都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
今日は一日雨です。庭の八重山吹が咲いたので、大田道灌の話でもしましょう。
太田道灌(おおたどうかん):室町後期(1457~1486年)の武将です。
道灌が父を尋ねて越生(おごせ)の地に参りました。その時、突然のにわか雨に遇い農家で蓑を借りようと立ち寄りました。すると、娘が出てきて一輪の山吹の花を差し出したのです。道灌は蓑を借りようとしたのに花を差し出され、内心立腹いたしました。
後でこの話を家臣にしたところ、それは後拾遺和歌集の「七重八重 花は咲けども 山吹の実の(蓑:みの)一つだに なきぞ悲しき」の兼明親王の歌にかけて、家が貧しくてお貸しする蓑(実の)一つさえございませんということを、奥ゆかしく断ったのだと教えられます。古歌を知らなかったことを非常に恥じた道灌は、それ以後。歌道に励んだと言うことです。
古歌を知っていた娘も素晴らしいが、それを恥じて歌道に励んだ道灌も又素晴らしい人物だったということですね。
したっけ。
天気予報が当たり、昨夜から雨。それでも朝は小降りになったので、家内は朝からお弁当つくり。お弁当は娘がつくるのだから、家内がつくらなくても・・・。でも、自分がつくったお弁当を孫に食べさせたいのでしょう。
午前6時30分、娘から「運動会中止」のメール。
家内はがっかり。「お昼に持っていこうかな。」ってつぶやいた。「よせよ。」私も小声で返事をした。
したっけ。
明日は、娘の娘(孫)の中学最後の運動会です。私はいつも写真係りです。撮った写真をフォトムービーにしてあげます。パパはビデオ係りです。
家内と娘は見学に専念しています。お菓子を食べながら。
中学校の運動会は、写真係りは大変です。皆同じジャージーを着ているのです。見分けが付きません。全く違う子を撮っていることも度々です。パパは自分の娘ですから見分けが付くようです。私だって、自分の孫なんですけど、どの子も同じに見えてしまいます。
天気予報は、今晩雨で明日は曇時々雨です。
予報が大はずれで、晴れるといいんですが・・・。
したっけ。
毎日庭木の写真を撮っています。
親父がこの家を建てた時から造ってきた庭です。私は仕事が忙しかったのと木とか花には興味がなかったので、全く名前が分かりません。今、仕事をしなくなってよく庭を見ると、色々な樹木があることに気づきました。
親父が植えた樹木の名前も知らない。考えれば殆ど会話もしなかったことに気づきました。それで、樹木図鑑を買いました。せめて親父の残した樹木の名前くらい覚えようと思ったからです。調べていくと難しくて大変です。親父は名前を全部知っていたのだろうかと思うくらいです。躑躅だけでも何種類もあります。
図鑑で分からないものは、インターネットの図鑑で調べます。市の施設に写真を持っていって教えてもらいます。それでも分からないときは、写真をブログに掲載して教えを請います。おかげで随分分かってきました。
今、自宅庭の植物図鑑を作成しています。花が咲くたびに、変わった木、草花、雑草に至るまで、写真に撮っています。とても面白くなってきました。特に雑草は面白いです。
私は今、毎日庭木の写真を撮っています。
したっけ。
蜃気楼の時計
都月満夫
今朝は雲ひとつない青空です。桜の花びらが、舗装の道を転がっています。舗装の十字路の角に、花びらが集まっています。この花びらの道の上を僕は車で走っています。この青空の下を、僕はこれから、彼女に逢いに行きます。
僕は帯広で生まれ、帯広で育ちました。帯広の空気は青く突き抜けています。十勝の春は、緑が一面に広がっています。札内川の清流は、ガラスのように輝いています。雲雀は青空の中に、囀りと共に、吸い込まれていきます。街はタータンチェックの様に整然としています。
