都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
師匠は「鬼」を描いてきました。
師匠は大寒の気温が思わぬ上昇で驚いたそうです。
ちなみに、1月20日の最高気温は+7.9℃でした。
これは、この時期としては異常な暖かさです。
帯広 における 1 年の最も寒い月は 1月で、平均最低気温は -13.0℃、最高気温は -2℃ ですからね。
師匠は今年図書館通いをしようと思っていたそうですが、まだ3回だそうです。
体調が優れなかったせいもあり歩数も1日7千歩に落ちたと言っています。
師匠! 私は足の調子が悪いので1千~2千歩くらいですよ。
胃カメラと大腸カメラの検査を受けました。
理由は「都月さんも歳だから、1度受けた方がいいですよ」です。
何でも歳のせいにされるのは嫌ですね。
胃カメラは異常なしでしたが、大腸にはポリープが2個あって、検査結果は2月7日に分かります。
Q. 鬼の語源、漢字や読み方の意味・由来は? 「おに」という言葉は、姿が見えないこの世のものではないものを意味する「隠(おぬ)」が転じた、「陰(おん)」が転じた、などの説があります。 「鬼」(おに/キ)という漢字は死体の象形文字で、人は死んだら鬼になると考えられ、大きな頭の形がこの世の人とは異なることを示しています。中国では、鬼とは死者の霊魂そのものであり、姿形のないものとされました。それが日本に伝わると、死に対する恐怖から鬼は恐ろしくて怖いものと捉えられていったようです。
Q. 仏教における鬼とは? 仏教における考え方も、鬼の捉え方に影響しています。仏教では業に従って輪廻転生する世界を「地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人間道・天道」という六つで説いています。この中の「餓鬼道」は、絶えず飢えに苦しみ、食べ物を口に近づけるとすべて炎となって口に入れられず、決して満たされることがありません。 また、地獄には閻魔王のもとで死者を責めたてる獄卒(ごくそつ)という鬼がいる、戦闘を好む阿修羅は鬼神とされるなど、仏教には鬼に関わることが多くあります。
Q. 鬼はどこにいる? いつ活動するの? 鬼の姿や衣装は? 鬼は鬼門(丑寅)から出入りすると考えられたことから、鬼のいる方角・時間・姿には丑寅が関係しています 鬼は鬼門から出入りするとされています。その鬼門は丑寅(うしとら。艮)の方角にあるので、丑寅の方角=北東にいると考えられています。 鬼が活発に活動するのは、丑寅の時刻です。丑寅の時刻は、今でいうと深夜2時から4時頃。つまり、鬼は真夜中に活動するとされています。 このように鬼は丑寅に関係するので、ウシの角、トラの牙や爪をもち、トラ皮の衣装をつけた姿で表現されるようになりました。
Q. 鬼の苦手なものは? 邪気=鬼は強いにおいと尖ったものに弱いので、節分に柊鰯を飾ります 鬼は邪気の象徴とされ、古来、邪気は強いにおいと尖ったものに弱いとされています。節分の際、焼いて臭気を強めた鰯の頭を葉先が尖った柊に刺した「柊鰯」「焼い嗅がし」を玄関先に飾るのは、鬼の苦手な鰯の臭いと柊の棘で鬼が家に入らないようにするためです。
Q. 節分に「鬼は外!福は内!」と豆まきをするのはなぜ? 豆は「魔滅(まめ)」、大豆を炒ることで「魔目(まめ)を射る」に通じます 古来、人間の力ではどうにもならない天災、飢饉、疫病などは鬼の仕業と考えられてきました。年の節目にあたる立春前日の節分は、鬼=邪気が入りやすいとされたため、新しい年に向けて家中の鬼を払い、福を呼び込むために豆まきをするようになりました。 鬼はどこにでもひそんでいて、隙があると暴れだします。人の心の中にも鬼がひそんでいるので、豆まき後に豆を食べ、心の邪気(邪心)も払います。 |
師匠! 今回は「節分」ですね。
私は「花魁」を描きます。
↑師匠が私にくれた絵手紙
私が師匠に送った絵手紙
暫く描かなかったら、花魁の描き方を忘れました。
したっけ。
今回は、「㉘馬郎婦観音(めろうふかんのん)」を描きました。
馬郎婦観音は、 所願成就・学業成就に御利益があると言われています。
仏様は通常性別がありませんが、女性とハッキリしている仏様です。
右手に法華経、左手に髑髏(どくろ)を持つ美しい天女の姿を表現されている。仏教を信じない人たちに教えを導きます。
馬郎婦とは中国北方の騎馬民族の夫人に対する呼称だそうです。
