都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
先ず、「スピリチュアリズム」とは何か?調べました。和訳すると、「心霊主義」。心霊現象を信じているか、信じていないかと云う質問だと分かりました。
心霊現象と聞いて、先ず思い浮かぶのは、「エクソシスト」「ポルターガイスト」「オーメン」等の映画です。それらの映画を見て、当時西洋人は震え上がったそうです。しかし我々日本人、いや私はさっぱり恐ろしくなく、陳腐なB級映画のような印象でした。キリスト教の信者には恐ろしいのだと思います。
スピリチュアリズムと云うからには、そういうことなんだと、私は理解しました。いずれにしても、信仰が絡んでいているような気がします。
日本でいえば、恐山の「イタコの口寄」、神様などと呼ばれる「霊能者」、テレビでまことしやかに他人の未来を予言する人たちのことでしょうか。本当に人の未来が分かるなら、煩わしくて外なんか歩けないと思います。
まだ、占いや、お御籤のほうが罪がなくて、いいと思います。
本当に彼らに未来が見えるとして、それを聞いて、あなたは生きていけますか。先の見えた人生など死んだも同じです。
だから、私は信じません。信じてたまるか!信じるもんか!!
そろそろ節分です。節分について考えて見ましょう。
節分という言葉は、”季節が分かれるとき”という意味ですから、本来は立春、立夏、立秋、立冬などの前日はすべて節分ということになります。ところがいつの頃からか、立春に限っていうようになりました。
もともとは中国から伝えられた風習ですが、我が国でも室町時代頃から、行われるようになったようです。さらに春を迎えるにあたって邪気や災難を払い、新しい年の豊作・福善を願ったことから、節分と追儺(ついな)の風習が合併して生まれたのが豆まきのようです。豆をまく動作が、種まきに似ているので、豊作祈願に繋がったのかも知れません。
*追儺(ついな)については後述*+
鬼
鬼は邪気や厄の象徴で、形の見えない災害、病、飢饉など、人間の想像力を越えた恐ろしい出来事は鬼の仕業にしたのです。「おに」という言葉は「陰(おん)」を語源とし、「陰」とは目に見えない気、主として邪気をさし、それが「おに」なのです。また、隠れている恐いものとして「隠人(おんにん)」が変化して「おに」になったという説もあります。
十二支の丑というのも陰陽でいうと陰になります。鬼が住むのは鬼門である丑寅の方角です。だから、鬼は牛(丑)の角と虎(寅)の牙をもち、虎皮の服を着ているのです。豹柄ではありません。豹柄は大阪のオバチャンに任せましょう。
鬼はいつ、どこからやってくるのでしょうか。鬼門である丑寅は、現在の時刻にあてはめると深夜2時~4時ぐらいで、方角でいうと北東となるため、真夜中に北東からやってきます。ですから、豆まきは夜行うのです。
では何故、豆をまくのでしょう。魔の目(魔目=まめ)は鬼の弱点のようです。豆は大豆を炒ったものでなくてはなりません。後述の「追儺(ついな)」にあるように、炒るは射るに繋がるからです。
「追儺(ついな)」:古代中国では、大晦日に「追儺(ついな)」という邪気祓いの行事がありました。これは、桃の木で作った弓矢を射って、鬼を追い払う行事です。
桃の木の弓矢で鬼を追い払うと聞いて、何か思い出しませんか?そうです、桃太郎です。桃太郎は鬼が島に鬼を退治に行くときに、家来を連れて行きます。方位図を見てください。
鬼門である丑寅の方角の対極にあるのが、申、酉、戌なのです。ですから、桃の木は桃太郎。申、酉、戌は猿、雉、犬なのではないでしょうか。「追儺(ついな)」と方位図を見て気付いた、私の推測です。
