都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
せん‐どう【船頭】
1 和船の船長。ふなおさ。2 櫓(ろ)などを操って小舟を操る人。かこ。「渡し舟の―」3 水軍の長。水手(すいしゅ)の長。
大辞泉
「船頭多くして船山へ登る (せんどうおおくしてふねやまへのぼる)」とは、「「船頭がたくさんいると水上しか航行できない船が山にも登ることができる」という前向きな意味ではありません。それでは、船本来の目的を逸脱していますから・・・。
意味は、一艘の船に何人も船頭がいたら、船は山に登ってしまうようなおかしな方向に進んでしまうことから、ひとつの組織に指図する者が多いと統一がとれず、物事がうまく運ばなかったり、見当違いのほうに進んだりしてしまう喩えです。
船頭とは、『大辞泉』にあるように和船の船長のことです。
「山に登る」は「山へ上る」とも書きます。
「船頭多ければ船山に登る/船頭多くして船岩に乗る/船頭多くして船進まず」ともいいます。
外国では、「Too many cooks spoil the broth.(コックが多すぎてスープが出来損なう)」というそうです。
また、「下手の大連れ」とは、役立たず者が大勢でぞろぞろと連れ立って歩いている のを馬鹿にする言葉。「役立たず」がいくら集まっても仕事の邪魔になるだけという意味です。
一人は、「自分の生活が第一」とばかり飛び出していったのですが、所詮は寄り集まり、烏合の衆ですからカアカア騒ぐばかりでまとまりがありません。
「役人多くして事絶えず」は、役人が多いと仕事がはかどるはずなのに、多すぎると無理に仕事を作り、かえって法規や事務が煩雑になって進行しないこと。また、役につきたいと思う人ばかりで、まとまりがつかないこと。
役人(役所)の整理をすればもっと仕事がはかどるかもしれません。
「三人よれば文殊の智恵」といいますが、三人代わっただけですから・・・。
したっけ。
野田佳彦首相は29日午後の衆院本会議で、就任3度目の所信表明演説を行った。前の通常国会で成立させた消費増税法に続き、日本経済の再生を次の「最大の課題」と位置づけ、政権維持に意欲を表明。前国会で廃案になった特例公債法案を「政治的な駆け引きの材料にする悪弊を断ち切ろう」と訴え、早期成立に協力するよう野党に呼びかける。また衆参両院の「1票の格差」是正などの選挙制度改革について、「必ずこの国会中に結論を出す」と明言する。(毎日新聞)
「近いうちに・・・」、「しかるべきときに・・・」、「不退転の覚悟で・・・」、「誠意を持って・・・」
なんだかよく分からない日本語を並べて、ぬらりくらりと時間だけが過ぎていきます。野党のみなさんも、つかみどころのなさに手を焼いているようです。
その意味では、まさに「ドジョウ」の名にふさわしい首相になったといえましょう。
「消費増税法」は、私の記憶では選挙公約にはなかったどころか、上げないと言ったはずなのに、「消費税と社会保障制度改革」と名を変えて得意げなご様子。
あの「埋蔵金」探しは何処へ行ったのでしょう。
29日の所信表明演説では「日本経済の再生」を次の最大の課題と位置づけ・・・」と、まだまだ残された課題は山ほどある。
経済再生は数ヶ月でなしえることではないことは誰でもわかります。
「決断する政治」、「明日への責任」、「道半ばの仕事を投げ出すわけにはいかない」と、まだまだ頑張るような口ぶりです。
「近いうちに・・・」、「しかるべきときに・・・」は、真夏の舗装道路の「逃げ水」のように遠ざかります。
もうじき冬が来ます。国民の心が冷え切っているのも気がつかないのでしょうか。
日本丸はいつまで漂流し続けるのでしょう。腕のいい船頭さん募集しています。
80歳を過ぎた船頭が名乗りを上げたようですが、一般市民は65歳になれば「高齢者」と呼ばれます。あなたの時代はもう終わりました。「回顧録」でも書いたほうがいいです。
「決断の時」は今です。「明日への責任」はどなたかに託しましょう。「道半ばの仕事」スタート時点から道に迷っています。もう出口は見つかりません。
救助隊を呼んだほうがいいと思います。
したっけ。
もう、この人のイラストは描き飽きました・・・。
