団塊オヤジの短編小説goo

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都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖

都月満夫の短編小説集2

「羆霧(くまぎり)」
「容姿端麗」
「加奈子」
「知らない女」

都月満夫の短編小説集

「キヨシの帰省」
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」

短編小説『しあわせと云う名の猫』

2010-03-31 10:24:39 | 短編小説

『しあわせと云う名の猫』

          都月満夫 作

 私は酒場の聞き女。どんな話も、聞いてやる。洒落た会話はできないが、聞いて、笑って、泣いてやる。

 元は、真面目な高校生。元は、真面目な女子事務員。会社勤めの付き合いは、歓迎会に送別会。お花見会に、観楓会。忘年会に、新年会。社員旅行に親睦会。何にもない月、仲間で飲み会。お酒飲むこと多すぎて、いつしかお酒の味を知り、二十歳過ぎたら聞き女。

 ある日、男がやってきて、一人で酒を飲んでいた。聞くと、男は運転手。長距離貨物の運転手。積んで降ろして、次の町。日本全国一巡り。やっと戻った、ひと月後、女房が男と逃げていた。人は浮気と言うけれど、尻軽女と言うけれど、俺には可愛い女房さ。アイツのいない暮らしなど、俺にはとても耐えられない。

 その夜、二人は深い仲。連れ込み宿の入口で、黒い猫が横切った。私の前を横切った。

四畳半の暗い部屋、私は恋をしちまった。

 翌朝起きて気がつくと、男は既に消えていた。煎餅布団の温もりも、何時の間にやら消えていた。笠の壊れた電球が、上から私を笑ってた。

 酒場のママに言ったなら、アイツはただのスケコマシ。あんたはまんまと騙された。酒場のママは大笑い。酒場の客まで大笑い。誰も泣いてはくれもせず、腹を抱えて大笑い。

 落ちる涙が酒になる。私は悔しさ飲み込んで、馬鹿な自分に腹が立つ。

 それから三日後、町を出た。いつか、お客が言っていた、大きな町でやり直し。きっと良いことあるはずと、朝一番の汽車に乗り、こんな町とは、おさらばさ。

 桜の蕾がまだ固い、四月の末の朝だった。

 あれから何年経ったやら。私は、未だに聞き女。都会の隅で聞き女。

私の住んでるアパートは、昇る朝日は見えないが、沈む夕日が見える部屋。窓から見える風景は、雨に震えて待つ女。花束抱えて待つ男。逃げる男に追う女。男と女の出会いが見える。男と女の別れが見える。 

窓の向こうに映るのは、赤いルージュも色褪せた、もう若くない自分の姿。

 ある日、窓から見えたのは、車に轢かれた黒い猫。清掃員が始末して、麻の袋で持ち去った。

 その夜、男がやって来て、一人で酒を飲んでいた。別に話しをするでなく、黙って酒を飲んでいた。

 その後も、男はやって来た。土曜の夜に、やって来た。毎週、一人でやって来た。黙って酒を飲んでいた。

初めて男が来た日から、ひと月半ほど経った夜、男は私に声掛けた。突然、私の名前を言った。植村真弓と名前を言った。聞くと、男は同級生。高校時代の同級生。佐藤広と名を言った。

言った名前に聞き覚え。結構人気があった人。でも、信じられない別人みたい。頭はすっかり禿げ上がり、太ったおなかは太鼓腹。どんな歳月重ねたか、性格までもが別人みたい。それでも、話しをするうちに、思い出すこと懐かしく、彼はやっぱり同級生。

遠い町から、土曜日に、私に会いに来たと言う。最初に店に来た夜は、仕事で近くに泊まってた。その後は、私に会いたくて、毎週土曜に来たと言う。

そして、彼は、こう言った。高校生の三年間、ずっと君が好きだった。ここで遇ったも、何かの縁。戻って来いよと、彼は言う。一緒に暮らしてくれないか。真剣なんだと、彼は言う。

私は酒場の聞き女。どんな暮らしをしてきたか、知っているのと、聞いてみた。どんな暮らしをしてこようと、この歳までは、生きてきた。これから、二人で生きていく。ただそれだけじゃ、いけないか。

男を信じちゃいけないと、女一人で生きてきた。もう、強がっている歳じゃない。

 ひと月悩んで決心し、私は汽車に乗りました。桜の開花も、もう間近、五月初めのことでした。

ある夜、男がやって来た。八月下旬の金曜日、雨の夜だった。

「いらっしゃいませ。」

「あ…、どうも。降ってきたよ。本降りになってきたな。」

男は、背広の肩の雨粒を払いながら、一人で、入ってきた。

「お客さん、これ使って…」

女将は、乾いたタオルを差し出した。

「あ…、どうも。」

男はタオルを受け取ると、背広を拭いてから、白髪交じりの頭を丁寧に拭いた。

「あ…、どうも。」

男はタオルを返しながら、カウンターの端に座った。カウンターが十席ほどの小さな店である。

「お客さん、一見(いちげん)さんだね。」

「ああ…、初めてはダメかい。」

「そんな高級な店じゃないよ。ウチはね、小料理なんて、看板に書いてあるけど、洒落たものは無いよ。婆々の店』って書いてあっただろ。」

「あ…、書いてあったけど…。」

「年寄りが作る、昔風のものしかないってこと…。何にしますか?」

「何でもいいよ、すぐできるもので…。腹が減ってるんだ。」

「もう九時だよ。飲んでないようだけど、今まで仕事だったのかい?」

「ああ…、仕事といえば、仕事だけど…。」

男は力なく答えた。

「お客さん、元気がないね。疲れているようだね。とりあえず、ビールでいいかい?」

「ああ…、元気もなくなるよ。初めての店に来て、こんなこと言うのもなんだけど…。今日で会社、終わりだって…言いやがる。任意整理しますって…。終業時間に、弁護士がいきなり入ってきて…。」

 男は肩を落として溜息をついた。女将は、男にかける言葉を探していた。だが、なかなか見つからず、突き出しの茄子の糠漬けをカウンターに置き、黙ってビールを注いだ。

 男が、うつむいたまま、話を始めた。

「四十年間働いて、もう定年だって歳になって、全員解雇だって…言いやがる。何が老舗だよ。三代目が家を潰すってのは本当だよ。」

 女将は黙って頷くしかなかった。

「残務整理はどうするんだって訊いたら、お前たちでやれ…って、あの社長…。そういうことじゃなく、残務整理をする人に、お願いしなければ…って言ったら、お前が頼め、自分は人に頼むのは嫌いだって。だから言ってやった。馬鹿じゃないの、今、アンタが俺たちをクビにしたんだ。もう社員でも社長でもないんだ。きちんと頼んでくれよ、倒産じゃなく任意整理なんだろう。そうしたら、やりたくなければやるな、自分たちの取り分が減るだけだって…。呆れてものも言えないよ。それで、今まで喧嘩腰の話し合いさ。」

