都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
引出物とは 結婚式の披露宴に出席してくださった方、酒宴の膳にお礼と、ご祝儀の返礼の感謝の気持ちを込めてお贈りするお品を「引出物」といいます。
招待した客に主人からの贈り物のことです。引き出物は平安時代頃、馬を庭に引き出して贈ったことに由来するそうです。
やがて、馬の代わりに「馬代(うましろ)」として金品を贈るようになり、引き出物は酒宴の膳に添える物品や、招待客への土産物をさすようになったようです。
祝い事や仏事のときに参会者に引物として出す菓子を「引き菓子」といいます。引くという言葉には配るという意味があります。おもに白木でつくって縁高・角切り・折りなどに3個・5個・7個のような数で蒸し菓子・干菓子・生菓子をいれたものをいいました。近頃では社交的な普通の宴会でもみやげ菓子としてもちいられています。
結婚式などでは、引き出物は親から、引き菓子は当人からという解釈があるようです。引き菓子の名前は物を送ることを「引く」といったことに由来しており、「長引く」など、これから長く続いていく様をイメージした言葉で、縁起の良い名前なのです。
昔は結婚式の引出物といえば鯛などをかたどった大きな和菓子など、お祝いのお返しという意味から、いただいた方々に持ち帰って貰うものでした。
金平糖を結婚式で引き菓子として配ることがありますが、由来があります。金平糖は長い時間をかけて大切にじっくり作られる工程から、新しい家庭を築いていく夫婦の姿を連想させおめでたいといわれています。
バームクーヘンも人気があります。本場ドイツでは「お菓子の王様」と称えられ、お祝いの席に欠かせない特別なお菓子がバームクーヘンです。木を意味する Baum(バウム)とケーキを意味する Kuchen(クーヘン)が名前の由来。何層にも重なった生地が木の年輪を思わせ、長寿繁栄や結婚生
活が長く続くようにと、贈り物に人気です。
最近では紅茶も人気で「幸茶」につながるということで、引出物として縁起が良いと考えられています。
何でも理由を考えて・・・・、日本人の商魂が垣間見えます。
したっけ。
はな‐むけ【餞/贐】
《「馬の鼻向け」の略》旅立ちや門出を祝って、別れて行く人に金品・詩歌などを贈ること。また、その贈り物。餞別(せんべつ)。「―の言葉」
大辞泉
上記のように書きますが、おめでたい席で「はなむけの言葉」などといわれることが多いので、「花向け」だと思っている方も多いようです。
「はなむけ」(餞、贐)とは、旅立ちや新たな門出に際し、激励や祝福の気持ちを込めて、挨拶の言葉(はなむけの言葉)・金品・詩歌などを贈ることなのですが、なぜそのように呼ばれるようになったのでしょうか。
日本では昔、旅に出るとき、道中の安全祈願のために、馬の鼻先を行き先へ向ける習慣があったのです。そのことから「馬の鼻向け」という言葉ができ、やがて省略されて「はなむけ」となったといわれています。
ちなみに「うま(むま)のはなむけ」という表現は、「土佐日記」や「古今和歌集」など平安時代の書物で使用されています。ただし、当時は、餞別(せんべつ)や送別会などの具体的なものを指していたが、現在では、門出の挨拶を指すことが多いようです。
(馬は当時の発音では、nmaでありumaではなかったのです。美しい日本語が消えていきます。)
平安時代には、馬を庭に引き出して贈ったことから、「引き出物」という言葉が生まれました。
因みに、「宴(うたげ)」は、酒宴のときに手をうちあげて楽しむことから「打ち上げ(うちあげ)」の音変化だとする説があります。
贐の盡(ジン・つ-くす・つ-きる)という漢字は、尽(つくす)の異体語で、刷毛(はけ)を手に持 って、皿からものをかき出しつくすさま、または、手に持つ筆の先から皿に、しずくがたれつくすさまを示しています。従って、貝(宝やお金)+盡(出し尽くす)、すなわち、宝やお金を全部出し尽くすということを意味しています。