釧路の空は重く垂れ下がっています。空気は不透明に澱んでいます。海は灰色に盛り上がっています。カモメはいつも風に流されています。モザイクに刻まれた街は、雑然として迷路のようです。霧に沈む街並みは幻想のようで、晴れ間に現れる現実と交錯します。僕は、未だに迷路の中で迷子になります。
彼女は釧路で生まれ、釧路で育ちました。霧の町釧路で生まれた女の子だから霧子。あまりにも単純な命名だと彼女は怒っていました。でも、誰でもすぐに憶えてくれると、笑ってもいました。
そんな霧子に、僕は帯広の青い空を見せてあげたいと思います。十勝平野の緑の大地に立ってほしいと思います。札内川の清流の輝きを感じてもらいたいと思います。天空に響く雲雀の囀りを聞いて欲しいと思います。四角い街並みを二人で歩きたいと思います。
僕たちの出逢いは偶然でした。僕がたまに行く喫茶店『FOG』で、霧子はアルバイトをしていました。その店は、クラッシック音楽が、いつも流れていました。霧が流れるように、静かに流れていました。僕は音楽に特別興味があった訳ではありません。でも、僕はただ、その店の静けさの中に、身をおくことが、とても気に入っていたのです。
マスターは、五十歳代の無愛想な人です。いつも、パイプ煙草の煙を棚引かせ、本を読んでいます。LPレコードを丁寧に拭いています。客が大声で話をすると「出て行ってくれ…。」とボソッと言うような人です。昼間でも仄暗い店内が、静かで落ち着けたのです。だから、気に入っていたのです。
そして、コーヒーを運んでくる女性の、チョッとだけの笑顔が、気になっていたことは言うまでもありません。
ある日、彼女がコーヒーを運んで来たときに、僕がトイレに行こうとして立ち上がりました。僕の肩が、彼女が持っていたトレイに触れて、コーヒーを溢してしまったのです。
「ごめんなさい…。」
彼女が小さい声で言いました。
「大丈夫…です。」
僕も小さい声で言いました。二人はマスターの方を、ソーッと見て、顔を見合わせました。彼は気が付いていないようでした。
こうして、僕たちは話をするようになりました。そのとき初めて、同じ大学に通う学生だと分かりました。それだけで二人は近親感と安心感を抱き、付き合いが始まりました。
僕は大学で、小学校の教師を目指していました。霧子も同じ大学の二年後輩でした。
霧子がウエイトレスのアルバイトをしていなかったら、僕たちは出会わなかったかもしれないのです。僕があの時、尿意をもよおさなかったら、僕たちは付き合わなかったかもしれないのです。
釧路の町は、漁業と石炭で活気に溢れています。霧子の父親も炭鉱に関連した会社の役員をしていました。彼女の父親は、「東京の短大に入学して、卒業したら、すぐにお嫁に行くように…」と言ったそうです。
父との話し合いは平行線のままでした。霧子はどうしても教師になりたくて、家を出ました。霧子は、父親が嫌いだった訳ではありません。釧路も嫌いではありませんでした。だから、釧路の大学に進学しました。父親との決定的な断絶は避けたかったのです。
こうして、霧子は釧路に留まり、アルバイトを始めました。僕は教師になりたくて、帯広から釧路にやって来ました。そして、小さな喫茶店で二人は出会ったのです。
僕は憧れの教師になりました。帯広の小学校で、もう二年目になりました。
僕は卒業して、帯広に戻ってからも、何度も釧路に行きました。そのために、中古の軽自動車を買いました。三六〇CCの軽自動車です。先生たちの中で、自家用車を持っている人は数人しかいません。殆どの先生は、バイクか自転車で通勤しています。徒歩で通う先生もいます。新米の教師が、自家用車を買ったというので、とやかく言う先生も何人かいました。しかし、僕にとっては、自家用車は必需品だったのです。霧子に会いに行くために、必要だったのです。