「ひどい話だね…。」

 女将は、鯖の味噌煮と肉ジャガをカウンターに置いた。

「ご飯と味噌汁もいるかい?」

「いいよ。後で貰うよ。ああ…、家へ帰って家内に何て言えばいいんだ…。」

 男はまた深く溜息をついた。ちょっとした沈黙が流れた。

「おや、雨が急に強くなってきたようだね。実は今夜は、お客さんが口開けなんだよ。この商売は、ニッパチって言って、二月八月はダメなんだよ。おまけに、夕方から雨まで降ってきたからねぇ。」

 男は女将の話には答えず、黙って、グラスのビールを飲み干した。

「そうだ、今夜はどうせ、もう客も来ないだろうから、暖簾下ろして、行灯(あんどん)の明かりも消してくるよ。お客さん、気持ちが落ち着くまでゆっくりしていきなよ。」

 女将はそう言って、外に出た。大粒の雨が舗装の上で踊っていた。

「ひどい雨だよ。これじゃあ…、客なんか来やしない…。」

 女将は独り言のように言い、暖簾を抱え、店に戻った。

「さあ、これでゆっくりできるよ。」

「すまないな。何か…突然変な客が入ってきて、迷惑掛けたようだな。」

「いいんだよ。この店は、年寄りが好き勝手にやってる店なんだ。だから、気にすることなんかないよ。」

「女将さん、まだ年寄りって歳じゃないよ。いいのかい?閉めちゃって…。」

 男は相変わらず、うつむいたまま言った。

「あら、お世辞が言える余裕があるじゃないか。構いやしないよ。その代わりと言っちゃ何だけど、婆々の与太話でも聞いとくれよ。」

「ああ…、そのほうがありがたいよ。気が紛れる。聞かせてもらうよ。」

「あらたまって、話すとなると、何だか気恥ずかしいね。」

 そう言いながら、女将は話を始めた。

「私が今、どうしてこの店を営業しているのか…っていう話なんだけどね。

 私が、あの人に出会ったのは、高校生の時なんだ。でも、そんなのは出会ったとはいえないね。ただ同級生だっただけだから。

 本当に出会ったのは、私が札幌のお店で働いていた時。五十歳もとうに過ぎた、二月の半ばだったかねぇ。

あの人が、一人でふらっと、店に入って来て、話もせずに帰っていった。変な客だったから、なんとなく憶えてた。そしたら、次の週の土曜日に、また一人でやって来た。その日も、黙って飲んで帰っていった。その後、毎週土曜日にやって来るようになった。

最初に来た日から、ひと月半ほど経った夜だった。あの人が、急に私の本名を言ったんだよ。勿論、自分の名前も名乗って…。同級生だったんだよ。偶然ってあるんだね。驚いたね。おまけに、一緒に暮らしてくれって言われて、また驚いた。当然、私は断ったよ。

私は二十歳過ぎから、水商売の中で生きてきた女。あの人は堅気の世界しか知らない、真面目な人。一緒に暮らせる訳がない…。そしたら、あの人『水商売のほうが、堅気の商売よりずっと大変だと思うよ。哀しい時も辛い時も、自分の本心を隠して、笑ってお客の相手をしなくちゃいけない。おまけに、男に頼らず生きてきたんだろう。俺にはとってもできない。そんな女性が、これから、俺の相手だけをしてくれたら、俺はどんなに幸せだろう。俺は、高校生の三年間ずっと君のことが好きだった。』なんて、泣かせる台詞で口説かれちゃって、ひと月ほど考えたよ。

そして、あの人を信じてみよう。あの人に掛けてみようって思ったんだよ。

私は朝一番の汽車に乗った。日曜の朝一番の汽車で、この町に帰って来たってわけさ。

あの人との暮らしが始まった。私らの世界じゃ、一緒に暮らすってことは、言葉通りだから、私も当然、そう思ってた。そしたら、あの人の一緒に暮らすは、結婚することだったんだよ。私はサラリーマンの妻、厚生年金の第三号被保険者になった。二号になることはあっても、まさか三号になるとは思わなかったね。驚いたよ、夢みたいだったね。

郊外の家の前には、綺麗に整理された庭がある。その向こうには、湧き水の小川が流れている。川が気に入ってこの土地を買い、母親と二人で暮らしていたそうなんだけど、その母親も亡くなって十年も経つという。

年寄りと暮らしていた家だから、私の好きなように改築しようかって言ってくれた。私は勿体ないから、このままでいいよ…って、そのまま暮らしてる。

あの人は、高校を出てから、ずっと木材工場に勤めていた。若い頃は山の伐採現場で、飯場暮らしだったらしい。だから、木が好きで、庭に草花は植えてないんだよ。オンコ、石楠花、ツツジ、そんな木花が植えてある。玄関の脇には、高山植物が植えてある。

二人で暮らし始めて、数週間が経った頃だった。私が庭の草むしりをしていると、太った白い猫がやって来た。自分の家のように悠然とやって来た。ベランダの日当たりのいい場所に、ゴロリと横になり居眠りを始めた。

あの人に聞くと、そんな猫、以前は来たことがないという。でも、その猫はそれから毎日やって来た。まるでそこが、指定席のように、同じ場所にゴロリと横になり、居眠りをするようになった。それが、とても幸せそうな寝顔でね。私はその猫に勝手に名前を付けた。私たちの幸せを願って、サチと名前を付けた。幸せと云う名の猫だよ。

あの人が仕事に行っている間、私は、洗濯をして、掃除をして、買い物に行って、あの人の好きな料理を作って待っていた。

庭木に花が咲くと、あの人は嬉しそうに、木の名前を言い、私に教えてくれる。高山植物の名前は難しくて…、覚えられない。

冬になると、楓の木に取り付けた餌台に、野鳥がやってくる。シジュウカラ、コガラ、ヒガラ、ゴジュウカラ。あの人は、野鳥が来るたびに、私に名前を教えてくれた。私にはどれも同じに見えた。だけど、ゴジュウカラだけは覚えた。五十から…って、私らみたいだねって、大笑いしたから…。

相変わらず、サチは毎日やって来ては、いつもの場所で昼寝をしていた。私たちの様子にはまったく無関心のようだった。私も、サチがそこに居るのが当然のこととして、気にもしなくなっていた。

そんな穏やかな暮らしが、二年半ほど経ったとき、あの人が突然、死んでしまった。肝臓癌だった。見つかった時は、もう末期だった。呆気ない最期だったよ。

幸せなんて、気まぐれにやってきて、気まぐれに何処かへいっちまう。気がついたら、あの猫さえ、いつの間にか来なくなってしまった。本当にあの猫はいたんだろうか…。

それで、私は何とか、幸せだった二年半の思い出を、忘れずに生きていたいと考えて、この店を始めたのさ。あの人の好きだった料理だけを毎日作って、お客さんに食べてもらうために…。私が歳をとっても、ずっとそうしていたいから、『婆々の店』ってわけさ。

