団塊オヤジの短編小説goo

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都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖

都月満夫の短編小説集2

「羆霧(くまぎり)」
「容姿端麗」
「加奈子」
「知らない女」

都月満夫の短編小説集

「キヨシの帰省」
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」

「生類憐みの令」について考える

2010-10-31 10:01:29 | 雑学・豆知識・うんちく・小ネタ

「生類憐みの令」は、そのような名前の成文法として存在するものではなく、複数のお触れを総称してこのように呼ぶのだそうです。「犬」が対象とされていたかのように思われているが、実際には犬だけではなく、猫や鳥、魚類・貝類・虫類などの生き物、さらには人間の乳幼児にまで及んだといいます。ただ、綱吉が丙戌年生まれの為、特に犬が保護された印象があります。

Photo 一般的に「天下の悪法」として人々に認識されているが、江戸時代史見直しと共に徳川綱吉治世の見直し論も起こり、この令も再検討されている。また、動物愛護法をはじめ、刑法の保護責任者遺棄罪児童福祉法児童虐待防止法として現代においても同様の法令が制定されるに至っていることはあまり知られていません。

江戸幕府第5代将軍徳川綱吉は、貞享4年(1687年)殺生を禁止する法令を制定した。

イヌを殺しただけでなく、なんとボウフラやシラミ、蚊を殺しただけで流罪(島流し)の刑になってしまったという。当然、魚を獲ることも禁止された。

しかし、生類憐れみの令を評価する意見もあり、生類憐みの令のお陰で日本の犬食の習慣が無くなったとか(厳密に言えば、日本で犬食の習慣が完全に無くなったのはつい最近のこと・・・。昭和20年代までは犬食はありました。)、戦国時代の荒々しい風潮を改める事ができたとか、生類憐みの令は捨て子禁止なども含まれているから、捨て子が無くなったとか利点もあるのです。

Photo_2 だけれども、生類憐みの令のお陰で犬目付という役人が動物を苛めていないかと庶民を監視するようになったわけです。庶民にとっては迷惑な法律なわけです。

ちなみに、綱吉は江戸郊外の中野に16万坪の犬の収容所をつくったそうです。しかし、この収容所には、江戸の町でうろうろしていた凶暴な野犬も収容していたので、そのお陰で野犬が出なくなったという利点もありました。

先述の通り生類憐れみの令は複数のお触れに及ぶが、その流れは以下の通り。

生類憐みの令

西暦

和暦

事柄

1685

貞享42

将軍御成の際に、道筋に犬猫が出ても苦しからず

1687

貞享4227

魚鳥類食料禁止(鶏と亀と貝類も含む)

1687

貞享449

病気の馬遺棄者が遠流に処される(武蔵国村民10人)

1687

貞享4430

持筒頭下役人が鳩に投石したため遠慮処分

1687

貞享4626

旗本の秋田采女季品(中奥小姓秋田淡路守季久の嫡男)が吹矢で燕を撃ったため、代理として同家家臣多々越甚大夫が死罪

1688

元禄元年21

屋号の鶴屋および鶴の紋は禁止される

1688

元禄元年

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「ねこの語源」について考える

2010-10-30 10:10:32 | 雑学・豆知識・うんちく・小ネタ

「ネコ」の古名は「ネコマ」だったようだ。平安中期の辞書である『和名類聚抄931 - 938年:源順(みなもとのしたごう)が編纂)』に「禰古万」とある。「ネコマ」の「マ」が落ちて「ネコ」となったと考えられているが、その「ネコマ」、「ネコ」にもいろいろな字や意味が当てられ、さまざまな語源説が生まれている。

ネコの元の呼び名はネコマ、ネコマはネコの寐子で、「よく寝るもの」の意。マはムと通ずるので「好む」のムであるという。つまり、ネコマとは「寝るのを好むもの」という意。

Photo日本釈名1700年 貝原益軒著)』には、「ネコのネはネズミ也、コはコノム(好む)也、ネコとは鼠を好むけものの意也。一説にネコはよく寝るもの也、寝るを好む意ともいう」と記されているそうです。