豆はどのようにまくのでしょう。一般的には、窓を開けて「鬼は外!」と外へ向かって2回まき、鬼が戻らないようすぐに窓を閉めてから、「福は内!」と室内に2回まきます。奥の部屋から順番に、最後は玄関までまいて、家中の鬼を追い出します。
又、玄関を開けておいて「鬼は外!」と奥の部屋から順に豆をまき、最後に「鬼は外!」と玄関から外に豆を撒き、玄関を閉め「福は内!」と室内豆をまくというのもあります。地方によっては色々なまき方があるようです。いずれにしても、窓なり、玄関なりを閉める前に「福は内!」と言わないことです。鬼が又入ってきて、福と同居することになります。気をつけましょう。
方位図
陰陽太極図
十勝の冬も本格化してきました。マイナス10度を下回る朝がやってきました。数年前スズメが居ないと大騒ぎになりました。でも、今年は大勢で毎日やってきます。コリンゴの木(北海道ではそう呼びますが正式には“酢実”と云うそうです。)にとまっているスズメも、羽を真ん丸く膨らませて動きません。まさに鈴なり状態です。
これは餌台にヒヨドリが陣取っているため彼の食事が終わるのを、じっと待っているのです。
餌台を見ていると野鳥にも上下関係があるようで、もし,ここでカケスが来ると、ヒヨドリは居なくなります。
四十雀類等のカラ類は出勤時間が早くちゃっかり食事を済ませてしまいます。
話しが脱線しました。鈴なりの語源は、果実が「神楽鈴(かぐらすず)」のようにたくさん群がりなっていることだそうです。ですからスズメ鈴なりは間違いです。
<ヒヨドリ>
<神楽鈴>
では神楽鈴とは何かと云うと神楽を舞うときに用いる鈴。小さい鈴を12個または15個つないで柄をつけたもの。歌舞伎舞踊の三番叟(さんばそう)などにも用いるものだそうです。
「スズメ鈴なり」のほうがごろがいいですよね。私はずっとそう思ってました。
バレンタインとは何でしょう。バレンタインとは英語では「Saint Valentine’s Day」、訳せば「聖バレンタインの日」という意味です。つまり、人の名前です。
ローマ帝国の時代、若者たちが恋人や家族のために懲役に応じなくなったので、皇帝は結婚を禁止してしまいます。キリスト教司祭であるバレンタイ)は、かわいそうな若者たちをみかねて、内緒で結婚をさせていました。当時ローマはローマ宗教でキリスト教は迫害されていました。そんな状況の中、バレンタインの行動が皇帝の知ることなり、バレンタインは投獄され、処刑されてしまいます。それが西暦270年2月14日です。
そのため2月14日に恋人たちが、贈り物やカードを交換するようになったのです。それがいつしか「Saint Valentine’s Day」として定着したのです。
ですから、このような神聖な日に、義理だとか、おまけだとか、本命だとかキャーキャー大騒ぎをしていいのでしょうか。増してや、チョコレートを送る習慣など西洋にはありません。頭のいい日本のチョコレート屋さんの作戦にまんまと乗せられて、さらに3月14日を「ホワイトデー」としてクッキーまで買う始末です。
私は男ですが、結婚しているので、いただくのは当然義理チョコになります。もらった以上は何らかのお返しをしなければならず、余計な時間と頭を使う羽目になります。
ですから、本当に好きな人が、自分の気持ちを打ち明けるきっかけの日ととらえればいいのです。そう云う人が互いに物を送りあえばいいのです。それが、チョコレートであってもかまいません。
何でも、人の尻について居なければ安心できない諸君、そろそろ自分自身に自信を持って、止める勇気を持ってください。キリスト教でない人は特に考えていただきたいと思います。
ですから、馬鹿騒ぎのバレンタインには大反対です。