毎日あの人の好きなものを作っている。そうしていたら、最近あの猫が何処かに居るような気がしてきた。不思議だねぇ…。

辛いことや、苦しかったことは忘れたいから、心の奥に仕舞い込んでしまう。だけど、幸せだった日々は、いつまでも心に灯を点し続ける。私はあの人に出会ったことで、幸せな女で一生を終われるよ。」

女将は、涙を浮かべながら微笑んでいた。

「いい話だね…。ご飯と味噌汁を貰おうか。俺には、家に帰ると家内が居る…。アイツとこれからのこと、話し合うことにするよ。女将の話で元気が出たよ。ありがとう。」

 男はそう言って、初めて女将の顔を、しっかりと見つめた。

「あれっ、植村…、真弓君だよね?俺、佐藤浩。憶えてない?二条高校、三年H組。」

 女将は、そう言われて男の顔を見直した。「思い出してくれた?同級生で、もう一人、佐藤広って、同じ名前で、おとなしくて、目立たないヤツもいたけど、憶えてる?」

「あっ…、佐藤君?えっ、ええ…。」

さっきまでの激しい雨は、もう上がっていた。何処から来たのか、猫が一匹、店を覗き込むようにして立ち止まった。

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入学式のシーズンです。国歌や校歌斉唱をどうしていましたか?

2010-03-30 14:38:50 | トラ場(ブログ人投票箱)

入学式のとき校歌は歌ってないよ。だって・・・まだ習ってないもの

2年生からは歌ってましたよ。自分の国の国歌、自分の通う学校の校歌、歌わないでどうするの。知らないでどうするの。卒業式には「仰げば尊し」だって歌ってましたよ。当然でしょ。聞く方がどうかしてるべさ。そうゆうことを聞くから、歌わなくてもいいとか、歌いたくないとかいう人間が出てくるんだべさ

元旦には、小学校に登校して、日の丸を掲げた体育館で国歌を歌いましたよ。祭日にはどこの家も日の丸を掲げてましたよ。自宅玄関には国旗用の金具が今でもついてますよ。だけどこのご時世、日の丸を掲げると特殊な団体と間違われるのでできないべさ

どこかおかしいって感じるのは、オレだけだべか・・・

国旗、国歌については下記を参照下さい。

http://blog.goo.ne.jp/tudukimituo1028/d/20100127

したっけ。



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「雪女」について考える

2010-03-30 09:06:04 | 雑学・豆知識・うんちく・小ネタ

ゆき‐おんな【雪女】

雪国の伝説で、雪の降る夜、白い衣を着た女の姿で現れるという雪の精。雪娘。雪女郎。《季冬》「三日月の櫛や忘れし/紅緑」Suuhi_yukionna

辞書:大辞泉

雪の夜に現れるという女性姿の妖怪(ようかい)。雪女郎(じょうろう)、雪おんば、雪降り婆(ばば)などともいう。種々の要素が入り組んでおり、統一的な姿をみつけだすことは困難であるが、雪の印象から、肌が白いとか白衣を着ているなどの伝承が多い。

喜多川歌麿(うたまろ)の描く錦絵(にしきえ)の雪女は美女の姿であるが、それは文芸的な発展の結果であって、むしろ老女や産死者の姿を考えている場合が多い。

雪の降り積む夜に出るというほか、正月元日に降りてきて最初の卯(う)の日に帰るという伝承がある。これは年神の降臨伝承と一致する。

雪女から赤子を抱いてくれと頼まれ、引き受けた人は大力を授かるとか、逆に殺されるなどの話があり、その点は産女(うぶめ)の伝承と一致する。

吹雪(ふぶき)の夜に宿を求める娘があり、泊めてやって翌朝みると、白衣の中に黄金があったという話は、「大歳(おおとし)の客」の昔話とも共通する。

女性の姿ではないが、雪入道や雪ん坊は1本足で、霜月二十三夜に訪れくる片足神(かたあしがみ)や山の神の姿に類似している。

以上を総合すると、雪女は、雪害の恐ろしさや、雪中に閉じ込められた冬の閉塞(へいそく)状態を背景として、一方では産死者の霊など御霊(ごりょう)系の妖怪となり、また一方では年神など祖霊(それい)系の神々とも結び付いたのであろう。

日本大百科全書(小学館)

雪女の起源は古く、室町時代末期の連歌師・宗祇法師、による『宗祇諸国物語(そうぎしょこくものがたり:貞享二年(1685年)』には、法師が越後国(現・新潟県)に滞在していたときに雪女を見たと記述があることから、室町時代には既に伝承があったことがわかる。

雪女は『宗祇諸国物語』をもとにしたラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の『怪談(Kwaidan)』「雪女」の様に、美しい女性として語られることが多く、雪の性質からはかなさを連想させ、類人猿の姿をしている雪男とは対照的である。

なお、『怪談(Kwaidan)』「雪女」では、雪女の名を「お雪」としている。ハーンの「怪談」序文には、『武蔵の国、西多摩郡、調布村(現在の青梅)のある百姓が、その土地に伝わる古い言い伝えとして私に語ってくれたもの』が「雪女」の元となったと記されている。このことから「雪女」発祥の地は青梅であるとする説がある。

精神病理学の解釈では、極寒の山中でさまよった場合に見る幻覚症状に起因する話を構成したものとの説が挙げられており、雪女は性的欲求の表象として現れてくるものであるとされる。生命の危機に直面した場合において、性的欲求がたかまるとされている。これは、子孫を残そうという本能から来るものといわれている。

「雪女」(秋田県横手市に伝わる民話)

※横手の方言は標準語でわかる程度に変更しました。内容にも一部変更を加えました。御了承下さい。

Photo_2 昔、横手に 茂作と巳之吉という二人のマタギが居たんだと。茂作は、年取ったマタギで、巳之吉はマタギの仕事を教わるように、いつもくっついて、山さ行ってたんだと。

ある冬の日、ウサギ狩りに行くべ、二人一緒に行ってたんだと。

「ウサギも居ねえ、キジも居ねえ、そのうちだんだん山、暗くなって吹雪いてきたぞ。」Photo_3

「ああ、これなら、吹雪いてくるなあ、どこか炭焼き小屋を探して、そこで晴れるのを待って帰ることにするべ。」と、茂作が言うので、二人して、巳之吉の探した炭焼き小屋に泊ることにした。

20 真夜中、巳之吉は雪がさらさらと顔にかかって来たので、ふっと目を覚ました。隣(となり)で眠っている茂作の方を見た。茂作の上に、何か白いものが、被さっていた。

「ああ、何だべ?」

と、見ていたが、金縛りに逢ったように、身動き出来なくなっていた。

茂作の上に乗った何だか分からない白いものが、顔にフーッと大きな息を吹きかけた。Iwmc0e3bdf7

その白いものが、自分の上にやってくる!・・・逃げなくては。白いものから逃げていかねば。と、思うのだけれど身体が全然動かない。

すると、その白いもの、茂作の上に乗ってきたように巳之吉の上に乗ってきた。・・・ふっと巳之吉と目が合った。

「おめえ、まだ若げえな。・・・おめどこ(おまえは)、殺さねえ、今日、見たことを誰にも言うなよ。言わねば、殺さねってもいいども、誰かでも話してしまえば、おれ、おめどこ、殺しに行かにゃならねがらな」