また、ネコマは寐高麗(ねごま)で韓国渡来の言葉という説もあります。

Photo_2 江戸時代には、相模国金沢称名寺の書物をかじる鼠をとらせていたことから、金沢猫と呼ばれ略して「カナ」とも呼ばれていたそうです。

その他諸説ありますが、「鼠」と「寝ること」に由来したものが多いですね。

1.「ネ」+「コ」+「マ」

  ①「寝」+「子」+「マ」(「マ」は助語)

  ②「寝」+「子」+「獣」

  ③「鼠」+「子」+「待」

  ④「ネ」+「猪」+「マ」(「ネ」は「ネウネウ」という鳴き声から)

  ⑤「似」+「虎」+「マ」

  ⑥「寝」+「毛」+「物」

2.「ネ」+「コマ」

  ①「寝」+「高麗」(猫は仏教の渡来の際、貴重な仏典を鼠から守るために             教典と一緒に唐から連れてこられたという説があり、むかしは「ネコ」を「唐ネコ」、「高麗ネコ」とも呼んでいた)

  ②「寝」+「好む」

  ③「鼠」+「好む」

  ④「寝」+「コマ」(「コマ」は「ネコ」の古名「クマ」が転じたもの)

  ⑤「鼠」+「コマ」(「コマ」は「神」が転じたもの)

  ⑥「鼠」+「軽(カロ)」(鼠に出会うと軽々と働くことから)

⑦「ネ」+「コマ」(「ネ」は「ネウネウ」という鳴き声、「コマ」は「ケ              モノ」の意)

三毛猫の雄(染色体の関係から殆ど生まれないし、生まれても育たない)は船乗りの守り神と言われています。三毛猫の99%はメスだそうです。

三毛猫のオスは古来より船の守り神とされてきました。猫の状態いかんで天候が予知できたり、大時化でも方向が判断できたりすると考えられたからです。無論船荷を鼠の害から守るという実利も猫にはあったようです。

    猫が騒げば時化(しけ)、眠れば好天と予知できる

    猫は船中で必ず北を向くといわれる

長年共に暮らしても新たな発見の楽しみを常に残してくれている我らが神秘の友、猫たちは、その名の語源もベールに包まれたままなのです。

そこがまた、ニャンズを愛してやまない人々の心をくすぐるのではないでしょうか。

Photo_3

したっけ。

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「猫は何故化けるのか?」について考える

2010-10-29 09:25:32 | 雑学・豆知識・うんちく・小ネタ

猫は犬などに比べ手先が器用で、歳をとると様々なことを覚え、扉を開けて出入りしたりします。

また、音も立てずに歩くこと、夜行性で夜出歩くこと、集会を開くこと、暗闇で目が光ることなどから、多少不気味なイメージがあったのでしょう。

Photo_7 猫は夜な夜な空き地に集まる習性があり、これを「猫の集会」というらしい。この集会には順位があり統制が取れているといわれています。

日本には、付喪神(つくもがみ)といい、年月を経たものが妖怪化するという考え方がありました。猫のミステリアスな部分と年月を経たものが妖怪化するという考え方が合わさって、老猫は化けるといわれるようになったのではないかといわれています。俗に10年生きると化けると言われていました。

Photo_8 そんな猫達は昔むかし、とんでもない愚かな昔の非科学的な人達に手により、血塗られた尻尾の歴史を持っているのであります。

それは断尾と言う習慣です。断尾の意味とは、字の如し尻尾を切ることです。では何故、昔の人々は猫の尻尾をチョン切るようなことをしたのでしょう?