昨日は成人の日(正式にはハッピーマンデー)でした。テレビも振袖を着た女性を映し、雪の日だったことと重ねて、どの局も同じ質問をしていました。成人の日は、ただ晴れ着を着てキャーキャー騒ぐ日ではありません。成人の日の意味をしっかり伝えていた局は私が視聴した限りありませんでした。残念です。
成人式は「冠婚葬祭」の冠に当たる儀式で、一月十五日でなければなりません。そもそも成人式は現代の元服であったはずです。元服とは、中国古代の儀礼に倣(なら)った男子成人の儀式で、公家(くげ)、武家を通じて行われていました。当時は十一歳から十五歳ぐらいの間に行われていたようです。それは冠をかぶり行う厳粛な儀式でした。
では、何故一月十五日なのでしょう。昔は太陰暦で、数えで年齢を数えていました。ですから、皆一月一日、元旦を以って一歳年をとります。それなら元旦に、元服の儀式を行うのが当然と思われますが、何故十五日なのでしょう。
太陰暦の一日は、新月です。それではおめでたい日にふさわしくないので、満月の日十五日に行われたのです。
ですから、それを踏まえて、太陽暦になった現在も、一月十五日を成人の日として、1948年(昭和23年)公布・施行の祝日法によって制定されたのです。
ハッピーマンデーとなった今、その意義も由来も忘れられ、ただ馬鹿騒ぎをする族(やから)が現れても不思議ではありません。ただの連休に過ぎないのですから・・・。
ハッピーマンデーとは、ただ連休を増やすと云うだけのためにつくられたために、本来の意義も由来も忘れられて行くのでしょう・・・。「何々の日」の意味がないのであれば、ただハッピーマンデーと云えばいいのです。「何々の日」と云うのであれば、きちんとその由来のある日にするべきだと思います。
ちょっと、ムキニなりすぎちゃったかな?
私は、30歳のときに禁煙して以来30年間煙草を吸っていません。それまでは、1日3箱ほど吸うヘビースモーカーでした。
禁煙できたきっかけは、子供が喘息だったこと、自分が急性胃炎で1週間ほど煙草が吸えなかったことです。それまでも何度も禁煙しましたが、直ぐに復煙していました。
禁煙の秘訣は、誰にも言わないことです。休煙するつもりで、気楽にすることです。ガムなどの代替品を使用しないことです。それは、自分自身禁煙を意識していることになるからです。
私も急性胃炎で1週間ほど煙草が吸えなかったことをきっかけに、休煙しているのです。それが30年間続いているということです。
こんな噺があります。「禁煙なんて簡単なもんよ。何でそんなに禁煙、禁煙て大騒ぎするんだよ。俺なんか、もう50回以上は禁煙したよ。」
おそまつ・・・
都月満夫
駅前の風景はすっかり変わっていた。私が育った土の見える風景、鉄南地区は、そこにはなかった。木工場の丸太置き場も、石炭の貯炭場も追憶の底に沈んでいた。しかし、駅前食堂の豚丼、電信通りの饅頭屋の大判焼きは、昔のままの味であった。それだけで、目頭が熱くなる自分が可笑しかった。
父の葬儀があって以来、二十一年ぶりであった。勤務している大手スーパーの店長として、私は思いもよらず、帯広に帰ってきた。
私の父は市内で、食品卸の小さな会社を経営していた。父は接待と称する、飲み会やゴルフに明け暮れ、夜も日曜日も家にはいなかった。外に女性もいて、帰宅しない日も多かった。私たち、男ばかりの三人兄弟は、母子家庭のように育った。子供のころ父に遊んでもらった記憶はない。
母は私たちに寂しい思いをさせまいと、明るく私たちに接してくれた。私たちは、幼いながらも、母を守ることで結束していた。当然、母に辛い思いをさせている父に対して、憎しみさえ抱いていた。夫に愛人がいるという、女としての屈辱に耐えながら、私たちを育ててくれた母に感謝している。その母は、桜が満開の五月に散って逝った。私が大学四年、弟が大学二年と高校三年の春であった。