僕は霧子に電話をしました。必ず話ができるように、電話をかける時刻は決まっています。夜の九時、僕たちはそれを「ナインコール」と名づけました。電話を掛けるときのダイヤルが戻るスピードが、とても遅く感じられました。こうして、僕は霧子に、教師生活の素晴らしさを、毎晩話しました。
その日にあった出来事を、僕は夢中になって話しました。一人ひとりの児童の名前を挙げて、話しました。
霧子は目を輝かして僕の話を聞いてくれました。勿論、電話ですから、目の輝きなんか見えません。見えなくたって、僕には判ります。霧子は僕と同じくらい、僕の児童のことを知っています。もし彼女が、僕の児童の前に立ったら、一人ひとりの名前が言えると思います。「私も早く、子供たちの前に立ちたい。」と、胸を躍らせています。
黒い受話器の重さなど、気にすることもなく、僕たちは、毎晩話しました。
明日からゴールデンウイークです。帯広ではもう桜が咲きました。釧路は、まだ咲いていないと思います。でも、霧子の笑顔は桜以上に素敵です。これが霧子の笑顔ですと、みんなに見せてあげたいくらい素敵です。その笑顔に、僕は今から逢いに行くのです。
「兄貴、父さんがいなくなったって本当か。」
「ああ、うちのおかあさんが仕事から帰ったらいなかったんだけど、七時を過ぎても帰らないんで、お前に電話したんだ。」
「車を運転して行ったんだって?」
「最近、変だったから心配なんだよ。」
「何かあったの。」
「うん、お袋が亡くなって、そろそろ三年だ
けど、未だに受け入れられないみたいで…。」
「それは、ズーッとそうじゃないか。」
「そうなんだけど…。最近、お袋に逢いに行くとか、迎えにいくとか、ポツリと言ったことがあってな…。」
「そんなこと、よく言うんじゃないの…、年寄りは…。」
「それが、よく言うって、そういう表情じゃないんだよ。何か視点が定まらないっていうか、ぼんやりしてることがあったりして…。」
「それはそうなんじゃないの。父さん、母さんのことが大好きだったし…。」
「そういうんじゃないんだ。時々、大丈夫かなって…。時々なんだけど…な。」
「それって…、認知症?ってこと…。」
「かもなって…、感じ…。普段は全然なんともないんだけどな…。親父、どこかに出かける時も、遅くなるときも、必ず連絡して行くじゃない。几帳面だから…。」
「義姉さんにも連絡なしってこと…。」
「そう、こんなこと今まで一度もなかった。お義母さんが生きているときも、亡くなってからも、一度もなかった。」
「そうだよ。一度もなかったよ。記憶にないもの。」
「だったら、兄貴、警察に届けたほうがいいんじゃないかな。」
「だけど、なんかあったら、警察のほうから連絡があるんじゃないか?」
「もう少し待つか…。」
「じゃあ、コーヒーでも落とすか…。」
「いいね。兄貴は何飲んでるの?」
「モカ…。」
「相変わらずだな。」
「そう。相変わらずさ。」
「おとうさん、そんな呑気なことしていて、いいの?」
「いいさ、待つしかないだろう。」
「ところで、兄貴…。父さん、最近そんなに落ち込んでたの?」
「そうだな。お袋の三回忌が去年終わって、仕事をしているうちは、元気だったけど、今年退職してから、元気なかったかも…な。」
「別に趣味があるわけじゃないし…。母さんが趣味みたいなもので、母さんといれば、ご機嫌だったからな。」
「ほんとに、お義父さん、お義母さんのことが大好きだったもの。」
「そうだよ。兄貴の名前が『航』で、オレが『洋』そして義姉さんの名前が『渚』って分った時は、大喜びだったからな。」