答えは「化け猫」なのです。

昔の人達は、猫が年を取ると二股の尻尾を持つ化け猫に化けると信じていたのです。

だん‐び【断尾】

イヌ・ネコ・ウマなど、家畜の尾の一部または全部を切り取ること。

大辞泉

ねこ‐また【猫股/猫又】

年老いた猫で、尾が二またに分かれ、化けて人を害するといわれるもの。

大辞泉

Photo_9 江戸時代以降には、人家で飼われているネコが年老いて「猫又」に化けるという考えが一般化し、前述のように山にいる「猫又」は、そうした老いたネコが家から山に移り住んだものとも解釈されるようになった。そのために、ネコを長い年月にわたって飼うものではないという俗信も、日本各地に生まれるようになった。

江戸中期の有職家・伊勢貞丈(171784年)による『安斎随筆』には「数歳のネコは尾が二股になり、猫またという妖怪となる」という記述が見られる。これらによると、と、「老猫の雄が怪をなして人を食うのが猫又で、純黄の毛の猫と純黒の猫がもっとも妖をなす」とあるそうです。

黒猫が忌み嫌われるのは、このあたりに原因があるのかもしれません。

Photo_10

したっけ。

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「首に鈴をつけられた猫はどうなるのか?」について考える

2010-10-28 09:44:25 | 雑学・豆知識・うんちく・小ネタ

猫の首に鈴を付けると言うアイディアを思いついたのは、猫にいじめられていたネズミたちであった。だが、誰が猫の首に鈴をつけに行くのか・・・。

 Photo 実際に猫の首に鈴をつけると、猫にとってはとんだ迷惑であることをご存知だろうか。

 これは、ネズミを捕らえられなくなるからではない。猫にとって首元で鳴る鈴の音は、とんでもない騒音なのである。

 猫の聴力は、人間の6と言われている。こんなにいい耳を持っている猫が、首元で鳴る鈴の音を聞かされてはたまらないであろう。

 おまけに、猫は40,000ヘルツまでの高周波が聞き取れると言う。人間の限界が20,000ヘルツと言われているので、猫の耳は人間の2倍もの音が飛び込んできているのだ。猫はただでさえうるさい世界に住んでいるのだ。

 そんな猫の首に鈴をつけるのは、ちょっと酷過ぎるのではないだろうか。

Photo_2

 招き猫にも鈴がついているが、江戸時代、猫は高級品で、逃げないように縄で繋いで飼っていたようです。首の鈴もどこにいるのかすぐに解るようにつけたと思われます。

 漫画「サザエさん」に登場する猫は、首に大きな鈴をつけているが、虐待ではないかとは考えすぎであろうか・・・。

19843

したっけ。

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旅行で宿泊するのならば、旅館?ホテル?:今週のお題

2010-10-27 16:57:59 | トラ場(ブログ人投票箱)

「秋といえば、行楽の季節ですよね。

週末を旅行先で過ごされる方も多いのではないでしょうか。旅行する時は宿泊場所選びも楽しみの一つですよね。

みなさんが旅行する時の宿泊場所はどちらを選びますか?