そういうと、その白いものは、吹雪の舞う小屋の外にさ~っと、出て行ってしまった。

次の日、二人が戻ってこないので、村の人たちは探しにやって来た。

しかし、茂作はとっくに息絶えていて、半死半生の巳之吉を助けて、村に戻ってきた。

35587ec68fe084e0そんなことがあって、何年かして、巳之吉はまた吹雪の日に、横手の街に買い物に来て、家路につくところだった。

途中で若い娘と出会った。

巳之吉「おめえ、この吹雪の中で、どこさ、行くどこだけな?」

娘「うん、おれよ、オド(父親)もアバ(母親)も死なれて、これから横手の町さ、奉公に行くどこだぁ」

巳之吉「何とおめえ、これから横手の町さ、行くったって、途中で吹雪いてくる。明日の朝に、早く行ったらどうだか。まんず、今晩一晩、泊ってよぉ。おれ家さ、泊って行けよ。」

と、その娘を連れて、家に戻った。

巳之吉は、母親と二人暮らしだった。

アバ(母親)がその娘を見たが、 「何とめんこい娘だなあ…。」と、感心した。

・・・巳之吉さも、嫁っこ貰わねばねえ時期だし。

アバ「おめえよ、横手のその奉公先、身寄りなのか?」

娘「んでねんす。私、どこさも行くあてがないので、そこに奉公に行けって、村の人に言われてきたんだす。」

アバは、「待ってました。」とばかりに、一生懸命になって頼んだ。41

アバ「んだらよ。おめえ、巳之吉の嫁になってくれねがぁ。」

娘は、間髪おかずにすぐに答えた。

娘「いいす、いいす。巳之吉さんみてえな人だば、嫁さんになってもいいす。」

巳之吉の嫁になって3年、三人は気持ちよく、仲良く暮らした。わらしも10人出来て、その間にアバ(母親)は亡くなった。巳之吉は、家族を持って幸せに過ごしていた。何の気苦労もなかった。

Ph4 ある日、それはひどく吹雪く晩であった。Yuki38

嫁さんは、炉端で縫い物をして、巳之吉も傍で火に当たっていた。

巳之吉「こんな吹雪く晩は、早く寝た方がいいやな。おめえも、止めれでや?」

嫁さん「んだな、んだな。これで止めて寝るが。」

ふっと巳之吉は、大変なことをさらりと、口走ったのでした。

巳之吉「ああ、こう吹雪くだば、思い出すなや。あの晩のことを…。」

Oyuki そのとたん、な、何と、嫁さんの目(まなこ)がグルリと光った。押し殺した声がした。

嫁さん「おめえ、その先、言うな。」

腹にずしんと響く、別人のような声であった。

Yukionnaうろたえた巳之吉が、嫁の顔を見ると、うわっ、茂作に息を吹きかけて殺したあの女(おなご)と同じ面(つら)だった。

巳之吉「うわ、うわ、うわわ!」

嫁は、続けて言った。

「その先を言うな。しゃべれば、おめえを殺す。おめえとの間には乳飲み児もいるから、今すぐ殺すわけにいかない。その先を言うな。誰にもしゃべるな。わらし(子供)の面倒をよく見ておくれ…。」

そう言うと、嫁さんは縫いかけの着物を炉端に残して、体はみるみる溶けて白い霧になり、煙だしから消えていった。D52eab0e5a5eee4c

巳之吉は、それからというもの、誰にもこの話をしないようになったそうだ。

したっけ。

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私の爺さんの話・「不死身」

2010-03-29 10:11:02 | 日記・エッセイ・コラム

 私の爺さんは、胃潰瘍の手術のあと腕を骨折したが、このときも、麻酔が効かぬまま手術が行われた。生身のまま腕を切り裂かれ、骨にドリルで穴を開け、金属で接合された。

山の仕事をしていた爺さんは、現役引退後も十勝の山を知り尽くすものとして、会社に残った。他社からも新しく入る山について聞きにくるものが後を絶たなかったという。

 あるとき、爺さんは道に倒れているところを発見され、家に運び込まれた。意識がない。医者は手の打ちようがないと匙を投げた・・・。当時自動車の往来は少ない。事故にあったのか、転Photo倒したのかさえわからない。爺さんは家で寝たきり、家族はただ見守るだけであった。

 爺さんは、1週間ほど眠り続けて目を覚ました。

「腹が減った。」とお粥を食べた。何があったのか爺さんには記憶がない。

 医者は、とにかく良かったと言うだけであった。

 昭和30年代半ばの話である。

1 2 爺さんが70歳ごろであろうか、咽下障害のために、誤咽性肺炎を発症した。病院で検査の結果、動脈瘤も発見されたPhoto_2。医者は、動脈瘤は非常に危険な状態だが高齢のため手術は出来ない。このまま死を待つしかないと、息子たちに伝えた。

息子たちは交代で病院に泊まり、その時を待った。

しかし、数ヶ月の入院生活の後、爺さんの咽Photo_3下障害は奇跡的に回復した。

老齢のため、もう歩行は困難であろうと医者は言った。

だが、爺さんの山で鍛えた脚力はそんなやわなものではなかった。自立歩行が出来るようになり退院した。まさに、不死身であった。

昭和40年代初頭の話である。

その後、私は結婚し、4代で同居を始めた。爺さんは曾孫と遊ぶためにトランプを覚え、いつも遊んでくれた。

ある日の朝、爺さんが起きてこない。オヤジが見に行くと布団の中で死んでいた。前夜、曾孫と遊んでいて元気だったのに・・・。

私は病院へ医者を迎えに行った。Photo_4

看護婦たちの声が聞こえる。

「え、その人って、血をバケツに一杯はいたっていう人・・・。」

「麻酔なしで、胃を切ったっていう、あのオジイチャン・・・。」

爺さんの伝説はこのときまで語り継がれていたらしい。

  Photo_5 爺さんの葬式は、それは、それは盛大なものであった。大雪のあとにも関わらず、爺さんをPhoto_6知る大勢の人たちが訪れた。お寺始まって以来というほどの生花は本堂を溢れ駐車場にまで並べられた。

爺さん自慢の「羆の手の煙草入れ」は、御棺に納められ、爺さんとともに旅立っていった。1_2

昭和5535日行年83歳であった。

したっけ。

Photo

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私の爺さんの話・「胃潰瘍」

2010-03-28 08:51:24 | 雑学・豆知識・うんちく・小ネタ

私の爺さんは酒飲みであった。山の仕事をしていた爺さんは、冬は山に行ったきりだ。丸太を切り出す仕事は、冬が最盛期なのだ。重機など無い時代、雪は格好の条件となる。冬はこの成長が止まることと、夏には入れないところまで入っていける。そして、切り出した丸太をソリのように滑らせて運ぶのである。

