GITANESの煙は殊更ゆっくり流れるのは、
毒が多いからではない。
それとは無関係に・・・。
読み聞かせ。
書店などで「読み聞かせ会」なんて催しをしているが
あの表現は正しいのだろうか。
自分のこどもに本を読んで聞かせる というのは辛うじて
わかるのだが、
まあそれはそれとして
大体、その「読み聞かせ」に対し、本当にこどもは喜んでいるの
だろうか。
子どものころ、親を含めおとな達が私に本を読み聞かせようと
していたという記憶がある。
しかし読むペースがあまりにも遅く
「ああ、どうしてこの人はこんなにゆっくり読むんだろうか」と、
かなりの苦痛を伴っていた。
そんな感じを敏感に察知していたらしい親は、あまり本を私に対して
読んで聞かせることはなくなっていったが、問題はたまにやってくる
近所の人や親戚の者、父母の知人たちである。
「あら、SGCちゃん。これ読んであげるわ」
なんて言われて、
「あ、ええわ。いらん。」と断っても
「まあ遠慮しなさんな。」なんて徐に話し始めるのだ。
こっちのペースを知らない者の読み聞かせにつき合わされる
あの苦痛。
この苦しみから逃れるには、自分で本を読むしかない。
そう決心してから、私の読書嗜好が始まったと言っても
過言ではない。
読み聞かせなんてのが
「本に関する子どもの独立心をかきたてるための、
確信的な嫌がらせ」であるのなら、それは有意義だ。
あ、そのための。
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