そりゃあやっぱ、旅館だよな。仲居さんが部屋までツーっと案内してくれて、お茶なんか入れて、「ごゆっくりどうぞ。」なんか言われちゃってさ。

露天風呂へ行って湯船に入ろうとすると、向こう向きに髪を上げたお姉さんの背中が見える。

「あの・・・、ご一緒させていただいて宜しいですか?」

「どうぞ・・・。」

なんてんで・・・、

「お一人ですか?」

「ええ・・・。」

「偶然だな。私も一人なんで、今夜よかったら・・・。

ああ、ああ、もうたまんない。旅館だ。旅館だよ。ホテルじゃこうはいかないだようよ。

そうだよ、旅館だってこうはいかないよ。でも、そういう雰囲気ってもんがあるじゃねえか。雰囲気ぐらい味わったっていいだろ。

したっけ。






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 「忠犬ハチ公の意外な死因」について考える

2010-10-27 10:40:21 | 雑学・豆知識・うんちく・小ネタ

  Photo 「かずさん」がコメントに「ハチ公」のことを書いたので、思い出したことをひとつ。

「忠犬ハチ公」については皆さんご存知のことと思います。彼は10年間も渋谷駅で主人お帰りを待ち続け、昭和10年に息を引き取りました。

 彼を解剖したところ、胃の中から焼き鳥の串が4、5本も見つかったそうです。どうやら、腹をすかせたハチ公を哀れに思い、酔っ払いたちが焼き鳥を与えていたらしいのです。

 その串がハチ公の胃を傷つけ、彼を死に至らしめたのである。

 その後、ハチ公の遺体は剥製化され、現在は上野の国立科学博物館に納められているそうです。

したっけ。

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「犬の語源」について考える

2010-10-26 12:51:02 | 雑学・豆知識・うんちく・小ネタ

Quan 「イヌ」の語源は、人間にまとわりついてきて、「何処かへ行け!」の古語「往ね(イネ)」が訛ったものだと言われています。

それではあまり可哀想ですよね。

そのほかには、いつも人間のそばに「居ぬる」から「イヌ」になったという説もあります。

イヌを犬(ケン)と称するのは、いうまでもなくそれがケンケン(k'uen)と鳴くからだそうです。犬(ケン)ということばは、いわゆる擬声語なのです。

余談ですが、「戻る」という字は「戸」に「大」と書きますが、本来は「戸」に「犬」と書き、「?」です。

 字義には2説あります。

    暴犬が戸内に閉じ込められ暴れるさまから、逆らう、もどる。

    玄関の下に悪霊よけのために埋められた犬。

悪霊を追い返す->もどす。家の前に生贄の犬を埋めた形をあらわしたものです。

犬を埋めることで地中の悪霊をはらったそうです。

「戻」も「戸に犬」でないと意味をなさないのですが、「臭」「戻」「器」も、「大」という字が含まれていますが、元は「犬」であり、当用漢字(1946年)常用漢字(1981年)が定められた時に「大」になってしまったそうです。「嗅」は犬が残ったのに、臭は大になりました。こうして、漢字は意味のないものに鳴ってしまうのでしょうか。

もとと「犬」にある点は、犬の耳の意味で、この点をつけることで、「犬」と、人の正面形をあらわす「大」を区別したものです。「犬」から点を取ってしまい、犬も人も同じにしてしまったのが、戦後の漢字改革なのです。

「臭」:鼻を表す「自」と鼻が利く動物「犬」の組み合わせだったのに、自と大になり、何が何だかわからない字になってしまった。

「器」:器は、本来は口4つと犬の組み合わせで、生贄の犬を入れ、神様にささげお祓いをする字が、「器」との事。だから旧字は、点がある。

K_inu 「然」の中には、犬がいるのです。というより犬がメイン。古代の中国では祈りや願いの犠牲として犬がささげられたので、犬を含む漢字は沢山あるのです。「然」は、犬、月(にくづきで肉を意味する)、火(下の点4つ)から出来ている。神様は犬を焼いた匂いが大好きなので、犬の肉を火で燃やして天上の神様にと届ける字が、「然」と言う字なのです。

残酷な話ですが、中国で犬食の文化があったことは「羊頭狗肉」の言葉にも残っています。チャウチャウは食用犬として改良された犬なのです。

身近にいるがために人間の犠牲になってきた犬たちですが、今はペットとして人々に安らぎを与えています。

今は犬を家の中で飼う時代ですから、漢字も変わったと言うことでしょうか。

Photo_2

したっけ。

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「狛犬とは何か?」について考える

2010-10-25 10:03:44 | 雑学・豆知識・うんちく・小ネタ

1 狛犬とは、神社に奉納、設置された空想上の守護獣像です。本来は「獅子・狛犬」といい、向かって右側が口を開いた角なしの「阿像」で獅子左側が口を閉じた角ありの「吽像」で狛犬です。

Photo_2 この向かい合った形が、仁王像とともに「阿吽の呼吸」の語源であることは言うまでもありません。

しかし、この阿吽の形になっているのは日本特有の形式で、中国の獅子像などは、多くは阿吽になっていないそうです。

 獅子・狛犬はもともと別の生き物でしたが、現在ではこの形式を残したもののほうが少なく、形としては阿吽共に獅子に近い容姿になっています。呼び方も単に「狛犬」に定着しています。

 