翌年、一番下の弟も東京の大学に入学し、私は東京で就職した。
その年、父は母の一周忌が明けて間もなく、以前からの愛人であった女と再婚した。
その後、弟たちも大学を卒業すると帯広には帰らず、道外の企業に就職した。やがて、母も弟たちもいない帯広は、モノクロの記憶として閉じ込められ、色彩を失っていった。
着任の仕事が一段落して、高校時代の同級生の沢木と酒を飲んだ。彼は高校を卒業して地元に就職していた。彼とは今でも年賀状のやり取りがある友人である。彼は母の葬儀にも父の葬儀にも参列してくれた。
彼には二人の娘と息子が一人いる。上の娘は結婚していて、もう孫もいるという。息子は今年大学生になったという。酒を飲みながら、彼は楽しそうに話した。私は一度も結婚をしないで、もうオジイチャンと呼ばれる歳になったことに一抹の寂しさを感じた。
沢木は「十時を過ぎると、明日が辛くなるから…。」と、笑顔で帰って行った。
後、三年で、私は定年になる。転勤を繰り返し、マンション暮らしをしてきた独身の私には、帰るべき家庭はない。家庭を持たない私は、弟たちとの付き合いさえ、今では殆んどなくなってしまった。
好きになった女性がいなかったわけではない。私は今でも、その女性のことを想うだけで、脱力感を覚えるほど後悔している。仕事が大好きだった自分は、母のような女性を見るのが怖かった。父のようになるのが怖かった。結婚に踏み切る勇気がなかった。
春、桜の季節だというのに、私の背中を、冷たい風が吹き抜けた。これからの人生が、枯葉の道を行くように思えた。
沢木と別れた私はフラフラと歩き、帯広の名所となった「屋台村」の入り口にいた。奥を覗き込んで、一軒の行灯に目を奪われた。「小料理桜子」と書かれた文字は、まさに桜色に輝き、私の目に飛び込んできた。
「桜子」高校生のときに付き合っていた女性の名前である。彼女は私が高校三年の時に入学してきた、二年後輩であった。彼女は、文芸部に所属していた私が書いた小説を読んで、入部してきた。私たちはすぐに惹かれあい付き合うようになった。それから、ひと月後の放課後であった。学校の向かいの神社の境内であった。満開の桜の下で、私は始めてのキスを体験した。文芸部の部室で部員たちと、雑談をした学校帰りのことであった。
「桜が綺麗だから…、神社、歩こうよ。」
桜子が私を誘った。一番大きな桜の下で、彼女がぴょんと私の正面に立った。
「ねえ、桜があんなに綺麗に咲いて、自分を見て欲しいって、言ってるみたい。目をつぶって…。桜の声が聞こえるかも…。」
私が目を閉じると、桜子の唇が微かに私の唇に触れた。桜の花びらがひらひらと触れた程の、柔らかな感触であった。
「私たち…、結婚するかもね…。」
夕日が彼女の顔を赤く染めていた。彼女の満面の笑顔に、私は耳まで真っ赤になり、小さく頷いたのを覚えている。
大学に行ってからは、地理的距離が桜子との仲を遠ざけていった。それでも、彼女が大学に入った時とか、保育士になって帯広の幼稚園に就職した時などは手紙が来ていた。
その後、桜子と会ったのは、父の葬儀で帯広に滞在した最後の夜であった。葬儀の後、ホテルに宿泊していた私は、彼女に電話をして、食事に誘った。その頃、三十半ばであった彼女はまだ独身であった。高校生の幼い恋の思い出を話しながら、二人の心は時を駆け戻っていった。その夜、私たちは、初めて男女の関係となった。桜の花の下のキス以来、十八年の歳月が流れていた。
「大学を卒業以来、子供ばっかり相手にしてきたから、年の割に、子供っぽいって言われるの…。大人の男の人と付き合ったこともないし…。私、今夜やっと…、女になれたわ。」