 冬の山の飯場はシバレル(北海道弁:寒い)。だから皆で酒を飲むのであろう。

2 私が小学校高学年のときに、爺さんは血を吐いた。洗面器一杯とも、バケツ一杯とも言われている。胃潰瘍であった。 1

 当然、爺さんは手術をすることになった。

 ところが、麻酔が効かない。酒に浸っていた体は麻酔が効かない体になっていたのだ。医者は私の父親を含め三人の息子たちを呼んだ。

Photo 「このまま手術をするから、体をおさえつけていろ!」そう医者は言ったそうだ、

 手術が始まった。爺さんは僅かにうめき声を上げただけであっPhoto_2たそうだ。しかし、押さえつけていた息子たちは必死であったそうだ。

 それはそうだろう。生身の体を切り裂かれ、胃を3分の2も切り取られているのだ。力が入る。爺さんはこの手術を気絶せずに乗り切ったのだ。

 気絶したほうが楽であったろうに・・・。Photo_3

 明治の男は凄い。爺さん手術は、この病院の語り草になって、代々看護婦に引き継がれることになった。

1_2 爺さんが退院して「痛くなかったのか。」と聞いた。

 「なあに…、痛くて声が出なかったのさ。」そういって爺さんは笑った。

爺さんは、熊の手で作った煙草入れから、煙管(きせる)に刻み煙草を詰め美味そうに煙を吸い込んだ。

昭和30年代前半の話である。

造材

造材は冬から春先にかけての仕事でした。次のようなメリットがあったからです。

        雪が積もると、切った木を運び出しやすくなる。(運搬)Photo_4

        夏は切った木を置いておくとカビや虫(あるいは虫の卵)などがつきやすく、木が傷む。寒い冬はその心配がない。

        切った木が倒れる時、雪がクッションになり木が痛みにくい。

        夏は下草が生えて山の奥に行くのが大変。雪が積もり葉も落ちれば、夏には行けないような山奥まで入ることができる。Photo_5

このように、造材の仕事は厳しい寒さの中で行われたのですが、実は雪と寒さを上手に生かした仕事だったのです。

また、当時は冬山に入ったのは農民も多かったといいます。冬の間仕事がなくなる農民にとっても、冬山 造材は生活上必要なことだったのでしょう。  

したっけ。

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私の爺さんと村田銃の話・「羆(くま)撃ち」

2010-03-27 10:00:31 | 雑学・豆知識・うんちく・小ネタ

私の爺さんは羆撃ちだった。私の爺さんは山の仕事をしていた。山の伐採現場の監督のような仕事だったそうだ。当事の北海道の山には羆がたくさんいたそうだ。羆が出ると爺さんはやおら鉄砲を担いで、羆撃ちに変身する。私の子供の頃よく話をしてくれた。

私は一度、爺さんの銃に触ってひどく叱られたことを覚えている。羆撃ちにとって銃がどれだけ大切なのかを話してくれた。

その銃は「村田銃」という。「村田銃」というのは弾が一発しか撃てない。射程距離は短い。しかし、威力はある。そういう銃らしい。この銃は熊撃ちに「またぎ」がよく使う銃らしい。

勢子と呼ばれる人たちが大勢で羆を追い上げる。1

爺さんは適当な場所で待っている。羆からも爺さんからも見通しのいい場所で・・・。

村田銃」という. シングルショット(単発式) - 弾が一発のみこめられる銃を持って・・・。

突然鉢合わせすると羆も予測できない行動を取るからと、爺さんは言った。爺さんは勢子が追い上げてくるのを、じっと待っている。一人で・・・。

二人は危険なのだという。相棒がアイヌだといいのだと爺さんは言う。彼らは羆のことをよく知っていて度胸もある。そう言っていた。通常は、一発目が外れたときのために二人で待つらしい。

爺さんは相棒を嫌った。相棒がいるとどうしても頼る気持ちが出て、かえて危険なのだそうだ。2

だから、一人がいいと爺さんは言う。

羆が爺さんに近づいてくる。羆は爺さんを威嚇する。唸り声を上げ、前足で地面を引っかく。度胸のないヤツは、この時点で発砲してしまう。それが危険だというのだ。

「手負いにしたらワヤだべ(北海道弁:大変だ)。」と爺さんは言った。

手負いの羆ほど危険なものはない。手負いにしたら、何処までも追いかけて仕留めなければならない。それはそうだろう、羆は頭のいい猛獣だ。3

爺さんは、いくら羆が威嚇しても決して発砲しないのだという。羆だって人間が恐ろしいから威嚇しているのだという。

いくら威嚇されても、爺さんの銃には一発の弾丸しか入ってはいない。一発で仕留めなければ、自分の命が危ない。

どうするのか。羆が最大の威嚇行為として、全身の毛を逆立て、立ち上がる。そのとき、羆は目の前に来ているという。私の記憶では銃の長さは1メートル強ではなかったかと思う。

爺さんは落ち着いて言う。4_2

「なあに、羆だっておっかないんだ(北海道弁:恐い)。滅多に掴みかかってはこないさ。銃身の先が羆に届くくらいの距離になって、心臓めがけて打てばいいんだ。外れっこないべ。」そういって、爺さんは笑った。

1_2羆撃ちは我慢比べだと、爺さんは平気な顔で言った。だから、銃に万が一でも間違いがあれば、羆に食われる。だからこそ、銃は誰にも触らせない。自分がしっかりと手入れをする。銃を信用できるからこそできる業だと言った。

羆はおっかなくないのかと聞いたら「そりゃあ、おっかないさ。だから一発で仕留めるんだべサ。」

そして「2発目を撃つまで羆は待ってくれんから・・・」と言って笑った。

爺さんは、熊の手で作った煙草入れから、煙管(きせる)に刻み煙草を詰め美味そうに煙を吸い込んだ。

昭和20年代の終わり頃の話である。

村田銃

Photo 村田銃(むらたじゅう)とは、薩摩藩・日本陸軍の火器専門家だった村田経芳が、フランスのグラース銃(金属薬莢用に改造されたシャスポー銃)の国産化を図る過程で開発され、明治13(1880)に日本軍が採用した最初の国産小銃である。

建軍当時の大日本帝国陸海軍は、陸軍がイギリス製のスナイドル銃、海軍が同マルティニ・ヘンリー銃を使用していたが、村田経芳が十三年式村田銃の製造に成功した事で、初めて「軍銃一定」が成し遂げられた。

村田銃の出現は火縄銃以来の300年の欧米とのギャップを埋め、国産銃を欧州の水準へ引き上げた。また、戦前戦後を通じて日本の猟銃の代名詞的な存在ともなった。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これは、蛇足かもしれませんが、私も一昨年、知ったことです。羆は草食だそうです。冬眠の前にはアキアジ(鮭)などのたんぱく質を貯えるのだそうです。