Photo_3 狛犬の起源は古く、古代オリエントにまで遡ります。国王が強大な力を得るために、地上最強の動物と思われていたライオン(獅子)の力を王に宿らせるという思想があり、玉座の肘掛けに獅子頭を刻んだりするようになりました。

ライオンが守護獣として尊重される風習は世界各国でよく見られるものです。ヨーロッパの家紋にはライオンを象ったものが多いですし、インドでは、仏像の台座にライオンを刻み、「獅子座」と呼んでいます。

 

日本に狛犬が入ってきたきっかけは、いろいろな説がありますが、現在有力視されているのは大体以下のようなものです。

 インドガンダーラを経由して、獅子座思想は中国に入ります。中国人は、龍や麒麟など、様々な霊獣を生み出下お国柄です。獅子も羽をつけたり角を生やしたりしてどんどん空想上の生き物に変質しました。

 いわゆる「唐獅子」と呼ばれる派手な獅子像は、中国文化が生み出した独特のものです。

ガンダーラ

古代インド北西部の地名。現在のパキスタンのペシャワール周辺。クシャン朝の2世紀から3世紀を中心に、西方のギリシャ文化などの影響を受けた仏教美術(ガンダーラ美術)が栄えた。健駄羅。乾陀羅。

大辞泉

 中国でも、皇帝の守護獣として獅子像が定着しましたが、それを見た遣唐使が、日本に帰ってきてから、宮中に獅子座思想を持ち込みました。

けんとう‐し〔ケンタウ‐〕【遣唐使】

古代、日本から唐に派遣された使節。舒明天皇2年(630)、犬上御田鍬(いぬかみのみたすき)の派遣を最初とし、十数回派遣された。中国の制度・文物の輸入が主な目的で、数百名が数隻の船で渡航。政治・学問・宗教などに多くの貢献をしたが、寛平6年(894)に菅原道真の建議で中止。入唐使(にっとうし)

大辞泉

 しかし、日本に持ち込まれた直後に、一対の獅子像は日本独特の「獅子・狛犬」という形式に変わります。

12a

 向かって右側が獅子左側が狛犬獅子は黄色で口を開け角はなし狛犬は白色で口を閉じ、角があるというものです。この「阿吽」形式は、恐らく寺の山門を守る仁王像の阿吽などを取り入れたものと思われます。

 仁王も狛犬も、神(君主)を守護するという役割は同じだということからでしょう。

 これが日本独特の「狛犬」の始まりで、時期は平安時代後期と言われています。

 つまり、日本の狛犬は、天皇の玉座を守る守護獣像として誕生しました。これを「神殿狛犬」あるいは「陣内狛犬」と呼ぶそうです。

中国獅子と狛犬はどこが違うのというと、中国の獅子像は一対あってもほとんどは相似形で同じものが並んでいます。それに対して、日本で生まれた「獅子・狛犬」は、獅子と狛犬という想像上の動物、2つの異なるものが組み合わさっているという点で中国獅子とはまず違っています。

Photo_4 特に、頭に角のある狛犬は、日本どくじのものではないかと言われているそうです。

後に、獅子と狛犬の区別が曖昧になり、呼び方も単に「狛犬」になりました。現代ではむしろ獅子・獅子という構図の「狛犬」が主流ですから狛犬と唐獅子は同じじゃないかという疑問も当然出てくるわけです。

もともと「狛犬」は獅子ではない別の動物として創造されたのですが、時代を経るに従って形の上では獅子のほうが主流となり、呼び方は「狛犬」が定着したわけです。

2ですから、現在、中国獅子と日本の狛犬は似てしまっていますが、「狛犬という文化」が定着し、独自に発展したという意味においては、狛犬は日本独自の文化であるといえるのではないでしょうか。

 

 Photo_5 Photo_6 当初、狛犬は宮中のもので、神社にはいませんでした。しかし、時代を経て、神社に入ってくるようになります。きっかけは、神社に神像を置くようになったことだとも言われています。日本古来の神道では、必ずしも形のある神を祀るわけではなかったのですが、仏教の影響を受け、仏像に代わるものを欲しがるようになりました。そこで、神像が誕生するのですが、これは生き神としての天皇を模して作られることになりました。

