そのたびに朱肉とマットを借りるため
数歩移動することになる。
これがどうも面倒くさい ということに数年かかって
気づいてしまった。

じゃあ、朱肉と捺印マットを買えばいいのだ。
ちなみに捺印マットというのは、捺印するさいに
下敷きとして使用すると、凹凸もなくなるし
印影がくっきりするという、個人的には半信半疑の
グッズである。

早速アマゾンに注文し、それが届いた。

ゴム製の捺印マットだった。
ビニールから取り出して、ああゴム製だな
と手触りを確認する。その瞬間に気づいた。

臭い。ゴム臭い。

これが強烈だ。大切なこと、思い出など
いくつも一瞬で忘れてしまうほどのゴム臭。
ゴム臭が鼻の奥深くの突き当りに焼きついて
離れない。手触りを確認したもんだから、
手指がゴム臭に覆われている。何度手を洗っても
臭い。気がする。
ああ、自分は子供のころからゴムの臭いが
物凄く嫌いだった  ということを思い出した。
目下の重要事項や大切な思い出のいくつかを忘れた
代わり、「自分はこの臭いが昔から大嫌い」
という記憶に置き換わった。

すぐさま元のビニールに戻し、
「どこか遠くにしまい込んでくれ」と頼み
鼻の奥のイヤな臭いを上書きするため、オフィスの周りを
数分歩き回って鼻内の換気をしたのだが
どうやら神経と記憶の領域までゴムに侵された
らしく、容易にとれなかった。

という訳で私は生まれて初めて
「追憶の彼方へ」という言葉を使用するに至った
のである。







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GITANESのスペルが難しいらしい。
それとは無関係に・・・。

誰にでもあると思うのだが、自分にとって
書きやすい漢字と書きにくい漢字があるのでは
なかろうか。
上手とか下手という意味とは少し違っていて
「自分なりに、すんなり・それなりのカタチになる」
文字かどうかということである。
例えば私は昔から「之」という文字を書くのが苦手
だった。ところが随分大人になってから
「ああ、こうすればいいのか」という点に気づき
その結果苦手意識はなくなった。
叔母の前でその文字を書いたとき、
「あら!亡くなったあなたの父が書いたのとそっくりの字!」
とびっくりされた。
一応誉められたのだろう。
ちなみに父方の一族は皆達筆である。

同じように、「也」という文字もある時期から
苦ではなくなった。それなりにコツを覚えたのだ。
「市」という文字は、自覚はなかったものの
他人から見た私の「市」はかなりバランスが悪かったようだ。
20歳前だったか、父に
「お前の『市』は、上の(二画目の)横棒が短すぎる。
だから不細工になる」と指摘された。
ああそうか。それ以降はそれなりに普通の文字になった。


さて、今でも、どう書いても不細工になる文字がある。
「流」という文字だ。これが難しい。
頭でっかちになったり、フワフワ浮ついた文字になり
足元が安定しなくなったりする。どうやっても
うまくいかない。手本を見てもなぜかうまくいかないものだ。

それと「交」という文字。
これも難しい。
脚が長すぎたり、股を開き過ぎたりしてしまうのだ。

だからもう、「交流」ということばを書くときなど
絶望的にダメになる。

」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」


と、ここまでを読んだところで実際にペンを取り
「自分はどうなんだろう?」と、交流 を書いてみた人。
あなたはきっといい人だ。
いや理由はないけどなんとなく。



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GITANESは変わらないからいい。
それとは無関係に・・・。

スマホ(スマフォだと思うんだけどなあ)を
機種変更した。
毎度毎度、設定が面倒くさい。
お金・支払い系はきっちり設定をしなければ
ならない。
銀行や交通系のナントカも面倒だ。
機種変更する前にやることがあり、当然変更後も
やることがあって、それらをきっちりやって
初めて同じ状態を再現できる。
連絡先などの情報は、ナントカにログインするから
それほど手間はかからず、前の機種の環境と同じに
できる。
SNSがまた面倒だ。おカネ関係のアプリほどではないが
アカウントがどうだとかパスワードがどうだとか
何度も失敗しながら、なんとか元に戻ることができた。
で、ほぼ変更前の状態にたどり着くことができて
気づく。
「機種変更したのに、ほとんど変わっていない」

必死になって変な汗をかきながら設定作業をして
手に入ったのは、
少しばかり処理スピードが早くなり、少しばかり電池の
モチがよくなって、カメラの性能が不必要なほど
向上し、そして本体が少し大きくなったことだけである。

そのケータイショップには昔一緒に働いていた男が
いた。
彼がケータイショップに転職していった頃は
ガラケーという言葉もないほど昔のガラケー時代だ。
i-modeもなかった。
そのころは、「新機種が出た」という情報が入ったら
彼に電話して、
「機種名○○○○の黒が欲しいんで、持ってきて」
と頼んだら会社まで届けてくれ、そこで代金を支払った。
電話帳預かりサービスなんてなかった時代だから
どうせ新しいケータイが手に入ってから自分で一件ずつ
登録するしかなかった。
自分の電話番号も当然変わってしまうが、それが普通。
おサイフケータイ機能も当然ない。
だからケータイショップでやってもらうような作業が
ほぼゼロだったので、現在のようにスマホ機種変更で
店頭にて1時間かかるということもあり得ない。

電話番号も変わってしまうほどの変化があったし、
何よりトンデモない機能がどんどん付加されていった時代
だったので、機種変更するたびに新鮮だった。

「わあ!液晶がカラーだ!」
とか
「わああ!メールができる!」
というように、どんどん変わっていった。

なんか、いい時代だった。

ああいう、機械自体にドキドキする時代はもう来ない。





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