「そういえば、私もお嫁に来てから言われたことがあった。いい名前だって…。」
「そして、親父の名前が、水平線から日が昇るで『昇平』。だけどお袋の名前があんな名前でなかったら、俺たちこんな名前付けられてなかったと思うよ。おまけに苗字が『海野』だもの。」
(笑い)
「兄弟で、そんなに笑っていてもいいの?」
「いいさ、どうしようもないんだから…」
「おとうさん、お湯が沸いたわよ。」
僕は今、霧子を迎えに行きます。彼女のアパートまで、迎えに行きます。僕たちは来月、結婚します。だから今日は引越しなんです。郊外の団地の市営住宅に引越しするのです。
僕の父親が勤務先の会社から、トラックを借りてくれました。後で、母さんと二人で来てくれます。弟も手伝いに来てくれます。霧子のご両親も手伝いに来ると言ってくれましたが、遠いので、お断りしました。
僕は先に行って、霧子と荷造りをします。夕べ二人で細かいものは片付けたので、もうそんなには残っていません。女性の一人暮らしなので、大きいものはありません。ベビーダンスと、化粧台、布団ぐらいです。
二人の両親はとても喜んでくれています。互いの両親の笑顔に包まれて結婚する僕たちは、本当に幸せです。親たちは心配して、いろいろ買ってくれると言いました。でも、小さな団地なので大げさなタンスとかは、かえって邪魔になるので断りました。それでも、彼らはどうしても何か買ってくれるというのです。
霧子の両親には食器棚を買ってもらいました。すると、食器のセットまで買ってくれました。僕の両親には、ちょっと大き目の冷蔵庫を買ってもらいました。今、流行りのツードア冷蔵庫です。上下に分かれていて、上が冷凍室になっています。共稼ぎの僕たちには大き目がいいと思ったからです。食器棚と冷蔵庫は、団地のほうに直接届けてもらうことになっています。
結婚式は会費制で行います。一般的には、会場を借りて、仕出し屋さんから料理を取って行います。会場の設営は勿論、余興のバンドの手配から、司会まで発起人の仕事です。
でも、それでは発起人になってくれた先生方が大変なので、結婚式場で行うことにしました。種々の段取りは式場がやってくれる、新しいやり方です。余興の生バンドや司会の人も、式場で手配してくれます。
霧が出てきました。急がないと、濃霧になるかも知れません。
「美味いね。兄貴の落としたコーヒー、久しぶりだよ。」
「コーヒーを飲むと、気持ちが落ち着くな。」
「ホント、ほっとするよ。」
「二人とも、コーヒーなんか飲んでる場合じゃないわよ。霧が出てきたみたい…。」
「本当だ。霧だよ。兄貴、警察に電話してみようよ。」
「そうだな、電話するか…。」
「そうしたほうがいいわよ。」
「もしもし、…」
僕は彼女を迎えに行くんです。何処に住んでいるのかって?
そんなことを何故あなた方に話さなければいけないんですか?
ぼくの年齢ですか?
そんなことあなた方に何の関係があるんですか。霧が出てきたじゃないですか。早く行かなければ…。彼女が待っているんですよ。
何しに行くのかって?
引越しですよ。だから彼女のアパートまで迎えに行くって、言ってるじゃないですか。僕たちは結婚するんですよ。
もう夜ですよ…って?
分かっていますよ。あなた達が僕を引き止めているから、夜になってしまったんじゃないですか。どうして、僕がここに引き止められなければならないんですか。
失礼じゃないか、君たち。僕は大人で、これから結婚するって、さっきから言ってるじゃないか!
霧子だ。霧子だよ!
誰だって?僕の婚約者だよ。僕がこれから迎えに行く、彼女だよ。
何を笑っているんだ、君たちは。僕が結婚するのが可笑しいのか?僕が結婚しちゃいけないのか?