読書の秋です。昔は短冊のような紙の上にリボンを結んだ「栞(しおり)」がありました。今は見かけなくなりました。
「栞」は 「枝折(しおり)」の意味で、山道で 枝を折って道標にしたというのが語源だそうです。
また、「枝折る」は「草木をたわめる、しならせる」という意味の「撓(たわ)める・萎(しお)れる」と語源は同じなため、「枝折る」、「枝折り」、「栞」は当て字だそうです。
「委」=「禾」+「女」
「禾」は穂のしなやかに垂れたさま。女性が力なく垂れる→ゆだねる、まかせる。
「萎」=「艸」+「委」
草木がしおれて垂れる→なえる
「撓」=「手」+「堯」(※これは私見です)
「堯」は高いという意味なので、手で持ち上げた形ではないかと思います。
「垰(たわ)」という字は低い丘の意味ですから語源は同じではないかと・・・。
「栞」=「幵」+「木」
「幵」は高さをそろえる(切る)意味なので、切った木→(山道での)道標の木→目印→しおり
読書の際の「栞」が一般的になったのは江戸時代ごろだといわれています。それまでは 「夾算(きょうさん)」と呼ばれる、竹や木を薄く削ったものを使っていたのだそうです。
きょう‐さん〔ケフ‐〕【×夾算/×夾×笇】
昔、書物・巻物などに挟んで、読みさしの所や検出箇所のしるしとしたもの。竹または木を長さ9センチ、幅1.5センチほどに薄く削り、挟むための裂け目を入れる。
大辞泉
転じて、本を何処 まで読んだかという目印や初心者のための手引書などを「しおり」というようになったのです。
本を読むことは言葉の森を歩くようなものです。そう思うと、「栞」という言葉を、本を読む時の目印に置き換えたのも納得できます。
したっけ。
お芋と言えば、何を思い浮かべますか。
北海道では、「ジャガイモ」です。
地方によっては、「サツマイモ」「サトイモ」「ヤマイモ」を思い浮かべた方もいるでしょう。
しかしこれらは植物としては仲間ではありません。
ジャガイモはナス科、サツマイモはヒルガオ科、サトイモはサトイモ科、ヤマイモはヤマノイモ科なのです。
漢字にしても、「芋」、「薯」、「藷」等と様々な漢字が連想されます。
いも【芋/薯/藷】
1 植物の根や地下茎が肥大して、でんぷんなどの養分を蓄えているものの総称。ヤマノイモ・サトイモ・サツマイモ・ジャガイモなど。《季秋》「―の露連山影を正しうす/蛇笏」2 (多く接頭語的に用いて)都会風でない、やぼなものをあざけっていう語。「―侍」「―歌手」
大辞泉
里芋の渡来は古く、奈良時代には栽培されていたといわれています。元々「イモ(奈良時代は「ウモ」)」と呼ばれるものは、山で採れる「山芋」のことを指し、 それと区別するために、「里で栽培される芋」の意味で「里芋」と呼ぶようになったそうです。
「イモ」の語源の「ウモ」は、土に埋もれていることに由来します。
1 根が肥大したもの:サツマイモ等
2 地下茎が太ったもの:ジャガイモ、サトイモ等
3 根と茎の境目の部分が肥大したもの:ナガイモ等
「ジャガイモ」は、1600年ごろにオランダ船によりジャカルタ(ジャガタラ)港より運ばれた。当時は、観賞用として栽培されたそうです。「ジャガタライモ」だったのです。
「サツマイモ」は、1597に宮古島、1607年に琉球に、1614年頃に薩摩に伝わりました。
「イモを洗う」といえば人出で混雑していることの喩えですが、このイモは「サトイモ」です。里芋をたくさん桶に入れて 棒で掻き混ぜて洗う様子からできた言葉です。
サトイモの皮を剥くと、サトイモに含まれているシュウ酸が反応し、手が痒くなります。そこで、木製の桶や樽の中に水を張り、サトイモをたくさん入れて、先端が曲がった木の根や木の枝を差し込んで左右にかき回わし、サトイモが互いに擦れ合って、互いの皮がむけてくるのです。
「イモ」は本来「ヤマイモ」のことでした。奈良時代に「サトイモ」がはいってき「ヤマイモ」と区別するために「山芋」と区別するために「里芋」と呼ばれるようになりました。「ジャガイモ」や「サツマイモ」はまだまだ品種改良が行なわれている新参者です。
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YouTube: CM さつま白波
したっけ。