サホロベア・マウンテンにいった時に知りました。

羆に興味のある方は下記へどうぞ・・・。

http://www.bear-mt.jp/

したっけ。

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「おむすびころりん」について考える

2010-03-26 10:35:13 | 神話・御伽噺・民話・伝説

「おむすびころりん」は、日本のおとぎ話の一。「鼠の餠つき」「鼠浄土」「団子浄土」などともいう。

Omusubimove1 山でおむすびを穴に落としてしまったおじいさん。穴に入るとネズミたちがいて、帰りに宝物を持ち帰ります。

そのことを知った隣のおじいさんは、同じように山に行ってネズミの穴に入りますが、ネズミたちを驚かしたため、闇の世界に閉じ込められてしまいます。

※動画は「Welcome to Mriko Home」さんからお借りしました。クリックすると動きます。

おむすび ころりん すっとんとん」 のフレーズで御馴染の噺です。

「おむすびころりん」の話は様々なバリエーションが存在します。

・ネズミはおじいさんに噛み付いたので、おじいさんは降参した。

・ネズミが浄土の明かりを消してしまったために、そのままおじいさんが33ヶ月のあいだ行方が知れなくなった

・そのままおじいさんがねずみもち(もぐら)となった話などがみられる。

また、「ねずみ浄土」と「おむすびころりん」は別々の昔話として区分している書籍もあるのだそうです。

話にこのようなバージョンが存在するのは、今日みられる暴力的表現を排斥しようとする運動の影響が強い。

古くからある口承文芸で室町時代に『御伽草子』として成立したと見られる。あらすじの特徴は「こぶとり爺さん」と同じく、無欲な老人と強欲な老人の対比であり、因果応報など仏教的要素も併せ持つが、『グリム童話』にある「ホレ婆さん」との類似性も指摘されているとおり、筋立てはありふれたもので独自性は見られない。特徴的なのは異界の住人であるネズミが善人に福をもたらすという筋立てであり、ネズミは「根の国の住人」(根住み)とも見られており、米倉などにあるネズミの巣穴は黄泉の国浄土への入り口と言い伝えられる地方がある。

またこの話は鼠を神の使い、あるいは富をもたらす者とする民間の観念が反映されている。この昔話のような鼠の世界が地中にあるとする観念は、古くからあり室町時代物語の『鼠の草子』や『かくれ里』にも克明に描写されている。

この話の中で歌われる鼠の餅搗き歌は地方によって変化があり、土地によっては<鼠とこびきは引かねば食んね、十七八なるども、猫の声は聞かないしちょはちょちょ>(新潟県)のように実際の民謡が盛り込まれている例もある。

一般的に「ねずみ浄土」・「おむすびころりん」の名でよく知られているこの話は、異郷訪問譚に分類されます。地下にあるネズミの楽園を訪ねて財宝をもらってくる昔話で、全国に分布し、特に東北と中国地方に多くの類話がみられます。東北地方では豆が、関西以西(南)では団子がころがり落ちる話の方が多く、九州地方では団子が穴に落ちていく音が強調されています。(例だだごろ、だだごろ、すってんとん)

 Photo この話が全国的に巾広く分布している背景(・ネズミは神にかかわる動物(俗信)・生活苦のない豊かな浄土への憧れとものを貯えるネズミの習性との結合)「地蔵浄土」は「鬼の博打」とも呼ばれ、主人公が地下の地蔵の所へ導かれ、金や宝を得て帰ってくる昔話で、地蔵は現実と冥界の境に立つ人を救うといわれています。

 全国的に分布する「ねずみ浄土」の方が古いと考えられますが、異質の秩序の支配する異郷へ、そこの住人の案内、あるいは無邪気にまよいこんだ結果、不思議が起こるというモチーフは共通でどちらの話にも、まねをして無理やり異郷を訪問して失敗する隣の爺婆型(舌きり雀・こぶとり爺さん等)の話がついています。

ではねずみ浄土」のお話を紹介しましょう。

「ねずみの浄土.

ある所に与兵衛とお房という仲の良い老夫婦がおりました。

与兵衛さんは、朝、目を覚ますと、「ほい、ほっほっ、ほい、ほっほっ。」と体を動かし、お房さんとあさげをとりました。与兵衛さんは箱膳に箸をしまうと、

「ではら、お房、いってくらぁ。」

といいます。するとお房さんは

「はい、いってくらせ。」

とおにぎりを三つ渡します。

こうして毎日、与兵衛さんは、お房さんの握ったおにぎりをもって山や畑に出かけました。

春、彼岸の日、与兵衛さんは山菜を取りに山に入りました。背負い籠の中に、ぜんまいやら蕨(わらび)やら、たくさんとれたので、ちょうど良いあんばいの石に腰掛けて、お弁当をひろげました。Photo_2