「私の父親なんですが、六十一歳です。家にいないんです。こんなことは今までなかったもので、何か事故にでもあったのではないかと心配で…。そうですか、今のところ事故の連絡は入っていないですか。はい、特徴ですか。身長は一六八センチメートル、小太り、頭は七、三分けで多少白髪があります。服装は多分、濃紺のブレザーに紺のズボン、青いシャツを着ていると思います。携帯電話は持っていません。はい、お願いします。」
「兄貴、何だって?」
「うん、今のところは、事故もないし、該当するような男性は保護されていないそうだ。」
「それはそれで安心だけど…、それじゃ何処にいるんだ?」
「何か分かったら連絡をくれるそうだから、待つしかないだろう。」
「おとうさん、教員時代の先生方に訊いてみたら。何か分からないの。」
「そうするか。だけど、親父の住所録、何処にあるんだ。まず、それを探さないと…」
「…。」
「電話が来たわよ。警察かも…」
「はい、そうです。それらしい人が交番に保護されている…。名前も、住所も、年齢も分からない…。免許証を持っていない。ウチの父親はそんなことはないと思いますが…。えっ、結婚ですか?結婚するって言ってるんですか。母親は三年前に亡くなりましたが、結婚の話は聞いておりません。そんな予定はありません。彼女を迎えに行くって言ってるんですか?お付き合いをしている女性はいません、違いますね。ウチの父親ではありませんね。えっ、もう一度お願いします。霧子ですか?霧子って言ってるんですか、迎えにいく彼女の名前。青い服を着てるんですか?それ…、ウチの親父です。…多分。」
電車内で立っているお年寄りを見かけたとき、あなたはどうしますか?
馬鹿言ってんじゃねえよ。北海道で電車が走ってる街なんぞそうないんだ。勿論オレの住んでるのは多数派の、走ってねえほうだよ。何処でも電車が走ってるって想定して問いかけるのは如何なもにでしょうか。日本には、列車もバスも走ってねえところだっていっぱいあるんですよ。
まっ、オレんとこは、バスは走ってるけど、乗ってるのはほとんどお年寄りだ。どうすんだよ。
電車に乗ってると、想定して書くしかねえな。
お年寄りって何歳からだよ。調べたらややこしいよ。
老人とは、年をとった人。年寄り。老人福祉法では、老人の定義はないが、具体的な施策対象は65歳以上を原則としている。・・・だってよ。
高齢者の線引きはあいまい且つ主観的な部分があり判断は容易ではない。そりゃそうだ。見た目じゃ判断できねえよ、年齢なんて。定年退職者もしくは老齢年金給付対象以上の人を言うとも考えられる。・・・ときた。退職してるかどうかどう判断するんだよ!
いずれにしても厳密な基準はなく、高齢運転者標識では70歳以上を対象とし、後期高齢者医療制度では65歳以上75歳未満を前期高齢者、75歳以上を後期高齢者という。また、WHO(世界保健機関)では65歳以上を高齢者とする。・・・だってよ。
高齢者だって元気な人はいっぱいいるよ。そんな人に席譲ったら怒られちゃうよ。
65歳以上74歳までを前記高齢者、75歳以上後期高齢者、85歳以上を末期高齢者と言う。ちなみに、人口の年齢構造では、0歳から14歳までを年少人口、15歳以上64歳までを生産年齢人口、65歳以上を高齢人口と言う。
どうやら老人、高齢者、年配者の境は65歳らしいな。でも、まだ酷いのもあるぜ。
高齢者とは、成人で一定の年齢以上で職業生活から引退し、社会の第一線から退いた人のことである。高齢者になると、身体の不調が増加し。徐々に死を意識し始めると言われている。子孫を残すという生物としての使命を終え、肉体が衰え死に至るまでの移行期間にある人のことを意味する。・・・だってよ。よくこんな酷いことがいえるよ。オレには、もう用事がないから早く死ねって聞こえるよ。
日本てえ国は御年寄り、老人、高齢者をまるでゴミ見てえに扱ってるんだぜ。昔は年寄りを大切にして敬う国だったはずなのに・・・。勿論姥捨ての時代もあったさ。だけどそれは捨てるほうも捨てられるほうも仕方がねえって覚悟があってのことだよ。
オレだってもうその域に入ってんだよ。そんな哀れな目でオレを見るな。俺はまだ老人じゃねえ。そう思ってるお年寄りだっていっぱいいると思うよ。だからオレは席をゆずらねえ。中には席を譲れと催促するやつがいる。元気なくせに老人を利用するヤツ。でえ嫌いだよ、そんなヤツは。
そりゃ、見るからに具合の悪そうな人が居たら、席を譲るぜ。それが老人であってもなくてもな。それでいいんじゃねえか。老人だから譲るなんて考えないでよ。勿論寝た振りなんて真似はしねえよ。
したっけ。