秋の色といえば金色に色づく稲穂、山を彩る黄や紅の紅葉などを思い浮かべます。
「百人一首」の中にこんな歌があります。
「ちはやぶる神代もきかず竜田川 からくれなゐに水くくるとは」(在原業平朝臣)
(さまざまな不思議なことが起こっていたという神代の昔でさえも、こんなことは聞いたことがない。龍田川が(一面に紅葉が浮いて)真っ赤な紅色に、水をしぼり染めにしているとは。)
紅色の紅葉は秋の象徴なのでしょうか。
北海道では、冬といえば白い雪のイメージです。白一色に染まる前に赤く燃える紅葉は目に焼きつきます。
昨日、自宅から徒歩3分の空き地の紅葉を撮ってきました。朝、6時過ぎの澄んだ空気の中の赤は鮮烈でした。
したっけ。
昨日「プロ野球ドラフト会議」が行われました。多くの野球選手が人生の一歩を歩きはじめようとしています。
北海道日本ハムファイターズは大谷翔平君(花巻東高)を指名しました。ドラフトがもっとも優秀だと思う選手を指名するという意義を貫いた我ファイターズに拍手を送ります。
新しい服を初めて着たり、野球などで新加入の選手がユニフォームを着たりするときに、「袖を通す」と使います。
この言葉、変だと思いませんか。「袖」を「何」に通すのでしょう?
「腕」を「袖」に通すことを、何故「袖を通す」というのでしょう。
それには、日本人特有の考え方があるようです。
着物の袖には「袂(たもと)」があります。この「袂」には魂が宿っていると信じられていたのだそうです。
他にも、「袖振り合う(擦り合う)も他生(多生)の縁」という言葉があります。これは袖が触れ合うのは魂が触れ合うのと同じという意味合いなのだそうです。
ですから、「袖を通す」は、初めて着る着物に魂をこめるという意味があるそうです。
似たような表現に、「湯を沸かす」があります。「水」を沸かして「湯」にすることだと誰も疑いません。
「お茶を入れる」といって、「急須」に「茶葉」を入れて、「湯」を入れて「湯のみ」に注ぐという一連の動作をしない人はいないと思います。
「火を燃やす」といって、燃えているから「火」だという人はいないと思います。何を燃やすかは別問題で、状況で理解できます。
日本語は難しい・・・。
そんなことより、大谷君、ファイターズのユニフォームに袖を通してください。
したっけ。
餌台は、昔はバードテーブル【bird table】といわれていましたが、今はバードフィーダー【bird feeder】というようです。
35年以上、補修を繰り返してきた餌台がとうとう寿命を迎えました。30種類以上の野鳥を迎えてきた餌台も年月の前に朽ちてきました。
そこで、餌台新築を決意しました。
まず、中心が空洞になった丸太を40㎝ほどの長さに切り、さらに半分に切り分け、木の枝で上下をつなぎました。
これが、堅い木で輪切りにするのに大苦戦(大工戦?!)でした。
下半分には平らな板を張り、両端は餌がこぼれないように仕切りを取り付けました。
かなり、オシャレな餌台になったと自画自賛しています。
餌はカラ類のための「向日葵の種」と市販の「野鳥用の餌」を毎日与えています。
左のペットボトルは甘いものを好む鳥用の「砂糖水」の自動給水器です。
リンゴやみかんも好んで食べますが、毎日では費用がかさむので「砂糖水」で代用しています。
右側の小さいテーブルにはガラス容器に「ラード」を入れてあります。虫を食べる鳥が冬に好んで食べます。
「野鳥団子(バードケーキ)」を作ったりします。
作り方は、小麦粉大さじ4、砂糖大さじ2、ラード大さじ2(2:1:1)の割合で好きな量を調整します。この割合も大まかなもので、正確でなくて大丈夫です。ラードでなくマーガリンやサラダ油を使ったりすることもできますし、ご飯粒やパンくず、ピーナッツや鳥用の粒餌などを加えることもできます。
これから、どんな野鳥が来てくれるのか楽しみです。
なお、新築餌台の材料費は0円、所要時間は3時間あまりでした。
したっけ。
「近いうちに・・・」とは、年内なのかどうかが問題になっていますが、世間的には「近いうち」はどの程度先のことなのでしょうか。
「近いうち食事でも・・・」について、ビジネスパーソンを対象にした調査をシチズン時計が行った結果がありました。
「近いうち食事」はどの程度先?