恥じらいながら、初体験を告白した桜子は少女のようであった。
翌日、私は桜子に想いを告げぬまま、東京に戻った。私は今でも、あの時の桜子の温もりを覚えている。桜子の瞳の輝き、桜色に上気した肌は、今も色あせることはない。彼女の笑顔は、私のモノクロの記憶の隙間で、鮮やかに咲き誇っている帯広であった。
桜子の文字は、私の記憶に血流を蘇らせ、想いは鼓動が脈打つ現実のものとなった。懐かしさのあまり、躊躇なく暖簾をくぐった。
カウンターの向こうに、一人の女性が立っていた。客が入店して振り向いた彼女は、間違いなく桜子であった。白いブラウスに、ピンクのエプロン姿の桜子であった。小料理屋の女将というよりは、スナックのママのようであった。二人は見つめ合い、言葉を失っていた。あまりに突然の再会であった。二人の視線は、頭から足の先まで、スローモーションのように往復し、互いを確認した。
「エエーッ、坂田君?どしたの…」
彼女は、驚きのあまり、突拍子もない声を発した。
「桜子、君こそ何をしてるのさ。」
二人は顔を見合わせた。数十秒の沈黙の後に、二人は、やっと笑顔になった。
「ママ、どうしたの。昔の彼氏に突然出会ったような顔してるけど…」客が話しかけた。
「そう、昔の彼氏が飛び込んできたの。悪いけど今夜はもう閉店。お勘定はいただかないから…。ゴメンナサイ。」
桜子は客を追い出し、暖簾を下ろした。
「どしたの?」
「うん、四月に転勤で帯広に来たのさ。」
「どして、教えてくれなかったの?」
「いや、着任早々で何かと忙しかったもんだからさ。そのうちと思ってたんだけどね。」
「何でここが分かったの?」
「偶然だよ。実は今まで沢木と飲んでて、今別れたところさ。君も知ってるだろう。」
「ああ、沢木さん。よく坂田君と一緒に部室に来てた人でしょ。」
「帯広で連絡の取れる友人はあいつだけだから…。あいつ幸せらしく、さっさとカミサンのもとへ帰って行ったよ。もう孫がいるって言ってたな。でも、君が店をやってるなんて言ってなかったぞ。」
「当たり前じゃない…。沢木さんとは、直接のお付き合いはないもの。」
「ところで、何で君がお店をやってるの?幼稚園の先生は…?」
「女が独りで生きていくのは大変なのよ。これでも苦労してるのよ。いろいろあってね。」
「そうか…。まだ独りだったんだよナ…。」
「そうよ。坂田君こそ、ご結婚なさってるんでしょ。今回は単身赴任なの?」
「いや、私も独身なんで、ずうっと一人暮らしのマンション住まいさ。」
「そう、どうして結婚しなかったの?」
「分かんないよ。仕事が忙しかったからかもしれないな。桜子、君こそ何故…?」
今でも「桜子、君への想いは、思い出ではなく、現実なんだ。」とは言えなかった。
「それも…、いろいろあってね。」
「いろいろねぇ…。私なんか仕事ばかりで、色々さえもなかったよ。その仕事も、あと三年で定年さ。帯広が最後になるなんて、不思議だねぇ。」
「定年?そうか…、そんな歳になっちゃったのね、私たちも…。」
「沢木のヤツ、孫がいるって嬉しそうだったけど、私には孫どころか、子供もいない。当たり前だよな。嫁さんもいないんだから…。」
「どうするの?」
「どうするって、何が…」
「定年になったらよ。東京に戻るの?」
「まだ決めてないよ。でも…、そろそろ考えておかないと…」
「帯広に残りなさいよ。そうしなさいよ。」
桜子はとても嬉しそうであった。
「あら、ごめんなさい。私、お飲み物も出さないで、話し込んじゃった。冷酒でいい?」
「ああ、いいよ。」
桜子は、ピンクの冷酒と突き出しを運んできて、私の隣に腰掛けた。