昔のたびは命がけでしたので、送り出すほうもありったけのことをしてあげたということでしょうか。
現在、「はなむけ」には、餞別(せんべつ)の餞(セン)の漢字が使われますね。戔(セン)という漢字は、「少ない」、「小さい」ということを意味しています。餞という漢字は食(酒食)+戔(小さい)、つまり、小ぢんまりした祝宴を意味しています。
今の旅は安全ですから、それほど大袈裟にしなくてもよいというところでしょうか。
したっけ。
昔、中国のある村に嫌われ者の大地主がいたそうです。大地主は村で強大な力を持っていて、恐くて誰も逆らう者はいなかったそうです。
ある夏の日、村人たちは収穫した穀物を晒し場で天日乾燥させていました。大地主はそれを見て、自分の鶏の群れをその晒し場に放し、村人たちの収穫した穀物を食べさせたのです。
村人たちは一年間苦労して収穫した穀物を鶏に食べられているのを、黙ってみているしかありませんでした。
阿強と言う名の若者が、理不尽に耐えかねて石を投げ、鶏を追い払ったそうです。ところが、運悪くその石が一番大きな雄鶏に命中し、死んでしまったのです。
大地主は激怒し、「オレの大切な雄鶏を殺したな。祭壇を作って雄鶏祭れ。そして祭文を読み上げろ。もし拒めば訴えて牢屋にぶち込む。」と無理難題を押し付けました。
村民たちは何とか若者を救おうとしたが、誰も祭文を書いたり読んだりした者がいなく、途方にくれていました。
丁度、そのとき村を訪れた旅のお坊さんがこの話を聞き、祭文を書いてくれ、若者に読み方を教えました。
次の日、村人と若者は晒し場に祭壇を作り、湯気がもうもうと立ち上り、いい匂いのする鶏鍋を祭壇に捧げたのです。
そして衣服を改めた若者は「私は、頭に赤い冠を戴いて生まれてきたが、運悪く死んでも行き場がありません。どうか皆さんで私を召し上がって下さい。」と鶏の祭文を読み上げました。そして若者と村人たちは美味しく、その鶏を食べたのです。
近くで見守っていた大地主は、自分が言い出したことなのでなすすべもなく、ただ唖然としていました。村人達は拍手喝采し、旅の坊さんに感謝したということです。
[中郷民間故事]
「溜飲」は、飲食物がよく消化されずに胃にたまって、酸っぱい胃液がのどに上がってくるこ と。 その「溜飲」がもとの胃に下がってスッキリすること。
不平、不満、恨みなどが解消され、胸がすっとすること。
溜飲(りゅういん)を下(さ)・げる
胸をすっきりさせる。不平・不満・恨みなどを解消して、気を晴らす。「相手を論破して―・げる」
◆ 文化庁が発表した平成19年度「国語に関する世論調査」では、本来の言い方である「溜飲を下げる」を使う人が39.8パーセント、間違った言い方「溜飲を晴らす」を使う人が26.1パーセントという結果が出ている。
大辞泉
逆流性食道炎の状態をスッキリさせるといったところでしょうか。
したっけ。
漢字では「臍を噬む(ほぞをかむ)」と書きます
ほぞとはおヘソのことです。
噬むは噛むと同じ。ニュアンスとして、噬は前歯でかぷっと、噛は奥歯でしっかりと・・・みたいな感じです。噬にはついばむという意味もあるのです。
この場合の臍(ほぞ)は自分のものです。自分のへそをかむなんて、いったいどうやったらそんなもん噛めるのか・・・。「噛めるわけないじゃん」、って話ですよね。
ですから、「ほぞをかむ」とは不可能なことのたとえです。なのですが、ちょっとニュアンスが違います。
おおもとは噬臍(ぜいせい)という熟語で、晋と楚の勢力争いを書いた『春秋左氏傅』(左伝)が出典です。へそには口が届かないから、いくら後悔しても間に合わないのだ、と。
ぜい‐せい【噬臍/噬斉】
《「春秋左伝」荘公六年から。「噬」はかむ、「臍」はへその意》取り返しのつかないことを後悔すること。ほぞをかむこと。 「十年を待たずして必ず―の悔あらん」〈露伴・運命〉
大辞泉
一般に「悔やむ」「後悔する」の意味で使われます。後悔はどのみち手の打ちようのないときにするものですが、「臍をかむ」は後悔の程度を上げて「激しく後悔する」が適当なようです。
臍(ほぞ)を噬(か)・む