するとおにぎりがひとつ、与兵衛さんのひざから転がり落ちました。

「ああっ、お房のおにぎり…。」

おにぎりはコロコロコロところがっていき、与兵衛さんは慌てて追いかけていきました。

「おにぎり 待て待て ほいほっほ。」

「コロコロ コロリン コロコロリン。」

「待て待て おにぎり ほいほっほ、待て待てほっほ 待てほっほ。」

「コロリン コロコロ コロコロリン。」

おにぎりはコロコロと草むらをころがり、木の枝をピョ~ンとはね、切り株の下にある穴に転がり落ちました。

与兵衛さんは切り株の穴に手を入れて、おにぎりを探しました。穴の中は広く、与兵衛さんの手はどこにも届きませんでした。与兵衛さんが不思議に思っていると、

「コロコロ コロコロ おにぎりっこ。もっとくれろ、もっとくれ。」

と穴の中から聞こえてきました。

不思議に思った与兵衛さんは、おにぎりをもう一つ、穴の中に入れました。するとおにぎりは、コロコロと転がって、穴の中に消えていきました。

しばらくすると、また穴の中から声が聞こえてきました。

「コロコロ コロコロ おにぎりっこ。 うんめぇかった、うめかった。じじさ、こっちにおいでなさい。」

与兵衛さんは、どこから声がしたのかと、穴の中を覗きました。しかしあたりは真っ暗で何も見えません。与兵衛さんはもっとよく見ようとぐいっと身をのり出しました。

その瞬間、与兵衛さんは穴の中へコロコロコロと転がり込んでしまいました。

しばらくすると与兵衛さんは、穴の底にいました。そこにはお地蔵様がおられました。

「ほへっ? お地蔵様がおらを呼ばれたのかな? なら、おにぎりを転がして失礼しました。ここにもうひとつ、泥のついてないおにぎりがあるすけ、どうぞ、許してくらせ。」

与兵衛さんは残っていたおにぎりをお地蔵様に供えました。すると、穴の奥からもう一度、与兵衛さんを呼ぶ声がしました。

「じじさ じじさ うめかった。 こっちにおいで、おいでなさい。じじさ、じじさ、おいでなさい。」

与兵衛さんはびっくりしてお地蔵様を見ました。するとお地蔵様は目を開けられると、

「与兵衛さん、与兵衛さんを呼んだのは私ではない。この穴の奥に住むものがよんだのじゃ。」

「お地蔵様。」

与兵衛さんはお地蔵様が話されたのできょとんとしました。

「よいか、与兵衛さん。この奥に行きなされ。しかし、けっして猫の鳴きまねをしてはいけませんよ。」

お地蔵様はそう言うとまた目を閉じられました。

与兵衛さんはしばらくぼんやりしていましたが、「わかりました、お地蔵様。」と言うと奥の方へ向かって歩いていきました。

しばらく歩くと穴の中が薄ぼんやりと明るくなってきました。するとまた、声が聞こえてきました。

「じじさ、よくおいでくださいました。」

与兵衛さんは声のする足下を見ると、ネズミが三匹頭を下げていました。

「わしを呼んだのは、お前さま達かね?」

「はい、わたすたちです。 おにぎりっこ、うめかった。ちょど、まま焚くひまもなくて困っておりました。ありがたくいただきました。」

与兵衛さんが耳をすますと。チュチュチュ、チュチュチュと、ちいさな泣き声がします。

「おらとこのムスメッコが三人。」

「おらとこのムスメッコも二人。」

「おらとこなぞ五人もムスメッコが産気づいてしまって、今、やっと、産み終えたばっかりさ。」

「・・・それは難儀な事でした。」

与兵衛さんはネズミ達の話にすこしびっくりしました。

「で、じじさ、これからお祝いのお餅つきをしますさ。じじさも一緒にお祝いしてもらえないだろかね?」

「ああ、いっしょにお祝いさせてください。」2

与兵衛さんは、目を細めて答えました。するとあたりにぽつぽつちいさな明かりがつきました。それはネズミのぼんぼりでした。穴の中にはたくさんのネズミの家があり、のきが幾重にも重なって、京の都がすっぽり穴の中にはいっているようでした。そこからゾロゾロたくさんのネズミが出てきて、お祝いの餅つきがはじまりました。

「にゃんごおらねば、ネズミの世ざかり、 ほいほいポンポン、ほいポンポン。 鈴の音ならねば、ネズミの天下、 ほいほいポンポン、ほいポンポン。 百になっても、二百になっても、にゃんごの声などきぎだくね。 ほいほいポポポン、ほいポポポン。」

つき終わったおもちは姉御かぶりのネズミ達が、小豆餅だの麦こがしだの、いろんなおもちをポコポコと、次々に作っていきました。

与兵衛さんはネズミのあまりの数の多さに目をぱちくりし、次々につきあがるおもちに、またまたびっくりしました。しばらくすると、ムスメッコのネズミ達が赤ちゃんを連れて与兵衛さんに挨拶に来ました。赤ちゃんネズミは、「ちゅ。」と鳴きました。一匹、二匹、三匹と、「ちゅ。」「ちゅ。」「ちゅ。」と鳴きました。 十人のムスメッコの赤ちゃんたちは、全部で二百四十八おりました。与兵衛さんは、ネズミ達と一緒に、小さなお餅を食べ、赤ちゃんネズミのお祝いをしました。

さっきの親ネズミが三匹、大判やら小判やら金銀の大粒小粒を持ってきました。

「じさま、これは面白くて引いては来たものの、わしらには使い道の無いものです。持って帰って使ってくだされ。」

そう言ってネズミ達は与兵衛さんを家まで送りました。家に帰ると与兵衛さんはお房さんに、ネズミのお産の話をしました。するとお房さんは、次の日からおにぎりをおじいさんの分と、赤ちゃんネズミの分を作って、与兵衛さんに渡しました。

それから与兵衛さんは毎日穴の前におにぎりを置いておくようになりました。与兵衛さんがおにぎりを切り株の穴の前に置いておくのを見て、隣の弦蔵おじいさんは不思議に思いました。そして婆さまに、与兵衛さんは、なんしてあんな事をするのか、隣へ行って聞いてこいと言いました。

そしてお房さんからネズミのお産の事を聞くと、自分もちょっと真似してみようかと、婆様におにぎりこさえてもろうて、穴の前に行きました。

弦蔵さんは与兵衛さんの置いたおにぎりをはねのけると、自分の持ってきたおにぎりを穴の中に転がしました。するとおにぎりは入り口の所に、グシャリとつぶれてしまいました。

腹を立てた弦蔵さんはつぶれたおにぎりを穴の中にけり入れました。弦蔵さんはしばらく耳をすませていましたが、何も聞こえて来ません。弦蔵さんはおにぎりをもう一つとりだすと穴の中に蹴り入れました。すると足下が崩れ弦蔵さんは穴の中にどどどどっと落ち、何かにゴツンと頭をぶつけました。3

「あたたたたたた。」

弦蔵さんは頭をかかえていました。見るとぶつかったのはお地蔵様でした。

「なしてこんなところに、お地蔵さんがおる?」

弦蔵さんは頭をかきかき、残ったおにぎりを自分で食べてしまいました。すると、弦蔵さんの後ろで、お地蔵様が目を開けられ、

「弦蔵さん、けっして猫の鳴きまねをしてはいけませんよ。」

と言ってまた目を閉じられました。弦蔵さんは誰が何を言ったのかわからず、きょとんとしていました。

すると穴の奥の方から声が聞こえてきました。

「にゃんごおらねば、ネズミの世ざかり、 ほいほいポンポン、ほいポンポン。」

話に聞いたネズミの餅つき歌でした。弦蔵さんは声のする方へ頭をゴンゴンぶつけながら進みました。弦蔵さんが穴の奥にいくと、たくさんのぼんぼりの下に、着飾った小さなネズミ達がたくさん、千歳飴を持って座っていました。

その前でネズミ達が大勢でおもちをついていました。どうやらネズミの七五三のようでした。

「鈴の音ならねば、ネズミの天下、 ほいほいポンポン、ほいポンポン。 百になっても、二百になっても、にゃんごの声などきぎだくね。 ほいほいポポポン、ほいポポポン。」

弦蔵さんはここが与兵衛さんの来た所だと思いました。ここには小判や金銀の大粒小粒がたくさんある。弦蔵さんはハッとしました。そうだ猫の鳴き声をするんだ。

弦蔵さんは大きな声で猫の鳴きまねをしました。

「うにゃあぁあぁ~~~っごぉ。」

歌がぱたっとやみ、ぼんぼりの明かりが消えてあたりが突然真っ暗になってしまいました。

「・・・・・・・あっ。」

弦蔵さんがびっくりしていると、 暗やみの中に、ネズミ達がチュチュ~~~ッと、どこかへ走り去る声が聞こえました。

弦蔵さんは真っ暗な穴の中でぽつんと一人、もうどうにもなりませんでした。

弦蔵さんは次の日、おにぎりをもってきた与兵衛さんに助けだされました。

与兵衛さんは切り株の中に入って見ましたが、中は崩れていて、もう先には進めませんでした。お地蔵様もネズミ達もみつかりませんでした。

「ネズミ達はどこに行ったのかね?」

与兵衛さんはお房さんに聞きました。

お房さんはお茶をすすりながら、

「もしかすたら、また、どこかの切り株の下で、にゃんごの声などきぎだくね。と、お餅をつきながら、歌ってるかもしれねぇな。」と答えましたとさ。

したっけ。

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緊張を和らげる秘策をもっていますか?