順位 |
期間 |
比率 |
1位 |
1か月後 |
43.8% |
2位 |
1週間後 |
25.8% |
3位 |
実際にはしない |
18.0% |
4位 |
2~3か月後 |
12.0% |
5位 |
半年後 |
0.5% |
6位 |
1年後 |
0.0% |
これによると、最も多い回答だったのは「1か月後」です。
仕事のスケジュールが空いている日を探すためにそれくらいの猶予が必要だということでしょうか。
2位の「1週間後」は、ちょっと厳しい感じがします。「1週間後」は近すぎのような気がします。一週間くらいなら日にちで指定できます。
3位に「実際にはしない」が入っているのはうなずけます。男性の40代以上に限れば、2割以上が「近いうちの食事はアテにならない」と考えているそうです。私の経験上でも、外交辞令的に使われているだけの場合が多かったような気がします。
「近いうち」と「お化け」にはあった事がありません。
似たような表現には、「そのうち」「遠くない将来」「いずれ」「いつか」「もうすぐ」
「それほど遠くない将来」など、様々あります。
いずれも、当てにはなりません。
「最近の若者の言葉はなっていない」とお嘆きの諸氏もいらっしゃいますが、「政治家さん」のお使いになる日本語ほど難解なものはありません。
あなたの、「近いうちに・・・」はどれくらいですか。
したっけ。
お団子といえば「小豆餡」、「鶯餡」、「焼き海苔」、「胡麻」などありますが、醤油餡を絡めた「みたらし団子」が一番という人も多いのではないでしょうか。
醤油のたれで付け焼にしたものをなぜ「みたらし団子」というのでしょう。
漢字で書くと、「御手洗団子」となります。「御手洗(おてあらい」」のことではありません。
「御手洗(みたらし)」とは、」神社詣でのさいの浄めの泉水のことなのです。
『伊勢物語』に、「恋せじとみたらし川にせしみそぎ神はうけずも成りにけるかな(もう恋はしないと、御手洗川でしたみそぎを 神は受けては下さらなかったよ、こんなに恋しいから)」とあるそうです。
京都の下鴨神社には本殿東側に御手洗川そして御手洗社があります。
かつては社殿の下に年中つきることのない井泉があり、御手洗川を流れて糺(ただす)の池へ注いでいたそうですが、加茂川改修後の水位低下で水が枯れ、今は祭の日にポソプで水を入れているそうです。
この下鴨神社では土用の丑の日に、参詣人がこの川に膝までひたり、無病息災を祈る「御手洗詣で」という行事があったそうです。今でも土用の丑の日(前後4日間)「御手洗祭り」として行われているようです。
この御手洗詣での日に、境内で串団子を売る店が登場し、いつしか名物となり御手洗詣でにあやかってこの団子を御手洗団子と呼ぶようになったそうです。
その昔、後醍醐天皇が下鴨の御手洗川で水をすくったところ、泡がひとつ浮き、やや間をおいて四つの泡が浮き上った。その泡にちなんで指頭大の団子を竹串の先にひとつ、やや間をおいて四つつづけて団子をさしたのが御手洗団子の起源とも言われています。ですから、団子が五つだったのです。
昔はこれを十串一束とし、熊笹で扇形に包んだそうです。
奈良本辰也著『京都故事物語』(河出書房新社、昭和42年/1967年)には、一番先の団子は大きくして頭を、あとの四つは四肢を表わし、厄除けの人形で、これを神前にそなえ、祈祷をうけたのち、持ち帰って醤油をつけて食べたと書かれているそうです。
篠田 統著『米の文化史』(社会思想社、昭和45年/1970年)によると、関東は一串に団子四つが多いそうです。
五つで五文だったのが、四文銭ができてから、四つ四文にかわって、関東型ができたそうです。
「みたらし団子」は、京都下鴨神社糺森で売られるものに限定するという説もあるそうです。
どうです、かくも由緒正しき「みたらし団子」。他の団子よりありがたい気がしてきませんか?