㉘馬郎婦観音(めろうふかんのん/ばろうふかんのん) 中国創出の観音菩薩で、魚籃観音は同源異体。右手に法華経、左手に髑髏を持つ女性形で表現されます。馬郎婦とは中国北方の騎馬民族の夫人に対する呼称です。 『佛祖統紀』に「仏法を知らず騎射で殺生を行う騎馬民族の前に婦人姿で現れ、仏法に帰依させたことで馬郎婦観音と呼ばれるようになったと」あります。 その後日談として、この観音が金沙灘で漁民が生活のために大量の魚を殺生していることを知り、殺生を止めさせるため籠に魚を携えた絶世の美女として金沙灘に現れたのが魚籃観音であるとされています。ただし、実際に観音菩薩として成立したのは魚籃観音が先です。 |
したっけ。
師匠は「くわい」を描いてきました。
お正月用に買ったくわいだそうです。
師匠は町内会の役員会があったそうです。
師匠の家から徒歩3分くらいのところにある中華屋さんで、中華チラシと餃子を食べたそうです。
師匠! 私の町内は役員は輪番制なのですが、なりたくないので脱会する人が増えています。なので、役員選出についてのアンケートが廻ってきました。
私の脚は杖なしでも歩けるようになりましたが、まだ力が入らないのでお守り代わりに杖は持っています。
くわいはめでたさや出世祈願を象徴しています。くわいの実には大きな芽が出るため、「芽出たい(めでたい)」の言葉を連想させる縁起が良い野菜です。そのほかには、空に向かって真っすぐに芽が伸びる様子が出世する人の姿に見えることから、立身出世の願いも込められています。
また、かつて昔の人は「か」を「くわ」と表記していたため、くわいを食べると「快(かい)」となり一年間を快く過ごせるようになるとも言われています。 |
ゆりねは鱗茎が花びらのように重なり合っていることから「歳を重ねる」あるいは「和合(仲が良いこと)」に通じるとされ、吉祥の象徴とされています。また、重なり合った麟弁を子宝に見立て「子孫繁栄」の縁起を担ぐとも言われています。ゆりねは薬効に優れていると言われ、現在でも「無病息災」を祈って食されます。 |
師匠! 今回は「お正月の食材」ですね。
私は「ゆり根」を描きます。
↑師匠が私にくれた絵手紙
私が師匠に送った絵手紙↓
したっけ。
今回は、「㉗普悲観音(ふひかんのん)」を描きました。
両手を衣で覆い前に垂れ、山上に立っている観音さまです。
.普悲とは普く(あまねく)悲(大いなるいつくしみの心)を与えるという意味で観音讃美の形とされます。
.高峰より下界を見おろし、その威徳と平等普遍の慈悲を普く及ぼし衆生(しゅじょう=生きているものすべて)を済度(さいど=迷い苦しんでいる人々を救って、悟りの境地に導くこと)されます。
ぼけ封じのご利益があり、ボケ封じ観音とも呼ばれます。
㉗普悲観音(ふひかんのん) 中国創出の観音菩薩です。観世音菩薩の慈悲心が普遍であることを象徴し、両手で法衣の前垂れを持ち、山の上に立つ立像で表現されます。
『法華経』普門品「では応以大自在天身。得度者。即現大自在天身。而為説法(まさに大自在天身を以って得度する者は、すなわち大自在天の身となって現れ説法を為すべし)。」に対応しているとされています。大自在天とはヒンドゥー教の三大神の一柱、シヴァ神が仏教に取り込まれた際の呼び名です。
出典は民間伝承から。「宋代に仏教に熱心な男が銀行業で財を成した。老齢となり息子に家業を継がせたが、手代(従業員)との仲が険悪で徐々に家業が衰退していった。男を哀れんだ観音が手代に化身して入行し、双方一致団結できるよう仲を改善し、商売が再び繁盛した」とあります。
そのため中国では事態打開のご利益があるとされています。 |
したっけ。
師匠は「獅子舞い」を描いてきました。
師匠は私のすべり症からの激痛を心配してくれました。
師匠! すべり症の激痛は腰だけでした。
MRIの検査をしたところ、脚の激痛からのしびれは椎間板ヘルニアだと判明しました。
今のところ痛みはなく、しびれも軽減され、現在は左足に力が入らない状況です。
杖を突いて歩いています。
力が入らないのもしびれの一つだそうです。痛みがないので手術はせずに、しびれ止めで様子を見ることになりました。
師匠のお腹の調子は、整腸剤を飲みながら食べ過ぎないようにしているそうです。
