GITANESの煙を線香代わりに。
それとは無関係に・・・。
911という記号は多くの人に、多くの人の記憶に焼き付けられた。
私にとっても同じだ。
最初は写真家のKent.Hopper氏からの
「ニューヨークがえらいことになってますよ!」というメールだった。
咄嗟にテレビをつけた。その頃はWin98のノートを使っていた。
起動に時間がかかったし、何かあったらネット という習慣がまだなかった。
もちろんスマホなんて存在していなかった。
やっと限定的にドコモではFOMAが始まった頃のようだ。
テレビのニュース番組で得体のしれない映像が繰り返し流れていた。
「ビルに飛行機が衝突したようだ」
「え?もう一機!? わざとだ!」
ニューヨークには私の友人で、ここSGCの前身のホームページで執筆していたZOU氏がいた。
英語が喋れない商社の事務所長として。
ZOUにメールを送った。
「無事か?何が起こってるんだ?」
返事はこちらの翌朝届いていた。
とにかく何が起きているかわからなかったというか、飛行機が突っ込んだことを知らなかった。
ケーブルテレビのスイッチが入ってなかったのだが、スイッチをオンにしようにも
まったく何も映らなくなっていた。
そのうち町中がどえらい騒ぎになって、四方八方からサイレンが鳴った。
避難しろと命令が出たが、「どこへ? としか頭に浮かばなかった。」
とのことだった。
幸い彼はまったく無事だった。しばらくは街の機能がマヒし、仕事にも当然支障が出たらしい。
彼は今帰国して、元気にやっている。
それから数年後の9.12。
これは父の命日になった。
突貫工事で家を建てて、母と病気の父を引き取り
さあ一緒に暮らそうぜ とスタートして1か月後の死だった。
それからもう11年経った。
そういえば父とは、9.11テロを伝えるニュース番組をいっしょに観ていた。
ちなみに、その父の葬儀を執り行ってくれたお坊さんは今年亡くなった。
私より年下なのに。
ここ4年ほどは、毎晩コーヒーをハンドドリップして
オヤジの遺影の前に供えている。
コーヒー好きだったからだ。
いや、供えたコーヒーの量がまったく減っておらず
翌朝には冷たくなっているだけなのはわかっている。
でも、そうしないと気持ち悪いものだ。
911と912が私には焼き付いた2日間になっている。
ただし、ありがたいことにすぐ9月13日は勝手にやってくる。
ありがたいことに、イヤな記憶が今のところない9月13日が勝手にやってくる。
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