 神像が設置されたため、それを守る霊獣として狛犬も置くようになったのでしょう。すでに宮中では天皇の守護獣として獅子・狛犬が定着していましたから。Photo_7

 現在、私たちが慣れ親しんでいる狛犬は、江戸時代に入ってから急速に変化を見せ、多様な形に発展しました。また、呼び方も、単に「狛犬」となりました。

こま【高麗/狛】

?朝鮮半島古代の国名である高句麗(こうくり)。または、高麗(こうらい)

?名詞の上に付いて、それが高麗から伝来したものの意を表す。

大辞泉

こま‐いぬ【狛犬】

(高麗犬の意) 神社の社頭や社殿の前に据え置かれる一対の獅子に似た獣の像。魔よけのためといい、昔は宮中の門扉・几帳キチヨウ・屏風などの動揺するのをとめるためにも用いた。こま。

広辞苑

 狛犬は朝鮮半島「高麗」を経て伝わったため、そう呼ばれると言うのが一般的な見方です。

Photo_9   「狛」は今では中国でも使われなくなった言葉だが、本来中国では「狛」は「ハク」という犬に似た「神獣」の意味だそうです。犬に似ていて頭部に角があり、猛々しい姿をしているといわれています。

ですから狛犬は、中国のものであり、高麗は中国では「カオリー」と発音するので「こま」と朝鮮は何の関係もないと言う説もあります。

「狛犬」は遣唐使がもと帰ったのですから、朝鮮半島を経由するときに名前が変わるのは不自然ではあります。

 Photo_8 これは、「こま」の「犬」ではなく、あくまでも「こまいぬ」という空想の動物なのです。「犬」ではないという説です。

 その意味では、獅子(ライオン)も、昔の日本人は実物を見たことがありませんから、同じように空想上の動物だったのです。

  Photo

したっけ。

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「明治時代の犬の名はカメ」について考える

2010-10-24 10:28:16 | 雑学・豆知識・うんちく・小ネタ

明治時代にポピュラーだった犬の名は「カメ」だったそうです。走るのが速い犬をのろまな「カメ」と呼ぶのは面白いですね。Photo

しかし、これにはれっきとした理由があります。当時の日本人は欧米文化が入ってきて「ハイカラ」を好みました。何でも外国人の真似をしたがります。

そのおかげで、「犬」は「カメ」と呼ばれるようになったのです。

英米人が犬を「come here」と呼ぶのを「カメ」と聞いて、犬に「カメ」とは面白いと思ったのでしょう。

とんだ「見当違い」ですよ。(犬だけに・・・。)

Photo_2 犬の名前に関してもうひとつ。花咲か爺さんの犬の名は歌では「ポチ」となっていますね。しかし、これは間違いで「シロ」が正しいようです。

と言うのは「ポチ」と言う名は明治以後使われるようになった名前だからです。

「ポチ」とはそもそも毛色に斑(ブチ)のある犬の名で、日本の在来種には斑点のある犬は存在していませんでした。そういえば、絵本では白犬でシロとなっていたような気がしませんか。

ポチの語源ですが、フランス語の「petit」(プチ=小さい)や英語の「spotty」(スポッティ=ブチの犬)などの説があります。

ですから、花坂爺さんの時代に「ポチ」はありえないのです。

明治時代、犬と言えば思い出すのは、西郷隆盛の銅像です。因みに彼のこの犬は雌の薩摩犬で名前を「ツン」というそうです。「ツン」とは方言なのでしょうか?