《「春秋左伝」荘公六年から。自分のへそをかもうとしても及ばないところから》後悔する。すでにどうにもならなくなったことを悔やむ。「あとで―・んでも遅い」
大辞泉
でもどうしたら、自分の臍を噛もうなどという発想が浮かぶのか、そちらのほうが不思議です。
したっけ。
踵(きびす)を返・す
あともどりする。引き返す。きびすを回(めぐ)らす。「―・して家に駆け戻る」
大辞泉
きびす【踵】
1 かかと。くびす。2 履物の、かかとにあたる部分。 「沓(くつ)の―を、刀にて切りたるやうに」〈宇治拾遺・二〉
大辞泉
踵(きびす)の語源となる「くひびす(くびひす)」の「くひ(くび)」は、くるぶしから先の部分や足をいう「くはびら」の「くは」、「びす(ひす)」は「節(ふし)」など関節を表す語系からといった説が有力とされていますが、早いはなし「かかと」のことです。
「踵」の古形は、国語大辞典によれば、首(kubi) と「節」の合成語で、「くびれた節」が原義です。
踵(かかと) とは足の裏の後部。踵骨(しょうこつ)と、それを覆う厚い丈夫な皮膚がある。かかとは全身の中で皮膚が最も厚い。きびす。くびす。かがと。
かかとの語源は諸説ある。
①足を掻くところ:「足掻処(あがきと)」が起源の説
②駆けるところ:「駆処・駈処(かくと)」が起源の説
③足元のところを意味する「脚下処(かくかと)」が起源の説。
しかし「脚下処」という語が使われた過去が存在しないので、この説は極めて怪しいとされています。
④くるぶしから先を「くはびら」といい「くはびら」→「くは」→「かか(と)」と変化した説。
ちなみに「くは」は「きびす(くびす)」の語源。
「踵(きびす)を返す」はかかとの向きを変えることで引き返す意味になります。今どき流行りませんよね。小説などでは使われますが、「向き直って」、「Uターンして」ではしっくりこないのでしょうね。
話し言葉ではあまり使用しないようですね。
因みに、踵(かかと)は北海道弁では「かがと」と言います。
したっけ。
徐々に寒さも厳しくなり、冬もそこまで迫ってきましたね。
冬場に迫るとつらいのが冷たい水を使う水仕事。
その中でも毎日食べるご飯の米研ぎはお湯も使えずつらい水仕事ですね。
しかし最近は無洗米も普及し、冬場のつらい米研ぎが楽になりました。
また、エコの観点から無洗米の利用者が多くなっています。
みなさんが食べているお米はどちらでしょうか?
最近の「ブログ人投票箱」の質問が面白くない。突っ込みどころがないんだよ。前は面白かったのにさ
。
今回は「無洗米」って言葉に前からいいたかったことがある。
研がずにそのまま炊けるよう、糠(ぬか)を取り去った米
大辞泉
むせん‐まい【無洗米】
[動ガ五(四)]
1 刃物を砥石(といし)や皮でこすってよく切れるようにする。「刀を―・ぐ」
2 米などを水の中でこするようにして洗う。「米を―・ぐ」
3 みがいてつやを出したり、汚れを取ったりする。「鏡を―・ぐ」
大辞泉
と・ぐ【研ぐ/▽磨ぐ】
「無洗米」って聞くと、洗ってない米って気がしないか?いや、そうなんだけど、どうもピンとこない。米を洗うって言葉がおかしいんだよ。質問にもあるように、米は研ぐもんだからな。
洗うなんていうもんだから、新婚の奥さんが米を中性洗剤で洗って炊飯器が泡だらけになった、なんて話になるんだぜ。
そのまますぐ炊けるんだから「即炊米」とかにしたらどうかな・・・。
昔は一升瓶に玄米を入れて棒で突いて精米したもんだよ。そんな米だ、一所懸命研がねえと糠が残ちまう。手の平で力を入れて研いだもんだよ。なんて、オヤジが力んでみても始まらないか。
オレが米を研いでいたら娘に言われたよ。「お父さん駄目だよ。そんなに力入れたらお米が砕けちゃうよ。」だってよ。
今の米は、精米がきちんとされているから、洗うだけでいいんだとさ。
家は「普通米」だよ。
ああ、日本語も廃れていくはずだよ・・・。
したっけ。
相手をみくびるときに使われます。鷹ではありませんよ。