したっけ。
「海苔(のり)」の語源は、ヌルヌルするという意味の「ヌラ(滑)」が転訛して「海苔」になったと考えられています。
つまり「ぬら」→「ぬらり」→「のり」というわけです。
事実、海苔ももともとはヌルヌルしています。
「糊(のり)」も、ヌルヌルしていますが、語源は違います。「膠(にかわ)」、「沈糊(じんのり/小麦粉を袋に入れて、もみ出した澱粉を煮たもの)」、「続飯(そくい)/米飯を練ったもの」、これらの粘性のあるものを「ねまり」と呼び、これが「糊」の語源であるといわれています。
つまり「ねまり」→「ねり」→「のり」というわけです。
飛鳥時代に書かれた『風土記(670年頃)』には「常陸(ひたち)の国、ノリ浜で紫菜(むらさきのり)を干していた」という記述が見られるそうです。
奈良時代の大宝律令(701年)には、アマノリ(のりの仲間の総称)・ミル・アラメ・テングサなど海藻が海産物29種の1つに指定され租税として徴収された記録があります。
平安時代の『延喜式(927年)』にも、租税の対象としてアマノリを含む10数種類の海藻が定められていました。平安時代の貴族は米を主食として副食に海藻をかなり食べていたようです。しかし、庶民の食べ物ではなく、五位以上の貴族に限ってのみ支給される大変な貴重品でした。
平安時代は「紫菜(むらさきのり)」「甘のり」と呼ばれていました。
江戸時代になってから「のり」と呼ばれるようになり「海苔」の漢字が使われたそうです。
ちなみに、海苔は韓国で「海衣(ハイホ)」、中国では「紫菜(シーツアイ)」と呼ばれているそうです。
本題の海苔の表裏ですが、まず海苔の製造法を知っておかないといけません。
アサクサノリあるいはアオノリ、アマノリを岩から採取、よく洗いそれを包丁で細かく刻みます。あとは、海苔簀(のりす)に流し込んで日光で乾燥させるそうです。
ここまでは、問題ないのですがここから意見が分かれます。
この製造法だと、どうしても海苔に「光沢」のある面と、ない面が生じます。この時、日光に直接当たった面はその「光沢」がありません。(理由は後述)
当然日光に直接当たった方が表とされるべきで、光沢のない面が「表」という説です。
いやいや、光沢のあるほうが当然表だとする説もあります。
山本山のQ&Aには下記のように載っていました。
弊社で現在確認できている「海苔の裏表」については、ツルツルした艶のある方が表面で、比較的ザラザラした面が裏でございます。
昔は手作業で海苔を製造する際に海苔を天日干しにするのですが、その時の干し方により海苔の表が決められたとのことです。その当時は、海苔簀(のりす…竹を編んだすだれ状のもの)の上にミンチ(海苔の原藻を細かくし真水で洗う)した海苔を水と共にすきました。
その後、海苔簀側の面から海苔簀ごしに、先に太陽にかざし乾燥させたことから、最初に日に当たる海苔の面を表面としたと聞いております。この時、最初に日に当たる面は海苔簀に海苔が張り付いているため、はがすとざらざらとしておりました。
しかし、最近では海苔すき・乾燥とも自動機械化されております関係上、また、海苔の見た目も考慮され、先にも申しあげましたとおり、ツルツルした面を表としておりますのが通説でございます。
山本山さんの言うように、昔はざらざらした面が表だったのですが、今はツルツルした面が表のようです。
したっけ。