あの銅像というのは一緒にウサギ狩りに行く途中の姿を作ったそうです。本当は雌の犬なのに、勇ましいイメージであの像を作ったために、モデルは雄の犬になっているそうです。

Photo_3

したっけ。

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「犬はいつから人に飼われているのか?」について考える

2010-10-23 10:17:17 | 雑学・豆知識・うんちく・小ネタ

イヌは最も古くに家畜化された動物であると考えられています。手に仔犬(イヌかオオカミかはっきりしない)を持たせて埋葬された、12千年ほど前の狩猟採集民の遺体が、イスラエルで発見されているそうです。分子系統学的研究では15千年以上前にオオカミから分化したと推定されているそうです。

Photo_2 200211月、654犬種と38種のオオカミのDNAを分析した結果、犬の祖先は、家畜化されたオオカミであると発表されました。イヌの野生原種はタイリクオオカミ (Canis lupus) の亜種のいずれかと考えられています。どの地域でいつ家畜化されたのかはまだ不明ですが、初期の犬に4系統のオオカミの血が混じっていたそうです。

イヌ属の動物たちは、100万年ほど前にユーラシア大陸に出現し、長い間アメリカ大陸へと行ったりきたりしていたようです。そのころの地球は、ユーラシア大陸とアメリカ大陸とは陸続きでした。この動物たちの移動はほとんど北半球に見られ、南半球のオーストラリア大陸では、古代犬の化石は発掘されていません。イギリスのヨークシャー地方から、人類の遺跡と一緒に発掘された中石器時代の犬の化石が、最も古い時代のものと伝えられています。

中期旧石器時代の年代は、地域によって異なるが、約10万年前~約3.5万年前の期間とされている。

ウィキペディア

イヌがオオカミと分岐してからの15千年という期間は種分化としては短く、イヌを独立種とするかオオカミの亜種とするかで議論が分かれているが、交雑可能な点などから亜種とする意見が優勢となりつつある。

そして、広大なエリアで、住む環境、そのほかの温度差、山岳、草原、荒地、水辺、砂漠など、それぞれの環境に合った体型や習性が色々と変化を遂げて、その土地ごとに犬の特徴ができあがっていったと考えられます。

古代の犬の血を引く犬たちは、オオカミの突然変異であるとも言われ、性質はオオカミほど荒っぽくなかったようです。ときには自分たちで狩りを行っていたようですが、主にほかの肉食獣の食べ残した獲物か、死肉をあさっていたと推測されています。

人と犬との付き合いはじめはとても古く、人がこの世に現れてから間もないときからという説や、その後オオカミを飼いならしてきたという説もあり明確にはなっていませんが、昔から犬が人間の非常に大切なパートナーであったことは間違いないでしょう。

Photo_3

人々が狩猟で暮らしていた時代には狩猟犬として狩りの手助けをし、人が住居を構えて定住し、耕作や牧畜をはじめるようになれば、家の農作物・家畜を外敵から守る番犬の役割や、家畜の管理まで担うようになりました。今は人の心を癒すペットとして人とともに暮らしています。

このように、犬は人々に奉仕するために生まれてきたのではないかと思われるほど、昔から働き者で、人に対する忠誠心や、自分の仕事への使命感をもっているのです。

犬たちは昔も今も、私たちには日常生活の一部といえるパートナーであり、家族の一員として愛されてきました。

ですから本来犬に純血種(純粋種)など存在しません。雑種犬を、その犬の能力や体型をベースに、淘汰を繰り返しながら長所を伸ばし、改良を加えられ認められた犬たちのことを仮に純血種といっているのです。

これからも新しい犬種が公認されていくことでしょう。現在純血種として公認されている犬種でも、犬種自体が消滅するというケースが出てくるかもしれません。そのときは、人間が作り出した犬種ですから、人間の手でそれらの犬種を保護し、後世に残し伝える義務があると思います。人間が犬たちを愛する風潮は、人間が世界の平和を思う心に似ています。

犬たちが人間を守ってくれたように、人間も彼らを守り続けていかなければいけない義務があるのではないでしょうか。

 犬が犬として存在しているのは、人間が犬を犬としてこの世に誕生させたからに他ならないのですから。

Photo

したっけ。

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倉内佐知子

「涅槃歌 朗読する島 今、野生の心臓に 他16篇(22世紀アート) 倉内 佐知子 22世紀アート」

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