「このお酒、美味しいのよ。色も名前も気に入ってるの。綺麗でしょう。」
「ああ、本当に綺麗だよ。」
私は、お酒ではなく、笑顔がハジケル、君が綺麗だと言いたかった。
「これ、行者ニンニクの酢味噌和え。ちょっと臭いけど…。大丈夫?でも…、美味しいから食べてみて。」
「もう出てるんだ。懐かしいな。」
「もう少ししたら、タランボが出て、ウドが出て、ワラビが出て…。都会で暮らしていると、季節が分からないでしょう。いいわよ、帯広は…。」
「いいよなァ、帯広は…。桜子がこの街で暮らしているっていうのが、何よりも素晴らしい…。それだけで嬉しい気がする。」
「あら、何よ、それ…。口説いているの?今夜は、私も飲んじゃおうかな…。」
桜子はカウンターの中に入り、グラスを持ってきた。
「はい、注いでちょうだい。」
私は、彼女のグラスに酒を注いだ。
「二人の運命の再会に…、カンパーイッ!」
桜子は、グラスの酒を一気に飲み干した。
「ああ、オイシイッ。桜子の桜は、今夜が満開って感じ…。今夜は二人でお花見気分…。」
「オイオイッ、そんなにテンション上げちゃって、大丈夫?」
「大丈夫?大丈夫よ。今夜は坂田君とお酒を飲んで、楽しく過ごすことに決めたの。まさか、私が相手じゃ…飲めない…?」
「もう酔ってるんじゃないだろうね。」
「酔っちゃいけない?今夜は酔っ払っちゃいます。いいでしょ?二十一年ぶりだもの…。」
「二十一年ぶりだよなあ…。あの夜以来…。」
「そうよね…。あの夜以来よね…。」
二人は、ぎこちなく肌を重ねた夜に、思いを巡らした。あの夜の思い出が、湧き出るように、鮮烈な色彩と共に蘇った。
「あの時、私、とても緊張して…、不安だった。三十過ぎて…、初めてだったんだから。」
「オレだって、緊張して、足が震えてたよ。」
「ウソ、女の人の扱いが慣れてるって感じだったわ。」
「そんなことないよ。」
「いいわ。もう時効ね。許してあげる。」
「許すも何も…、オレは悪いことはしてないよ。」
「悪いことしてるわよ。だって…、私は、あの夜以来…。」
「あの夜以来?何だよ。話せよ。」
「いいの、もういいの。今夜、坂田君が来てくれた。それだけでもういいの…。」
「何があったんだよ?気になるなぁ…。」
「いいの、私が勝手に決めて、勝手に歩いた人生だから。でも私、幸せだった。とても幸せだった。あの夜、坂田君が私を抱いてくれたから…。私は素晴らしい人生を送ってこられた。そう思ってる。ありがとう、坂田君。」
桜子の頬を一滴の涙が流れ落ちた。彼女は、右手の甲で涙を拭い、笑顔をつくった。
「私ったら、何泣いてんだろう。ほら、坂田君、お酒がないぞッ。」
桜子はグラスを、私のほうに差し出した。
「あっ、ゴメン、ゴメン…。」
私は、酒を注ぎながら、彼女の人生が、平坦な道ではなかったことを、容易に推測できた。しかし、今では年に一度、年賀状を書くだけの私に、彼女を慰める言葉は捜しようがなかった。迷子の言葉が見つからないまま、私は唐突に話し出した。
「オレさ、今夜は桜子に逢えて、本当に嬉しいんだから…。高校生の時から、桜子の笑顔が大好きだったんだから…。本当に…。」
「だったら、何で、高校卒業から十八年間、あの夜から二十一年間、三十九年間も私を放ったらかしにしたのよ。」
「放って置いた訳ではないよ。桜子が嫌いだった訳でもないよ。毎年、君に年賀状を書くたびに辛かったよ。二人を繋いでいるのが、この、近況報告さえない、年賀状だけだってことが、とても切なかったよ。どんな女性を見ても、高校生の時の君の笑顔に優る人はいなかったよ。あの夜の君の女らしさに優る人はいなかったよ。でも…、いつも…、今更、今更って…。遠く離れた私に、打ち明ける勇気がなかった。悔やんでいるよ。私は、君に想いを打ち明けなかった、私の人生を悔いているよ。もう遅すぎるよな…。」