獅子が頭を噛むのはなぜ? お正月やお祭りに色々な所で目にする獅子舞だが、その意味や由来については知らない人が多いのではないだろうか。 獅子舞は、周りにいる人達の頭を噛んでいく。怖くて泣き出してしまう子供達が続出するが、なぜ頭を噛むのだろうか? 獅子舞は、インドから中国へ、中国から日本へ伝わったといわれている。悪魔祓い、飢饉や疫病を追い払う意味が込められている。 獅子舞の獅子とはライオンのことで、インドの遊牧民族が力の強いライオンを霊獣・神として崇めるようになった。そして、ライオンを模した舞を踊るようになり、それが獅子舞の原型になったといわれている。 日本では、16世紀の初め、室町時代(1338年~1573年頃)に伊勢の国(現在の三重県)で、飢饉や疫病を追い払うため、お正月に獅子舞を舞ったのが始まりといわれている。 なぜ、頭を噛むのか?それは、獅子舞が人の頭を噛むことによって、その人についた邪気を食べてくれる、ご利益があると考えられているからだ。語呂合わせで「獅子が嚙みつくと神が付く」という縁起かつぎの意味もあるそうだ。 そんな歴史深い上矢作町の横道獅子舞は、地域の大切な伝統芸能である。 |
師匠! 今回は「お正月の縁起物」ですね。
私は「達磨落とし」を描きます。
積み木を落とし切れば一年の厄災除けになる、縁起の良い伝統玩具です。
今年は年始から腰痛、お葬式とずっこけてしまいましたが、これから先は転ばぬようにいきたいと思います。
↑師匠が私にくれた絵手紙
私が師匠に送った絵手紙↓
したっけ。
今回は、「㉖六時観音(ろくじかんのん)」を描きました。
一日中常に守護、護念する観音様のことです。
六時は、一日を六つ(農朝・日中・日没・初夜・中夜・後夜)に分けることをいいます。
三十三観音の一人。「六時」とは1日中を表し、その大いなる慈悲をもって常に衆生を守護し、加持護念のご利益を与えるとされる。
仏教における三十三観音の一尊。人々に資産を授ける。
㉖六時観音(ろくじかんのん) 中国創出の観音菩薩です。六時とは仏教で一日の内で読経をすべき時刻、晨朝(じんじょう)・日中・日没(にちもつ)・初夜・中夜・後夜(ごや)のことで、現在の二十四時間と意味は同じ。
観音菩薩の慈悲心が二十四時間常に衆生に注がれていることを象徴する観音とされ、在家の信者である居士の法衣をまとい、右手に『六時章句陀羅尼』が入った梵筐、左手に摩尼宝珠を持ち、立像で表現されます。
『法華経』普門品の「応以居士身。得度者。即現居士身。而為説法(応に居士の身を以って得度する者は、即ち居士の身として現れ説法を為すべし)」に対応しているとされます。 |
した っけ。
師匠は「達磨」を描いてきました。
師匠の腸の調子も改善されたそうです。
師匠は学生時代高崎にいたので少林山に二度達磨を買いに行ったそうです。
少林山の達磨は古代系だそうです。
1697年 [元禄10年] 東皐心越禅師を開山と仰ぎ、その弟子・天湫法礼が開創。少林山達磨精舎(達磨禅利)といわれた。
高崎だるまの歴史 HISTORY そうだったんだ高崎だるま 鮮やかな赤色が印象的な、高崎市民になじみ深いだるま。
本市では豊岡地域を中心に「高崎だるま」の伝統が受け継がれています。日本の吉祥である鶴と亀が顔に描かれていることから「縁起だるま」「福だるま」とも呼ばれている高崎だるま。 群馬県ふるさと伝統工芸品平成5年には、群馬県ふるさと伝統工芸品に指定されています。また平成18年には、特許庁が創設した地域団体商標制度で県内初となる商標登録を受けています。 高崎のだるまは、旧豊岡村が1955年に高崎市と合併するまでのおよそ140年の間、豊岡だるまと呼ばれていました。現在は「高崎だるま」として商標登録を行い、全国にその名が知られています。 高崎だるまの歴史 高崎のだるま作りは、今から二百十数年前、豊岡村の山縣友五郎が始めたとされています。 稲の収穫や麦蒔きが終わった、秋から翌年の春にかけて作られていましたが、友五郎が始めたころは、色塗りに使う材料が簡単に手に入らないなどの理由で、生産量は少なかったようです。1859年の横浜港の開港で、だるまの生産が盛んになっていきます。海外からスカーレットという赤の顔料が輸入されるようになったからです。 徐々にだるまの作り手が増えていき、1909年ころには18軒になりました。現在では72人の職人が伝統を継承しています。 更に詳しくは下記のリンクをクリックしてください。 |
初夢で「宝船」を見てみたい~!! あるものを枕の下に入れて寝ると見られるようです。 金銀・財宝と七福神を乗せた宝船。初夢で見ると超ラッキー!!