2010-03-25 11:52:03 | トラ場(ブログ人投票箱)

そんなものがあったら誰も緊張する者はいなくなるべさ。緊張するときは緊張するんだから緊張してればいいんでないかい。

無理に緊張をほぐそうとすると、益々緊張したりして、逆効果になったりするんでないかい。

あんまり緊張しないのも、図々しく見られて困るかも・・・

緊張するからこそ、それが緩和されたときに喜びとなり爆発するのだと思います。先のバンクーバーオリンピックでは選手が競技を終えたときの顔は生き生きとして輝いていました。

したっけ。

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「おにぎり」「おむすび」について考える

2010-03-25 10:23:08 | 雑学・豆知識・うんちく・小ネタ

「おにぎり」という人もいれば、「おむすび」という人もいます。この2つの違いは何なのかでしょPhoto Photo_2 うか。 「おにぎり」と「おむすび」の違いは、歴史や形状による特徴などを考えてみましょう。

日本の大部分で「おにぎり」と呼ぶのに対して、関東~東海道にかけては「おむすび」と呼ばれているようです。しかし・・・同じ関東でも、東京や神奈川に関しては「おにぎり」と呼ぶそうです。私の住んでいる地域(北海道)では「おにぎり」が主流です。

他にも、「握りまま(青森県)」や「おにんこ(栃木県)」といった呼び名が存在す711 Photo_3 るとか。コンビニにはローソン1975大阪府豊中市に1号店)セブンイレブン1974東京都江東区に第1号店)共に「おにぎり」と「おむすび」があります。

因みに、両店とも三角状のものを「おにぎり」と呼び、丸いものを「おむすび」と呼んでいるようです。

そこで、「おにぎり」と「おむすび」の違いを3つの観点から比べてみることにします。

形状によるおにぎりとおむすびの違い

Photo_4 古事記に出てくる三柱の神天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)」と「高御産巣日神(たかみむすびのかみ)」、「神産巣日神(かみむすびのかみ)」は天と地が別れてはじめて現れた神様の名前です。そのうち、高御産巣日神と神産巣日神に共通する言葉「産巣日(むすび)」に関係があるようなのです。

これは天地万物を生み出す神霊、またはその霊妙な力を意味しています。当時の日本人は山を神格化して、その神の力を授かるために米を山型(神の形)にかたどって食べたと思われます。それが「おむすび」の始まりだそうです。Photo_5

よって、「おむすび」は三角形でなくてはなりません。このように、形状を問わない「おにぎり」とは根本的な違いが見られます。

おにぎりとおむすびの違いは他にも諸説があり、上記とは逆におにぎりは三角型で、おむすびは俵型という説もある。

作り方によるおにぎりとおむすびの違い

1.        手製で作られたものを「おむすび」といい、「おにぎり」は道具を使って作られたものを指すという説があります。よって、歴史的にも「おにぎり」の方が浅いということになるでしょう。

2.        ご飯粒を手で丸めただけで、食べているうちにボロボロとこぼれてくるものが「おにぎり」。逆に、ご飯粒をしっかり結びつくように握ったものが「おむすび」という説。

ただし、これらの説に関しては「間違った区別方法」とする見方もあるようです。

呼び名によるおにぎりとおむすびの違い

握り飯または「おにぎり」の方が歴史の古いという説もあり、それの女房言葉、もしくは丁寧語として「おむすび」という説もある。

江戸時代、身分の高い女性ら(大奥など)がそのように言い換えたのでしょう。この説によると、歴史的には「おにぎり」の方が古いということになります。歴史的には「形状」とは逆になります。「おむすび」は「おにぎり」よりも上品な言葉なのでしょうか。

おにぎりは「鬼を切る」という言葉に似ているため、魔よけの効果があるとの説もあり、鬼退治に白飯の握り飯を投げつけたなどの民話もある。また、おむすびは「むすぶ」という言葉に、霊を包み込む、土地を守る産土神(うぶすな)を指すという説もある。

おにぎりとおむすびの歴史

おにぎりの起源平安時代の屯食(とんじき)であると言われています。屯食とは玄米を卵形に握り固めたもので、平安時代に宮中や貴族の家で何らかの催し物があった時に屋敷で働く人々のために「ご苦労様」という意味をこめて配られていました。形が鳥の卵に似ている事から「鳥の子」ともよばれたようです。

それ以降、おにぎりはお皿のいらない簡単で便利な食べ物として戦国時代の携帯食や野良仕事の弁当として重宝されました。

明治18年(1885年)には、日本で最初の駅弁として梅干入りのおにぎり二つと沢庵を添Onigiri えて竹の皮で包んだ弁当が栃木県宇都宮駅で販売されました。

現在でもお弁当や行楽の時の携帯食としてはもちろんの事、災害時の「炊き出し」などあらゆる場面で日本人の食生活に深くかかわっている食べ物です。

現在では海苔を巻いたおにぎりが主流ですが、おにぎりに海苔を巻くようになったのは江戸時代中期頃、世の中に四角い板海苔が登場した頃からの事です。Nenpyo_nigiri

Ntchanohata11 Onigirikaseki  また、昭和62年(1987年)には石川県鹿西町(ろくせいまち)杉谷チャノバタケ遺跡の竪穴式住居跡から、2000年前の弥生時代のものと推測される日本一古いおにぎりの化石が発掘されました。

この項では「おにぎり」という言葉を使いましたが、「おにぎり」と「おむすび」のはっきりとした違いはわからないのです。残念な結果となりました。その地域によって違うのでは・・・と言ったところでしょうか。

Cgbcしかし「おにぎり」と「おむすび」は、お米の食べ方としては最高に美味しいものだと思います。だから、弥生時代の昔から現代まで食べ続けられているのだと思います。

私の友人に「おにぎり」と呼ばれている男がいます。中学生のころからいまだに彼は「おにぎり」と呼ばれ、皆から愛されています。

したっけ。

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映画:「NINE」

2010-03-24 16:32:09 | 映画

「NINE」観てきました。女優陣一人ひとりのダンスシーンは圧巻です。特にペネロペ・クルスは超セクシーです。ニコール・キッドマンの透き通る肌とウエストは、それだけで画になります。ジュディ・デンチも渋い歌を聴かせます。最後に一人づつ画面に登場するシーンのおおとりを飾るソフィア・ローレンは流石の貫禄を見せます。絢爛豪華とはこの映画のことでしょう。それだけで十分な映画でした。
したっけ。

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倉内佐知子

「涅槃歌 朗読する島 今、野生の心臓に 他16篇(22世紀アート) 倉内 佐知子 22世紀アート」

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