「たかをくくる」の「たか」は「高」と書きます。「生産高」「残高」など物の数量や金額を見積もった時の合計額のことで、数量の程度を表す言葉です。
「たかをくくる」の「くくる(括る)」は、「まとめる」「物事に区切りをつける」こと表します。
つまり、「たかをくくる」はこの程度(高)だろうとまとめる(括る)ことの意味から、安易に予測したり、たいしたことはないと侮ったりすることを言うようになった。
また、たいしたことはないと侮る意味が含まれるようになったのは、戦いの際に勝敗の見込みを予測するため、相手の領地の「石高」を計算したことからともいわれています。
昔、武士の戦いでは、兵力は、その領地の広さ、及びその「石高」にもとづいていた。その分しか動員できなかったのである。
戦いに際し、相手の領地の「石高」を計り、相手の兵力を割り出し、勝敗の見込みを計ったのです。勝てるようであれば、相手をみくびって、戦いを仕掛けたのです。
こく‐だか【石高】
1 収穫した米穀の数量。2 太閤(たいこう)検地以降、土地生産高を米の量に換算して表示したもの。石盛(こくもり)を基準に確定され、村高や大名・武士の知行高も石高で表示された。
大辞泉
「高が知れる」「高がこれくらい」のように、「高(たか)」には"たかだか""せいぜいこれくらい"とか"とるに足りない"という意味があります。
最近、「腹をすえる(=決意する)」と「高を括る」を混同して「腹を括る」などと間違って使う人がいますので、気をつけて下さいね。
腹を括ククる
いかなる結果にもたじろがないよう心を決める。覚悟する。腹を据える。
広辞苑
今は広辞苑にまで掲載されていますが、どうにもおかしな感じがします。もう日本語として認められているのでしょうか。「括る」には「首を括る」のように締めるという意味もあり、腹を括ったのでは苦しいばかりです。コルセットじゃないんですから・・・。コルセットは、ある意味覚悟が必要かもしれませんが・・・。
したっけ。
「専門」を「専問」、「訪問」を「訪門」と書く間違いはよく見かけます。書くときも「口」がいるのかいらないのか悩む文字です。
「専門」の「門」は「学問」の系統の意味で、「部門」、「門外漢」のもんと同じです。ところが「学問」の「もん」を「問」と書くことから、どうしても「問」と書きたくなります。
また、「訪問」は「門を訪ねる」ものですから、「訪門」と書きたくなります。
この二つには覚え方があります。「専門」は「専門家に口なし」とか、「専門家は無口なり」と覚えます。知ったかぶりをしてペラペラ喋るようでは「専門家」とはいえないようです。
一方、「訪問」のほうは、「ごめん下さいと、口をきく」と覚えます。黙って他人の家は訪問できませんから。
私は専門家ではありませんから、知っていることをペラペラ喋ります。
したっけ。
歌舞伎の舞台で物を運んだり、役者に台詞を教えたりする後見人をなんといいますか。最近ではこれを「くろこ」といったり、「黒子」と書いたりする人が増えています。しかし、これは間違いです。正しくは「黒衣」と書いて「くろご」と言います。
パソコンで「くろご」を変換しても「黒子」となるくらいですから、間違えるのも無理はありません。
「くろこ」とは、「ご」と濁るのを敬遠したのでしょうが、正しい日本語とは言えません。
また「黒衣」は、後見人自身のほかに、身につける黒い衣装をも指しますから、「黒子」では明らかに間違いです。
メラニン色素の多い子どもではありません。
ほくろ【黒子】
皮膚に点在する黒色または暗褐色の小斑で、母斑ボハンの一種。毛を生ずることもある。ははくそ。ほくそ。〈日葡〉
くろ‐ご【黒衣】
歌舞伎の舞台で後見の着用する黒い衣服。また、その後見人。黒具クログ。
広辞苑
こく‐い【黒衣】
黒色の衣服。特に、仏教の僧の着る墨染めの衣。また、牧師や修道女のまとう僧衣。こくえ。
大辞泉
黒衣(こくい)との混同しているのではないかと思います。広辞苑によると黒衣(こくえ)となっています。
正しい日本語を、正しいといっても、「えっ・・・」といわれる世の中です。日本語は難しいです。
したっけ。