「七人の神様」が財宝とともにやってきた!! 昔は初夢というと、大晦日の夜に見る夢を指すこともあったようですが、やがて、大晦日の晩は、年神様を迎えるために徹夜で夜を明かす風習が定着してくると、初夢を見る日の定義は、「元日の夜」であったり、「2日の夜」であったり、はたまた「年が明けて最初に見た夢」であったりと、さまざまに解釈されるようになりました。 初夢はその内容によって、新しい1年が吉となるか凶となるかを占うことができる、という風習があります。つまり、1年のはじめに見る夢はとても重要なのです。もし、初夢で「宝船」を見ることができたら…。 宝船には、金銀や珊瑚、宝石などが積み込まれ、幸運と金運、そして福を授けてくれる7人の神様、つまり七福神が乗っています。ある夢占いによると、宝船の夢はビッグチャンスがくることを示唆しているそうです。こんな最強の宝船を初夢で見るためには、あるものを枕の下に入れて寝るといいそうです。その、あるものとは…。
宝船に乗っている七福神のうち、日本の神様は一人だけ!? 7も神様が乗っているなんて!! 宝船に乗ってやってくる七福神。この、ありがたい七人の神様のお名前を全部いえますか? ・恵比寿(えびす)…右手に釣竿、左手に鯛を持っています。七福神の中で唯一、日本の神様です。 ・弁才天/弁財天…琵琶を持っていて、七福神の中で唯一の女性。 ・布袋(ほてい)…大きなお腹をして大きな袋を背負っています。実在した中国の僧ともいわれています。 ・大黒天…頭巾をつけ、右手に打ち出の小槌、左肩に大きな袋を背負い、米俵に乗っています。 ・毘沙門天(びしゃもんてん)…鎧(よろい)を身につけ、矛または宝棒と宝塔を持っています。 ・福禄寿…頭が長く、白いヒゲをはやした老人です。鶴を伴っています。 ・寿老人…頭が長く、白いヒゲをはやし、巻物をぶら下げた杖を持っています。鹿を伴っています。 初夢で宝船を見るための“おまじない”は「回文」!? いい夢、見てね。
初夢で宝船を見るためには、七福神が乗っている宝船の絵に、下記の回文和歌を書き添えたものを枕の下に入れて寝るとよい、とされています。 「なかきよの とおのねふりの みなめさめ なみのりふねの おとのよきかな」 (永き世の 遠の眠りの みな目ざめ 波乗り船の 音のよきかな) おまじないのような回文和歌。こんな回文を考えつくなんて、さすが、粋な日本人ですね。 |
師匠! 今回は「縁起物」ですね。
私は「宝船」を描きます。
私の脚の調子は二日から痛みがなくなりましたが、しびれていて力が入りません。
昨日(7日)にMRIを撮ったところ、椎間板ヘルニアとわかりました。
でも痛みがないので、痺れ止めで様子を見ることになりました。
↑師匠が私にくれた絵手紙
私が師匠に送った絵手紙↓
細かい絵なので筆では描けずに、ボールペンで描きました。
したっけ。
私は喪中なので言いませんが、今年も「新年あけましておめでとう」が新聞紙上やテレビなどで、たくさん見聞きしました。
毎年書いている気がしますが、これは間違いです。
あ・ける【明ける】 の解説 [動カ下一][文]あ・く[カ下二] 1 (明ける)あるひと続きの時間・期間・状態が終わって、次の時間・期間・状態になる。 ㋐朝になる。「夜が—・ける」⇔暮れる。 ㋑年が改まる。「年が—・ける」⇔暮れる。 ㋒ある期間が終わる。「喪が—・ける」「梅雨 (つゆ) が—・ける」 Goo辞書 |
辞書にあるように「明ける」は「終わる」とか「次の状態になる」という意味です。
ですから「新年あけまして」は、新年が終わるという意味になります。
新年早々に終わってしまってはおめでたくありません。
正しくは「明けましておめでとうございます」又は「新年おめでとうございます」となります。
「新年あけまして」で検索すると、間違いであることがたくさん出てきます。
テレビのMCさんが「新年あけましておめでとうございます」と力強く言っているのはとても気になります。
新年早々叔父が亡くなりましてまたバタバタします。
私の脚の足の方も10日に脳外科でMRIを撮ることになって、なにかと落ち着きません。
まだ、通常営業はできそうもありません。悪しからず、よろしくお願いいたします。
したっけ。
昨年は散々な年でした。
31日は腰椎すべり症の影響で左脚が痛くなり痺れてしまい、血圧が190まで上がってしまいました。
すべり症の痛み止めは全く効かず夜も昼も眠れませんでした。
血圧が心配だったので、休日夜間救急センターに朝九時に駆け込みました。
その時点で院外に長蛇の列。受付番号は90番でした。
やっと診察は11時でした。
Dr.は帯状疱疹を疑いましたが、結果はすべり症の傷みから血圧が上がったので痛みさえなくなれば下がると言われました。
整形を紹介され受診。
滑り症の影響から来る神経痛ということで、吐き気が出るほど強烈な痛み止めをもらってきました。
来年は平穏な1年であってほしいです。
したっけ。