「…坂田君、遅いってことはないわよ。」
桜子が小さな声で言った。
「私だって、待ってたんだから…。あなたに、想いを打ち明けられずに、ずうっと、待ってたんだから…。あなたが、いつか私に想いを告げてくれるって…、待ってたんだから…。」
私たちは、見つめあいながら、涙が次から次に溢れてきた。涙を流しながら、微笑みあっていた。言葉は要らなかった。三十九年もの間、密かに想い続けてきた真心が、今夜花開いた。今、互いの想いを確認している悦びが、胸をときめかした。今まで想いを打ち明けられなかった悔しさが、胸を締め付けた。青春であった。まさに、青春であった。二人は五十歳半ばを過ぎて青春を取り戻した。
「私たち…、結婚するかもね…。」神社の境内でそう言った桜子がそこにいた。
「母さん、迎えに来たよ。」
二十歳前後の青年が、店に入ってきた。
「えっ…!母さん?」
私は、桜子が母親であったことに驚いた。
「そう、私の息子。私の宝物…。」
「私の息子って…。まさか…?」
「そうよ。坂田君、そうよっ…。」
私は言葉を失った。桜子は、たった一夜の愛を、黙々と育てていた。熱い涙が溢れた。
「母さん、この人…、僕の父さんなの?母さんがいつも話している、僕の父さんなの?」
桜子は無言で、頷くばかりであった。
「父さん…」
その青年が呟いたとき、三人の二十一年間の空白は、涙と笑顔で塗りつぶされた。
喜びが芽を吹いた。笑顔は満開となった。桜子が私を見ている。息子が私を見ている。そして、私は二人を見ている。
お正月に兄弟が集まったときに「梅に鶯、松に鶴」の話になりました。
ウグイス
メジロ
「梅に鶯」については、アレはメジロだということで、意見が一致しました。ウグイスはいわゆる鶯色はしていません。もっと薄黒い色です。世間で鶯色といわれているのは、残念ながら目白色です。それにウグイスは警戒心が強く藪から出ません。花の蜜も吸いません。
しかし、「松に鶴」については、意見が分かれました。
一つは、一般的に言われている、コウノトリです。鶴は足の後ろ指が長くて木に止まれません。地上生活用に変化しているのです。そこで、木に止まることが出来て、大型の鶴に似た鳥と云うことでコウノトリ説が定着したのです。
縁結びの鳥として結婚式場に「松に鶴」の屏風が置いてありますが、本当にそれでいいのでしょうか。すると、コウノトリは赤ん坊を運んでくる鳥だとなりました。それは西洋のお話しで後から伝わったもので釈然としません。
私は、「天の川伝説」を支持します。
織女が天の川を渡り、地上で水浴びをしているところを、牽牛が見てしまいます。あまりの美しさに牽牛は織女の衣服を隠し、天界に戻れないようにします。結婚してくれたら返すということで、二人は結婚し、子供を授かります。―途中カット―
天帝は怒り、織女を無理やり天界へ引き戻します。―途中カット―
しかし、あまりに不憫に思った天帝は、カチガラスに命じ、年に一度、七月七日七夕(たなばた)の日に二人を会わすようにします。七夕(たなばた)は本来(しちせき)と云うのですがここではカットします。
コウノトリ
カチガラス
カチガラスは仲間を集め、互いの翼を重ねあい、天の川に橋を架けます。織女はその橋を渡り牽牛と子供に会うことが出来たということです。年に一度だけ・・・。
でも、カチガラスと鶴とでは、あまりに違いすぎます。カチガラスはその後、カササギとなをかえるのです。サギときいて鷺を思い浮かべる人は多いと思います。鷺はコロニーを作り子孫繁栄にも繋がります。
シロサギ
どうです、カササギを鷺と間違え、更に鶴になったという話し。ロマンチックで夢があるじゃありませんか。